経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私は統合失調感情障害 許せぬ加害者

大学入学後から現在もなお心療内科に通う私。私は中高一貫校で計6年間イジメを受け続けていました。
最近になって
「私は何という病名ですか?」
と、主治医の先生に聞いたところ、
「統合失調感情障害」と判明しました。
お薬を処方してもらったり通院したりするたびに交通費がかさみ、体力もすり減ったり。色々な側面において、かなり生活苦を感じています。
今年27歳から28歳になりますが、そしてやっとの思いで大学を卒業しましたが、いまだ無職です。
私はずっと疑問です。
「イジメの被害者は、個人や団体を特定しないよう、まわりくどく自分の苦しみを吐露しなければならない。もし個人名や団体名を出したりそれがバレたら、逆に処罰の対象になる。なのにイジメの加害者は、延々に守られている。おかしいとは思いませんか?」
この疑問に対する解決がない限り、私はイジメの解決はないと考えます。
そしてイジメられたその中には能力が高い人もかなりいます。
落ちこぼれを見捨て、能力者という浮こぼれを孤立させ、社会システムに組み込んで抹殺する。
そんな日本が、私は大嫌いです。
「それは甘えだし、ならば日本から出ていけ!」
人はよくそう言います。
しかし本当にそうでしょうか?
自国の政治に生活者の困り事がほぼ一切届かない。
こんな社会、胸を張って先進国と言えますか?
話しは大きくなってしまいましたが、少なくともイジメの加害者は被害者に対して、金銭面でも人権面でも、重大な責任を負うべきです。
今日も心のどこかで、私は当時の加害者を憎みながら生活しています。
やり場のない怒りは、私の一生の傷。
なんとかならないかなぁ…。

感想1

大きな怒りや憎しみや恨みのような感情が吹き出す様子と最後の「なんとかならないかなぁ…。」というつぶやきのコントラストが印象的でした。あなたが抱え続けている強い感情は誰かにぶつけたくてもぶつけられずに、国や施策への社会システムへの憤りとなって表現されたのかもしれないと思います。この社会への疑問には共感するところが多くありました。そして、イジメへの対策も法律ができたり、いろいろな対応もされてはいますが、それが解決へつながらずに、深刻な被害も絶えず、いつまでも課題としてあり続けているのを実感すると、機能していないように私も感じています。私はイジメの問題はいじめだけの問題ではなく、社会全体のもっと大きな課題があり、それに根本的な対応やそもそもの私たちの生き方や価値観の見直しを国とか権力を持っている一部の人間たちの問題ではなく、一人ひとりが取り組まなければ何も変わらないのではないかと思っています。
そういう意味では、こうして自分の経験から意見を伝えてくれる人が死にトリにはたくさんいることは心強いと思っています。私が数年前に知り、ちょっと気になっている動きがあります。それは、精神障がいを持つ人たちで自分の意思に反して長期入院を強いられた方とその支援者が国に「不作為の罪」を問いかけて裁判を起こしている運動です。それを知って、私は他にもたくさん「不作為の罪」があるなぁと感じました。児童虐待もそうですし、あなたが教えてくれたイジメの問題もあります。問題だとわかっているのに、放置することで責任を放棄することは今の社会ではたくさんあり、あなたが今回書いてくれた内容もそうなのだろうと感じました。
ただ、私は国というのは特定の誰か偉い人ということではなく、自分も含まれる社会全体なのだろうと思うので、他人事ではなく、じゃあ自分には何ができるのかといつも奮い立たされる気持ちと何もできない無力感との間を行ったり来たりしています。あなたの経験談を含む、多くの経験談に触れると、私たちが見直さなければならない課題を共有できる人がいることを実感でき励まされます。
個人的には加害者を厳しく罰しても根本的な解決にはつながらないように思います。それは、無条件に許すとか優しくするということではなく、起こってしまったことへの対応よりも、そもそもイジメや暴力や排除が起こってしまう足元の問題を放置しないことが何よりも大切だろうと思っていました。あなたの経験談に触発されて、自分の考えを整理するような感想になりましたが、最後の「なんとかならないかなぁ…。」を経験者と一緒に考えたいと願いを強くする経験談をありがとうございました。

感想2

投稿読ませてもらいました。
いじめについて自身の経験を通じて、生きることへの連続的な影響、さらには社会システムに至るまで触れられていました。いじめはもちろんのこと、DVやパワハラ、犯罪被害など暴力被害全般に通じることだと深く考えました。日本は先進国の中でも若者が生きたいという意思を最も持ちにくい国だと私は思っていますが、その本質的な背景のひとつがあなたの経験談に書かれているような気がします。
暴力は、将来に至るまで被害者のこころに影響を残す理不尽な行為です。ましてやあなたは6年間もいじめを受け続けてきた訳ですから、その影響は図りしれません。まさにやり場のない怒りを内包していくことになるのだと思います。
人の加害性を考えてみると、偏見や無理解、被害経験や不全感、時には集団心理などが影響して引き出されるのではないかと私は感じています。その加害性は社会のいたるところで目にします。そして当事者は無自覚な場合もあります。私も例外ではなく、無自覚な偏見や無理解を持っているかもしれないことを意識しなければなりません。しかし無自覚に被害者を生み続ける社会を放置して見て見ぬフリもしたくはありません。
日本教育ではどこか一定の価値観を植え付ける道徳のような教育はありますが、人権について学ぶ機会がほとんどありません。私も“人権”について考えたことはほとんど無かったし、しっかり理解もしていませんでした。大人にいたっては社会に出てしまうと人権教育は皆無に近いものがあります。だから誰もが被害者にも加害者にもなり得ることを知り、人権意識を埋め込んでいく必要があると私は思います。でも例えばパワハラや虐待防止法のように“やってはいけないこと“だけを学んでもいじめを始めとした暴力はなくならないのでは?と私は感じました。
対話して互いを知っていく、そして自分自身のことを知っていく…そういった機会をつくり続けることが大事なのかなと私は思ったりします。あなたの経験や今回の投稿を通じて私も考える機会をもらいました。これからもよかったら死にトリに参加してもらえればと思います。一緒に「なんとかならないかなぁ」って考えている場面を想像しました。
投稿ありがとうございました。

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