経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
虐待、いじめ、私という存在価値
私は幼い頃、おそらく虐待を受けていました。
それに気がついたのは中学3年の頃でした。
それまでずっと自分が悪い子なんだなと
思ってた。
虐待ていたのは祖母です。
我が家は母子家庭で母は朝から夜仕事で
家にいることは少なかった。
その間祖母が私や私の兄の面倒を見てました。
母から子供の面倒を見てるんだからと
お金を巻き上げそのお金を飲み代に
使ってしまう人です。
祖母は男の子に固執する人で
私の兄をそれはもう可愛がっていました。
それと比べて私のことは女だからと
ミソッカス扱い。常に兄と比較され、
扱いのために貶されるような、生贄のような。
私の人生兄のスケープゴートや影役だったとすら思う。
祖母は気に入らないことがあると私を叱ります。
私は何もしてないから何故怒られてるのがわからない。ぬいぐるみを持ってるだけで怒られます。
いきなり顔を叩かれます。食べられないものを無理やり食べさせられます。目の前で私の宝物をすべてごみ袋に詰めて捨ててしまいます。私はその度泣いてました。夜の12時すぎに小さい私を連れて都会の飲み屋に行ったり、そこで祖父とはちがう別の男とベタベタしてるのを見せられたり、子供ながらに気持ち悪かった。楽しかった記憶より苦しかった記憶のが鮮明で多い。
現在は別人かと思うほど
びっくりするくらい祖母は優しい人になってて
気味悪いと思うことがあります。
そして自分がしてきたことは記憶にないそうです。
私が泣いて祖母や兄といることが嫌だと訴えると母は私に泣くなと強くなれといいます。無理に決まってるだろ。大人になってからそのことを母に問い詰めたら、お前たち子供を祖母に預けてたから祖母と別居するまで何も言えなかったと。
小学校に上がる直前、私はストレスから奇行に走っていたそうです。大好きだった塗り絵を全て真っ黒に塗りつぶし、大好きだったお絵描きはお絵描き帳の中はグロテスクな絵が多かったり、1つのページに祖母や兄の名前をびっしりと書いて穴をいっぱい開けていたそうです。大好きだったリカちゃん人形の身包みを剥いで顔にティッシュを巻きてるてる坊主のようにして吊るして遊んでたそうです。
夜中は突然起き上がり寝ぼけたままフラフラと何処かへ行ってしまうんだとか。まるでハイジ。
大人になってからその話を母から聞いた。
小学校に上がる頃には引っ越して
祖母とは別居しました。
人とコミュニケーションを取るのが怖くて
できなくなり、
大きな声を出す大人の女性を怖がったり
気がついたら私は不登校になってました。
中3になるまでまともに学校に行けてません。
中3の頃、私はおかしなものが聞こえ
見えはじめました。常に悪口を言われてる、
常に監視されてる、そんな感覚です。
高校に行き心機一転しようと思い学生になって
友達も初めていっぱい作りました。
ところが、いじめがおきました。
私がターゲットにされたのではなく、
私が一番仲良くしてた親友がターゲットにされた。
いじめっ子の主犯格は私と親友の友人でした。
親友は学校に来なくなりました。
私はいじめに勧誘されてたのを断って親友側に立っていたので親友がいないとなれば独りです。
私は集団に呼び出され囲まれ、親友のことを悪く言われました。そこでプチンと何かが私の中で切れて今までの蓄積を晴らすかのようにその場にいたいじめっ子全員を殴り飛ばして傷害事件一歩手前まで行きました。自分を止められなかった。高校はもちろん退学です。どんな理由があっても泣かせたほうが悪いんだとかで…。
家族とも馬が合わなく、私は退学後
実家を出て地元を離れ
遠くで一人でやりくりして過ごしていました。
職場にいた年配のおばさんから理不尽なパワハラを受け、昔の祖母がよぎりました。ブラック企業だったので夜遅くまで働かされました。家に帰ろうとすると帰り道がわからなくなったり異常も出始めた。その頃からまた学生時代に見てたおかしなものが見えはじめて、黒いモヤモヤとした影のようなものがピッタリと背中に張り付いて「こっちおいで」と言う。
次第に私は布団からも出ることもできなくなり
動けなくなりました。トイレ行くのにも這いずって行くしかない状態でした。
私のなかの何かが壊れた。もういいや消えたいって気持ちになり、薬を大量に飲み首吊りをしました。けど失敗しました。気がついたら救急車の中にいました。
異変に気がついた当時の恋人が救急車を呼んでくれたそうです。後々、心の病気ある人とはいられないと言われて恋人には捨てられました。
実家に帰ってきて地元の精神科に通ったら鬱と統合失調症と人格障害、軽度の解離性同一性障害があると言われました。現在までとりあえずいつかくたばるまでは生きてみようという感覚で過ごしています。
明日くたばるかもだけど、今日は生きてみるか…そんな感覚です。私の病気のことは母には伝えましたが理解してくれるわけもなく、みっともないから家族や親戚には言えないとも言われました。それから自分の病気の話はタブー化して母とも家族の誰ともしてないです。
そして未だに私は大人の年配のおばさんがとても怖くて苦手です。それどころか人間そのものも嫌です。
目も合わせて話すことができません。
