経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

肯定感

母から精神的虐待、体罰、兄弟間差別を受けて育ちました。兄は自慢の息子。
僕は不出来な息子。
弟は溺愛の息子。
いつも家でビクビクしてた。
頭ごなしに叩かれたり怒られたりしないか。
母に甘えたいとか思った事がない。
母は早くに病死したけど、母が死んだ日。
悲しくなかった。
僅か10歳の子で。
それからは自分は兄に比べられる存在。
常に卑屈で捻じ曲がった性格。
もう、生きるのがしんどい。
自分の気持ちや好み、または自分がどうしたいか分からない。
他人から利用され捨てられ、人間関係も築けない。
独身、無職、鬱の中年。
もう生きる価値なく人生詰んでる

感想1

短い文章の中に強く抑圧されてきた小学生時代やこれまでの人生が端的に語られていました。きっとエピソードとしては書ききれないことや想いがあるのだと思います。思い出したくないことも多々あるのかもしれません。
私も3人兄弟なので、少しだけ自分に重ねつつイメージしながら読ませてもらいました。一番印象的なのは“自分の気持ちや好み、自分がどうしたいか分からない”という一文です。あなたがこども時代にあなたらしさを尊重されることが少なく、兄弟の中で自分だけ小さくなりながら、無価値感を積み重ねたり、否定感を刷り込まれたりしてきたことが垣間見えるようでした。母親が亡くなった日に10歳のあなたが「悲しくなかった」事実は幼少期からあなたが抑えてきた感情を表していたのでしょうか。(私も母親に対して少し似たような感覚があるので何だか安心したような気持になります)それでもあなたに会ったことがないけれど「10歳の子ども」を想像すると苦しい気持ちになる私がいます。
幼少期の経験は生きる上での土台になりますから、いま人間関係をなかなか築きにくいことは無理もないことだと思います。いまは誰かと対峙するのは負担もあるのかもしれません。死にトリは相談する窓口ではないので、あなたが経験談に気持ちを置きに来てくれたように、自分のペースで参加することができます。自分の価値を否定したり、思い直したり日々色々感じることがあると思います。良かったらまた参加してみてください。
投稿ありがとうございました。

感想2

悲痛な思いがひしひしと伝わってくる感覚になりながら読んでいます。あなたが過ごしてきた環境は恐らく身近に味方はいなかったのかなと感じますし、一人でグッと耐えているあなたの姿が思い浮かんできました。毎日のようにお母さんの様子や機嫌を伺いながら過ごしたり、お兄さんや弟さんと比較され続ける日々は、あなたを形成するものを何かしら歪めるには十分なことだと私は思いました。育ってきた環境も状況も異なりますが、私も母の顔色を気にして生きてきて兄とも比べられて(兄は溺愛されていました)というなかで過ごしてきたので、他人事とは思えない感覚にもなっています。特にお母さんが早くに亡くなられて、「悲しくなかった」という思いは共感できる部分で、私も母を亡くした時は悲しさよりこれ以上苦しめられなくて済むという安堵に近い感情になったのを覚えています。
「僅か10歳の子で。」という少し自虐っぽさも込められている(と、私には感じました)表現もですが、恐らく子ども時代に“子どもらしく”生きることを許されてこなかったのではないでしょうか。その影響は大人になればなるほど周囲との差(人と関わるスキルや仕事や結婚の有無など社会的なステータスや価値観)を突き付けられてしまう場面も多いと個人的には感じていますし、主体性や自己肯定感も含めて奪われてきたものをどう取り戻せばいいのか、自身の感情の受け止め方、やり場の難しさもあなたの文章を読んで考えさせられています。
無力感であったり諦めの気持ちも強いかもしれないなと思いながら、でもこうして死にトリに思いを届けてくれたのはあなたなりに、何か思い(変化を求めていたり現状をどうにかしたいなど)があってのことかなと私は思いました。そうではなくてただ吐き出したかっただけにせよ、もし死にトリが何かあなたの役に立ちそうであればいつでも活用してほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。

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