初めて自死を自覚したのは小学校高学年でした。大きないじめや家庭内での虐待などなにもありません。
理由もなく死にたい消えたいという思いを抱えながら半世紀近くも生きてきました。時に自殺未遂寸前まで高まったり、もう少しだけ生きてみるか、くらいまでには収まったりを繰り返しています。自分を殺そうとする自分と闘い続けた半世紀だったように思います。
ここまで頑張ってきたのだからもう少し頑張ってみようという思いと、なんのために頑張ってるのだろうもういいんじゃないかという思いが拮抗しています。疲れました。なにもかもに疲れました。
普通の人が簡単にできているように見える「生きる」というただそれだけのことが私には難しいです。発達障害も疑いましたが、その可能性は全くなさそうです。単純に不器用で生きるのが下手なだけのようです。傍目には何事も卒なくこなすように見られていますが、裏を返せば何の強みも誇れるものもありません。
生きたくても生きられない人にこの命をわけてあげられたら少しは生まれてきた責務を果たせるのに。
衝動的な自殺企図は抗不安薬等々で回避できますが、常に根底にある「死にたいなあ」という思いは消えません。これからもこいつとずっと付き合っていかないといけないのかと思ううんざりして今すぐ終わらせたくなります。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
長年のつきあい
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
根底の「死にたいなあ」には、どんな思いがつまっているのだろう、それはずっと同じ死にたい・消えたいなのだろうか、それとも、変化する要素はありつつも結論としては「死にたいなあ」につながってきたのだろうか…とあれこれ想像しながら読んでいました。私自身も基本的に希死念慮がありその濃度が時々で異なる、みたいな感覚なので、「自分を殺そうとする自分」との闘いという表現は自分としてもしっくりくるなぁと感じていました。
「強みも誇れるものも」ないという表現を読んで、それはあなたにとってどんな意味になるのだろうと気になりました。というのも、強みがないことよりも、どちらかと言えば弱みがあることに苦しくなる人が多いのかなというイメージがあったからです。もしかすると、強みや誇れるものがない(と感じること、あるいはそのように見なされるなどの)ことが大きな弱点となる、ということなのでしょうか。見当違いかもしれないのですが、過去にそのような価値観を言われたり、そういう価値観を前提に扱われたりした経験があるのかな?とも思いました。
あなたにとって「生きる」とはどういうことが含まれるのかなぁと思いました。私は生活に疲れて心身ともにへとへとで絶望感ばかりの時に感じる「生きる」と、いつもより睡眠がうまくできている時の「生きる」の感覚は違うところもあるような気がしています。(だからといって死にたい気持ちが0になるわけでもないのですが…)
これは勝手な想像でしかないのですが、死にたいことそのものとは別に、あなたにとって怖いことや怖い感覚などがあるのかなとも考えてみています。そういう感覚に触れること自体がしんどいかもしれないので、無理に掘り下げる必要はないとも思うのですが、よかったら、あなたの感覚やイメージ、言葉などをもうすこし聞いてみたいなと思いました。
感想1
「死にたい」ではなくて「死にたいなあ」という表現にじんわりとつきあいの長さがにじみ出ているようです。きっと長く「生きる」ことや「死にたくなる」ことを眺めたり耐えてきたり、抗ったりの半世紀だったんですね。
ふと長いマラソンを連想しました。ここまで頑張って走れたのだからもう一回同じことを繰り返すだけだ…なんて自分で自分を奮い立たせて体を前に進めるような…止まることもできなくはないけれど、なぜか止まらずにここまで走ってきたような…。
特に思い当たることがないはずなのに死を意識する(生きることが難しいと感じる?)のは、漠然とした不安からそういった意識になるのか、あなたとお話できるならもう少し聴いてみたいと思いました。きっと理由を聞かれたところで答えるのは難しいのかもしれませんが、生きる上での違和感や不安感をさらにあなたが言葉にするとどうなるんだろうと考えています。傍目から見ると器用に見えて、内面では不器用…そのギャップが死にたいなあにつながっていることもあるのでしょうか。
生まれてきた責務…そういったものがあるとしたら、今でも周囲からみるときっと十分に果たしている方なのでしょうけれど、ご自分ではそうは感じていなさそうですね。
自分を生き進めることは確かに難しく、答えが出ない問いなのかもしれません。
こうやって誰かとつながって語って、1日1日生きることに折り合いをつけていくことは続けたいとあなたの投稿を通して私は改めて考えました。
投稿ありがとうございます。