時たま消えたくなります。理解してくれる人が周りにいない、自分も言えない、一人でもんもんと毎日過ごしています。生きづらい。
こんななんの価値もない私の経験談の長文を
読んでいただきありがとうございます。
感想1
投稿ありがとうございます。
幼少期の祖母からの虐待、高校生の時のいじめの問題と退学、職場でのパワハラについて読み、そのすべてが、構造的な問題が、相対的に弱い立場であったあなたにのし掛かった出来事だと感じました。その構造的な暴力の中で苦しんでいるあなたを守ることができるような大人や制度の不十分さを強く感じています。
幼い頃は自分が住む家以外ではどのような暮らしをしているのか、その違いを知ることもできないので、きっと祖母さんが叱る言葉や態度などと距離をおくことも難しかっただろうと思いますし、「自分が悪い子なんだな」と思っていたのも頷けると思いました。「奇行」と書かれているのは、当時のあなたなりの感情の処理とか、その状況で出来うる限りの対応のような反応だったのかなと想像しています。
母親さんの「泣くなと強くなれ」という言葉も理不尽だと思いました。祖母さんも母親さんもそれぞれ事情があったのかなとも思いますが、でもそれであなたが暴力をうけても守られない状況になることはあってはならなかったと感じました。
小学生になるころには祖母さんと別居できたということですが、幼い時に理不尽に怒られたり、暴力を受けたり(無理やり食べさせるのも暴力だと思います)、大切なものを捨てられたり…ということがあれば、そのようなあなたに危険をもたらす人との関わりを忘れてその後生活することなんて中々できないと思います。中学3年生まで学校にあまり行かなかったというのも、あなたを守る方法だったように感じました。
高校での出来事についても、なんだか、悔しい気持ちで読みました。もちろん、殴り飛ばすという暴力は望ましくないし、それ以外に方法が選べたらよかったと思います。でも、いじめが解決されないまま続いていたことは大人である教員や学校の問題だと思いますし、それで退学になってしまうことは、構造的な問題、強い立場の問題を見過ごしたままの排他的な対応のように感じて、やりきれない気持ちでいます。
職場での長時間労働と、過去を想起させるようなパワハラの中で、あなたはここでもとても疲れる日々を送っていたのだと思います。
実家に戻り、精神科にかかったことで、なにか治療を受けることはできている状態なのでしょうか。実家でも馬が合わないと書かれていましたし、病気の話はタブーになっているということで、そこでの生活もストレスを感じるものなのではないかと心配な気持ちになっています。せめて、少しでもあなたが休めるといいのですが…。
「明日くたばるかもだけど、今日は生きてみるか…」という感覚は、私自身も、突然死にたい衝動が強まる日もありつつ、日々を重ねているような感じなので、同じではないかもしれませんが、ちょっとだけわかるような気がしました。
一人でもんもんと過ごしている日々の中で、死にトリを見つけて、経験談を投稿してくださってありがとうございます。人間にも嫌な気持ちがある中で、もしかしたら、投稿するのも勇気が必要なことだったのだろうか?と想像しました。(そういうことじゃない!という感じだったらすみません…)
読んでいて、あなたが受けてきたさまざまな暴力があなたに与えた影響の大きさを感じると同時に、あなたの生きる力のようなものも感じました。この経験談は「「生きていくのがつらい」と感じる人たちからの経験談」として募集していることもあり、暴力の側面を丁寧に書いてくださったのかな、と思うのですが、書かれていない行間にも、きっとたくさんの思いや出来事があったのだろうと想像しています。
「価値もない」と書かれていましたが、私も価値がなんたるか自体よくわからないものの、私にとっては、読ませてくれたことにすごく感謝したくなる経験談でした。また、よかったら死にトリにきてください。お待ちしています。
感想2
投稿読みました。
読み終わって、虐待はいろいろなものの歯車を狂わせて、人生を苦しめてくるな…と、静かに考え込んでいる自分がいます。
自分を保護してくれるはずの大人から、否定され、自分勝手に振り回され、宝物を捨てられて・・・小さい頃のあなたが奇行に走ったのは、その奇行の内容も含めて、本当に全力のSOSだったのだろうと思いました。
身近な大人の誰かがそれに気づき、あなたの話を聞くことができたならよかったのに…と、願ってもどうにもならないことを考えてしまいます。
実家を出て地元を離れたという部分では、よかったと一安心してしまう自分がいました。でも、そこでもまるで虐待が繰り返されているかのように、理不尽な目に遭うのを読んで「家族から離れられました=問題は解決しました」みたいな簡単な話じゃないよ、と思い知らされたような気持ちになりました。
たぶんわたしは、「きっと解決できる」「回復できる」と、どうしても信じたくなってしまうのだと思います。(わたしは信じたいものを現実だと思い込むのではなく、現実をきちんと見て考えていきたいから、綺麗事じゃない感想を書きたい…)
でも、虐待から本当の意味で逃れるのが簡単ではない一方で、あなたがそれだけ苦しい状況にあっても、自分というものをもって生きている(と私は感じました)ことに、一つの力強さを私は感じています。
