経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

人生はマイナス

人生において良いことと悪いことは
同じくらい起こる

そういう言葉がある
でも私の現在の人生において
その言葉は気休めに聞こえる
幼稚園の頃自分だけ
暗い部屋に閉じ込められたり
小学生の頃、通り魔的に上級生に殴られたり
周りからいじめに遭った

毎日が毎日辛い日々
先生は味方にならない
中立のフリをして向こうに味方する

挙句の果て、トラックに轢かれる

異世界転生モノみたいに
トラックに轢かれても
良いことなんて起きない

あるのは異世界の女神の微笑みの顔ではない
あるのは運転手の人間の憎しみの目

親からも殴られる
職に就こうとすれば上司からの暴言

マイナスばっか
それなのに良いことと悪いことは同じくらい
起こる そう言えるのか

もし言えるのならこの先
大きな幸運に遭遇するのか

悪いことばっかで普通でない人生
いっそ あのとき轢き殺されれば
良かったのではないかとも思う

人生はマイナス プラスにはならない
そう感じてしまう

それでもプラスを願ってしまう
残酷な世の中だ
人生はマイナスだ

感想1

経験談を投稿してくださりありがとうございます。

投稿者さんの身に降りかかってきた、理不尽としか言いようがない様々な出来事を読ませていただいて、そんな理不尽なことでも自分の中に位置付けて、消化していかなければならない辛さを感じ取りました。

文章の中で異世界転生の話がありましたが、仮に自分が転生したとして、身に余る能力を手に入れて無双して、それで本当に嬉しいだろうか、と考えてしまいました。一時的に楽しいかもしれないけれど、虚しくなってしまいそうな気もします。たとえプラスなことでも、「理不尽に降りかかる」という意味では、プラスもマイナスも変わらないのかもしれません。

投稿者さんの「それでもプラスを願ってしまう」という言葉には、人間が持つ地力のようなものが滲み出ているように思えました。自分自身、死にたいと思いながら生きる意味や理由を求めてしまうことがあるので、尚更そんな風に感じています。

これからも投稿者さんは様々な出来事に遭遇されることかと思いますが、大きな幸運に遭遇したら、(もちろん、そうでなくとも)ぜひこちらで教えてください。経験談を共有していただき、ありがとうございました。

感想2

投稿を読ませてもらいました。
これまで学校や家庭、職場などいくつもの場面で暴力に直面してきたあなたにとっては、プラスのできごとがマイナスなできごとと同じくらい起こるなんて、どう引き算したって気休めにしか聞こえないのも無理はないと思います。そして生きていると様々な場面で色々な種類の暴力に触れてしまうことを考えてみると、個人の中に暴力があるというよりも社会に暴力があるのかな…と考えることもあります。
あなたの投稿を読みながら、なぜそこまで人が人を傷つけなければならないんだろう…と考え込んでしまいました。一方でそんな社会だからこそ人が人を尊重したり、安心な場をつくろうとする人たちや活動があります(この死にトリもそのひとつかもしれません)
プラス、マイナスについて考えてみると、その二極というよりも、生きているとマイナス以外にプラスはわずかで、その代わり“マイナスでもプラスでもない”ことが大半のような気もします。
マイナスと同じくらいプラスなことは起こらないかもしれないけれど、どっちでもない(マイナスではない)ことは多々あるのかな…そしてその中に時々ささいなプラスがあるのかな…そんな風に私は思いました。ただ、暴力はそれが過ぎ去った後でも、ひとのこころをマイナス感情にしてしまい、長く気持ちを引きずります。仮にプラスっぽいことが起こってもマイナスに感じてしまったりすることもあるかもしれません。その影響を考えるとどんな暴力も肯定される理由はひとつも無いと私は思います。
できることならあなたには少しでもそういった原因になるひとや場所から離れてほしいし、マイナスではないと感じられる日々を送れることを願っています。
ほんの少しだけプラスになるかもしれないので、死にトリにまた参加して欲しいと思います。

一覧へ戻る