僕は小学4、5年生まではただのはっちゃけて外遊びが大好きな子でした。たまに水たまりでピチャピチャになって家に帰ってきたり寒い冬に友達とおままごとをして指が動かなくなって大変なことになったりと元気いっぱいな子供でした。でも小学2年 生の時当時一番の友達との思い出を発表をする機会があったのですがその時「私の心のろうそくに火が付いたのはこの時です」とよくわからないことを発言したんです。
そこで少しクラスメートやその友達に笑われました。でもそのときは大丈夫でした。小学3年生のときその友達が1年だけ転校し、4年生の時新しい友達を作りいつの間にか陽キャになり皆にチヤホヤされるようになりました。仕方ないよね。と思って迷惑にならないように距離をおきました。今でも話すことはないです。そして6年生になってからいじめられるようになりました。3年生のときから仲良くなった友人でした。(自分も結局友達を作っている) 外遊びで遊ぶ4人グループだったのですが、そのみんなに急にいじめられるようになりました。2年生まで仲良かった転校して帰ってきた子にもいじめられた。ただ理由もなく。グループの一人は自分がやらない と気がすまないような人で少しめんどくさいタイプでした。配りものをしようとし たときに手伝うよといったのに嫌だと言ったのでなんで渡さないの?皆で配ったほう が効率いいよ?と聞いてみると逆ギレして僕に配りものをすべて押し付けて走って どこかへ行く子でした。そしていじめの内容というものは、筆箱が盗まれて投げ合いが起こったり体操服や帽子、制服の上着など色々なものを投げ合いされ汚く汚れ ていました。先生は目の前で見ていたのにそれにわざわざ参加したりと先生からもいじめられました。もう一ついじめだと僕は認識はしているのですが、一人学年の問題児が1人いました。(他にもいたけど)人を蹴ったり殴ったり先生に暴言を吐いたり、椅子に画鋲を置いたり給食に消しカスを入れるなどすごい生徒がいました。(学年崩壊していた)僕はなんていうのだろうが社交的陰キャだったためその子とも交流 があったんです(なんで)。いつの間にか筆箱から鉛筆削りが盗まれていました。買って2日目だったのにも関わらず。そして6年生の一学期が終わる頃の大掃除 に後ろの連絡黒板の上側を掃除しようとして棚を登って見てみると僕の鉛筆削りの 上の蓋の部分がそこにホコリまみれになって置かれていました。誰かが意図的に乗 せないとあるわけない場所にありました。そして2学期クラスの下らへんの地上というか土の色々なんか落ちてないかってうろうろしていたら土に埋まった僕の鉛筆 削りの下の透明部分が出てきたんですよね土だらけで汚かったです。もう笑うしかなかったです。自分って何されてもいい人間だと思われてるんだなって。そして小学校を卒業してその記念にと4人グループの子と2年生までの友達とその他諸々の子と 打ち上げみたいなことしたんですけど自分だけ混ざれませんでした。表面的な友達とも言えますからね。ただ自分は一人で皆が遊んでいるところを傍観しているだけ でした。親たちは自分たちの話で盛り上がり、 気づきもしていなかったです。 そして中学校に上がり、全員同じ学校に進みました。しかし全員違うクラスだったのでまずは一安心でした。部活も自分だけバレー部に入り、あとはテニス部に入りました。
そして中学1年生のとき、3年生だったときに仲良くなった友達と一緒になり、初めてカラオケに行かせてもらったり、夏祭りに一緒に行ったりと、平和でした。お互いに悩みを言い合える仲でした。自分はいじめられたり、毒親、過保護な親、狂った姉、アダルトチルドレンのなりかけ、HSP。その友達は一人の友達で人生を一度狂わされ、親が宗教に入っている。そしてADHDというどっちもどっちな鬱鬱ペアでした。そして、自分はテストが悪くなり、リストカットをするようになりました。なんでもないのに今でもすることもあります。
そして中学2年生。その一番の友達と違うクラスになり、同じゲームをしていた友達と話すようになりましたが、元々の友達が居たので、あまり、話す機会はないです。4年生の頃に仲良くなった(いじめてこなかった子)子と話していたのですが、自分の一応友達の子に奪われ、ほとんど話さなくなりました。いつの間にか一人になりました。やっぱり1年生のときに輪ができると駄目ですね。でもネットがあるからと、ただネットに入り浸りました。引きこもりがちになったけど、毎日学校に行って提出物も全部提出期限に間に合わせて、小テストも満点をとっているから大丈夫かなとは思っています(危機感を持て)。
そうやって自分は生きてきました。未だに自分に「死にたい」という気持ちは張り付いたままだけどどうにかこうにか生きてます。
長文失礼しました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
現中学2年生を送るまで
感想2