恥ずかしながら、私は学生時代の自分を考えると、いじめの勧誘を断れる自信はありません。また、「明日くたばるかもだけど、今日は生きてみるか」という捉え方も、しなやかだと感心してしまいました。
あくまでわたしのイメージなのですが、精神的に不安定なあなたがいると同時に、冷静に今こういうことが起こっているなと受け止めているあなたもいて、その2つが絶妙なバランスをもって、あなたという人間が生きているように感じています。
理解してくれる人、言える人がいないのは本当に生きづらいですよね。現状がすぐには変わらなくても、わかってくれる人や話せる相手がいるかいないかで、つらさには随分差があると、自分も経験から感じています。
その中で、あなたが死にトリを見つけて、経験談を送ってくれたのは、ここには心の居場所があるように感じたからなのでしょうか。
経験談にはたくさんのことを書いてくれていましたが(長文だけどとても読みやすかったです)、中学3年の頃に虐待を受けているのに気づいたのはどんなきっかけがあったのだろう
、親友はどんな人だったのだろう、どういうきっかけで実家を出たのだろう…など、あなたの道のりを、もっと聞いてみたいと思う自分がいます。
どうして聞いてみたい気持ちになっているのか…今すぐに綺麗な説明はできないのですが、「虐待を受けて苦しんでいる人」という捉え方で、わかったつもりになるのではなく、「こういう人がこんな風に生きてきた」ということをもっと知っていきたい…と思っている気がします。
経験談の投稿、ありがとうございました。
感想1
投稿ありがとうございます。
幼少期の祖母からの虐待、高校生の時のいじめの問題と退学、職場でのパワハラについて読み、そのすべてが、構造的な問題が、相対的に弱い立場であったあなたにのし掛かった出来事だと感じました。その構造的な暴力の中で苦しんでいるあなたを守ることができるような大人や制度の不十分さを強く感じています。
幼い頃は自分が住む家以外ではどのような暮らしをしているのか、その違いを知ることもできないので、きっと祖母さんが叱る言葉や態度などと距離をおくことも難しかっただろうと思いますし、「自分が悪い子なんだな」と思っていたのも頷けると思いました。「奇行」と書かれているのは、当時のあなたなりの感情の処理とか、その状況で出来うる限りの対応のような反応だったのかなと想像しています。
母親さんの「泣くなと強くなれ」という言葉も理不尽だと思いました。祖母さんも母親さんもそれぞれ事情があったのかなとも思いますが、でもそれであなたが暴力をうけても守られない状況になることはあってはならなかったと感じました。
小学生になるころには祖母さんと別居できたということですが、幼い時に理不尽に怒られたり、暴力を受けたり(無理やり食べさせるのも暴力だと思います)、大切なものを捨てられたり…ということがあれば、そのようなあなたに危険をもたらす人との関わりを忘れてその後生活することなんて中々できないと思います。中学3年生まで学校にあまり行かなかったというのも、あなたを守る方法だったように感じました。
高校での出来事についても、なんだか、悔しい気持ちで読みました。もちろん、殴り飛ばすという暴力は望ましくないし、それ以外に方法が選べたらよかったと思います。でも、いじめが解決されないまま続いていたことは大人である教員や学校の問題だと思いますし、それで退学になってしまうことは、構造的な問題、強い立場の問題を見過ごしたままの排他的な対応のように感じて、やりきれない気持ちでいます。
職場での長時間労働と、過去を想起させるようなパワハラの中で、あなたはここでもとても疲れる日々を送っていたのだと思います。
実家に戻り、精神科にかかったことで、なにか治療を受けることはできている状態なのでしょうか。実家でも馬が合わないと書かれていましたし、病気の話はタブーになっているということで、そこでの生活もストレスを感じるものなのではないかと心配な気持ちになっています。せめて、少しでもあなたが休めるといいのですが…。
「明日くたばるかもだけど、今日は生きてみるか…」という感覚は、私自身も、突然死にたい衝動が強まる日もありつつ、日々を重ねているような感じなので、同じではないかもしれませんが、ちょっとだけわかるような気がしました。
一人でもんもんと過ごしている日々の中で、死にトリを見つけて、経験談を投稿してくださってありがとうございます。人間にも嫌な気持ちがある中で、もしかしたら、投稿するのも勇気が必要なことだったのだろうか?と想像しました。(そういうことじゃない!という感じだったらすみません…)
読んでいて、あなたが受けてきたさまざまな暴力があなたに与えた影響の大きさを感じると同時に、あなたの生きる力のようなものも感じました。この経験談は「「生きていくのがつらい」と感じる人たちからの経験談」として募集していることもあり、暴力の側面を丁寧に書いてくださったのかな、と思うのですが、書かれていない行間にも、きっとたくさんの思いや出来事があったのだろうと想像しています。
「価値もない」と書かれていましたが、私も価値がなんたるか自体よくわからないものの、私にとっては、読ませてくれたことにすごく感謝したくなる経験談でした。また、よかったら死にトリにきてください。お待ちしています。