「女なのにズボン履いてる、キモ」「え、ないわー」
聞こえた声。この言葉は呪いだ。
中学にあがってスラックスを履いた。理由を死ぬほど聞かれた。どう言ったらいいかわからなかった。自転車で下校途中通りすがりの高校生にこっちを見られた。私はすぐに目を逸らした。氷のような目線。
「キモ。」
頭が真っ白になった。怖かった。疑いたかった。「女らしく」生きられない私は「気持ち悪い」。この出来事がトラウマになった。人格を、自分の全てを否定された。自分は気持ち悪い存在であり、異常だと悟った。
そこから数ヶ月たち体の変化を親に相談した。「仕方ない。」「うちの娘はジェンダー気取りなのか」「そう言う時期」これで片付けられた。本気で悩んでいた。けど、冷たかった。
友達にはトラウマから話せなかった。同じことを言われたら、裏切られたら、広まったら拒絶されたら、生きていけなかった。
自分は女じゃない。でも男じゃない。
3年間悩み、中学生活があと一年になった。担任は男女でわける考え方。トラウマにずっと囚われている自分。今は人が信じられなくなって、全ての人が自分を否定しているように感じてしまう。
親には話せない。居場所は無くなった。誰にも話せない。自殺も考えるようになった。
親に軽くあしらわれて「ジェンダー気取り」
先生は当然「男子はこっち、女子はこっち」
友達は純粋に「女の子だからね」
自分は気持ち悪い存在。自分は理解されない。自分は異常者。自分を見失った。
頭痛と吐き気、呼吸のしにくさ。絶望と共にやってくる朝日と気持ち悪さ。
自分は臆病者なんだ。否定されることが怖い。一人ずっと孤独だった。理解されなかった。わかってもらえなかった。
暗闇を走り回る勇気はなくなって恐怖で足が動かなくなった。手を伸ばしてくれた人は引っ込めるかもしれない。救済なんてない。一時的な解決にすぎない。安心なんてない。
でも、それでも、何か望んでいいのなら、理想を言ってもいいのなら、ただ、
理解されたかったんだ。
感想1
「理解されたかったんだ」
経験談の最後のひと言をビシッと直球で受け取った感じがしました。
本当にこのひと言に尽きると思います。ただただ、理解して欲しかった。あなたというひとを知ろうとしてほしかっただけなのだと思います。
以前私はジェンダーについて知る機会がありました。「ジェンダーって区切りなく、グラデーションなんだ」と教えてもらいました。なるほどと納得しましたし、私もその時に自分はグラデーションの中のどの辺に位置するんだろう…と考えました。セクシャリティについて知らないし、知ろうとしていない実態が社会や教育現場に存在するのだと思います。「申込書」などに性別を回答させるものがありますが、今も普通に「男性・女性」しかないことがほとんどです。
中学生に上がってスラックスを履いていったことは、あなたがあなたらしく居られる服装というだけなのに、あなたに向けられた言葉や視線は、あなたの存在をも危うくさせるものだったと私は思います。それは本当に怖かっただろうし、あなたが自分自身の捉え方が変わった瞬間だったのかもしれません。さらに受け止めてほしかったご家族にもジェンダーの本当を知らないばかりに、否定されたことは二重にダメージだったと思います。知らないからって、自分と違うからって、偏見を持ったり、差別したり、いじめていい理由は1つも無いと私は思います。(と言いながら、私も知らないことは無自覚に偏見を持つことがあるので自戒の念も含めて…)
投稿を読ませてもらって、私はあなたが異常とは思えませんでした。理由は、悩みながらも自分の性自認のままに生きようとしている真っ当な感覚をもった方だと思ったからです。あなたは自分を見失ったと書いていました。そして周囲の言葉はトラウマのようになっているのかもしれません。確かにひとりで無理解(暗闇)の中を進むのは本当にしんどいことだと思います。私らしくなんて今は考えられないかもしれません。
少し先の道を懐中電灯で照らすみたいに、同じような経験をしたひとと話をしてみるのはどうでしょうか?すでにご存じかもしれませんが、そういうサイトがあるのでよかったらアクセスしてみてくださいね。https://24zzz-lgbt.com/ 私もあなたのことをもっと知りたいと思いましたので、また死にトリにもアクセスしてくださいね。
投稿ありがとうございました。