最後の方にある『「死にたい」という気持ちが張り付いている』という表現が絶妙でそれまで書いてくれた具体的な出来事をまとめ上げて、今のあなたを表していると思いました。誰かが「死にたい」を苦しみを訴えたときに、「そんなこと言わないで、死んじゃだめだよ」と声をかける人がいますが、あなたの言葉を借りると自分に張り付いているものをそう簡単にはがせるわけでもないですし、自分の一部として一体化しているものを手放しなさいと一方的に言われても、理解してもらえないんだという絶望感や諦めの気持ちになりそうだと思いました。前段のイジメの出来事や軽く触れていた家庭の状況などを含めてあなたの「死にたい」の内実や存在感が響いてくるようでした。
子どもは未熟で発展途上であり、正直で残酷な側面があることから、子ども同士でイジメたり、からかったり、トラブルが起こることは避けることはできないと思います。あなたが経験したこともすべて防ぐことは難しいのかもしれません。だからこそ、そのために学校そして先生という大人が子どもたちが経験する人間関係の難しさを調整して、それぞれの学びの機会にする役割としてあるのだろうと思うのですが、そうならなかったことは心から残念であり悔しく思います。あなたはこれまで、安心して子ども時代を過ごす時間よりも、緊張や不安、我慢、恥ずかしさなどを感じる時間の方が多かったのだろうし、その積み重ねが張り付いた「死にたい」という気持ちにつながっているように私は感じました。
でも、一方であなたの経験談にはところどころ、きらりと光る個性のようなものもあり、目が留まりました。まずは、小学校2年生で「心のろうそくに火がついた」という表現ができる感性は鋭く豊かだと思いましたし、その後の友達関係でも、理不尽や苦労はありながらも、あなたなりに人を選んだり、観察をしたり、距離を調整したりしていたように感じています。あなたの中の生きるための底力のようなものも確かにあると思っています。
最近は学校にそれなりに行き、提出物を出したり、何とか適応しようとしている様子が伝わってきました。そうすることで、少しでもあなたが過ごしやすくなるのならそれもいいと思うのですが、そもそも学校は嫌だったら行かない選択もありますし、提出物も出さなくてもいいと思いますし、小テストも悪くてもいいのではないかと私は思っています。それよりも、少しでもあなたにとって息がしやすい環境や理解し味方となる人とつながれる方が大切だろうと思っています。あなたの中にある本来のあなたらしさを見てくれる人と出会えることを願っています。すぐには見つからないかもしれないですが、死にトリは味方でいたいと思っています。いつでも来てください。待っています。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。学年が上がるにつれて、人間関係もどんどん複雑になっていきうまくいっていたものが突然崩れてしまうことはよくあることなのだとあなたも含めそういった経験談を読んだり、学生時代の自分とも重ね思うことではありますが、急に突き付けられる理不尽さは許容しがたいものがあるなと改めて感じさせられています。
小集団だとしても、人が集まれば声の大きい人やちょっと目立つ人の振る舞いや言葉によってどんなに仲良かったとしてもある日突然、ハブかれ取り残され、特に学校はそういう人間関係の移り変わりは激しいと思います。そのような中であなたに降りかかってきたことを読んで、よく耐え抜いてこられたなという思いを真っ先に抱いてしまいました。まして同級生だけではなく、先生も加担していたことは到底許せるものではないですし、本来守られるべきはずがかえって傷つけられることになり、もしかしたら周りにいる人たちほとんどが敵に見えていた(今も誰かを信頼する感覚が薄いかもしれませんね…)のではないかなと私は思いました。
あくまで想像でしかないですが、「社交的陰キャ」と自身を表現していたのが印象的で、時と場合によって物怖じせずに色々な人と関わることができたり、辛い状況であっても、上手く言えないのですが“そういうものだ”とどこか割り切りながら過ごすことができるスキルがあなたに備わっていることで、自分を保てているところはあるのではないかなとも感じています。(何となく自分なりの処世術があなたの中にあるのかなと…そう感じましたが違っていたらすみません)
学校でのことだけではなく家庭内でも自分の立ち振る舞いを考えなければいけない環境に常にあるのかなと思い、あなたがあなたらしく、なんのしがらみもなく過ごせる時間が日常に存在するのかが気がかりではあります。時々リストカットをしたりネットに居場所を見つけることでなんとかやり過ごせている部分があるかもしれませんが、現実(学校での生活や家の環境)は嫌でも毎日目の前に広がっていますし、一人で抱えるのがしんどくなってしまった時は、またこうしてあなたのお話を聞いて一緒に考えたいなと私は思いました。あなたの中に張り付いている「死にたい」気持ちはそう簡単に剥がれるものではないでしょうし、無理やり剥がす必要もないと私は思います。死にトリが必要に感じられたらいつでも参加してください。お待ちしています。