経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

最善とは

自分の選択はどれも良いものにはなりませんでした。悩んで決めても、直感で決めても後悔ばかりです。今の自分はすべてがめんどくさいと感じるだけです。過去、現在、将来、人間関係、生活、趣味あらゆる事がめんどくさいのです。うまく言葉にできない自分も嫌いです。

高校を卒業後、専門学校へ進学しました。それが失敗でした。絵を描くことが好きだったという安易な理由でした。学費や将来の事など全く考えていませんでした。責任感が無かったのです。そのため、うまく行きませんでした。授業で感じる劣等感、理想と現実のギャップに苦しみました。半年で辞めたくなりました。しかし、辞める決断も出来ず、だらだらと時間だけが過ぎました。学校を休むかひたすら歩き続け現実逃避をしていました。そんな事をしていると、世間ではウイルスが流行し、色々なことが出来なくなり卒業を迎えました。就職活動は最悪でした。何も考えられず、泣きながら両親に電話しました。

地元に帰り、失敗して戻ってきた事で周囲に迷惑をかけて死にたかったです。高い学費を払ってもらい、奨学金まで借りたのに得たものは何も無いのです。両親に謝り続けました。良くも悪くも放任主義だったので。問い詰められることはありませんでした。とても辛かったですが、後ろめたさで必死にアルバイトをしました。両親に生活費をより多く渡したかった事と、死にたい自分の葬儀代を用意したかったからです。自分は死にたいけれど、多額の返済を残したまま死んだら今まで育ててきてくれたのに、あんまりだと思いました。私のせいなのに。

しかし、今ではよく分からないのです。4、5年経ちましたが、職場の環境、人間関係で上手くいかず、正社員にもなれません。両親に渡すお金も額が増えていき、直近半年で80万です。姉は働いていません。障害の支援金で好きなことに使うか、一日中眠っています。妹は短大卒業後音信不通です。生活費、私の授業料、妹の授業料、車検代、その他も私が出さねばなりません。

私が悪かったのは理解できています。けれど、ここから居なくなりたいです。とても苦しいです。家族に嫌悪感が増しています。自立できない自分が腹立たしいのに、一生自立できないと思います。依存ばかりしています。自分がよく分かりません。

感想1

自分自身のこれまでの選択や行動に対する後悔や責任感、そして家族との関係性など色々なことが重なっている状態で、「すべてがめんどくさいと感じるだけです。」という言葉からも考えること自体にもう疲れてしまったような、そんな印象を抱きました。
後悔や失敗を感じた一つとして専門学校への進学について書かれていましたが、私自身もこれまでの選択についてあれこれ考えて“良かった”と思えるものは極めて少ないなと振り返っていました。恐らく多くの人が未来を見据えてミスのない選択をするというのは困難なことだろうと私は感じていますが、どことなく社会から求められているものとズレてしまった(レールに乗れなかった)ことや他の人と比べて見た時の自分に対しての劣等感などがあなたの抱く苦しさに繋がっているのではないかなと想像していました。(違っていたらすみません)もしそうだとすると、そもそも個人の選択や行動を自己責任として重視されることや評価をされてしまう今の社会の在り方に問題があると思いますし、選択に対しての結果を左右するものは個人レベルのもの(努力や能力)だけではないと私は思います。
もしかすると今あなたを取り巻く現状(結果)が誰のせいにできるわけでもなくどこにもぶつけようのないあらゆる感情もあって葛藤しているところもあるのではないかなと私は感じました。その行き場のない感情を“自分が悪い”ということにすることで自分を保たせようとしている(ある種“諦め”に近い感情かも知れませんが)のかなとも感じています。ただ一方で、背負わなくていいもの(特に家族への申し訳なさなど)まで背負い過ぎているという状況でもあるように私は思います。あなたの抱えている苦しさが私も通ずるところはあるので、“失敗”と感じる現状に対しての気持ちの落としどころを見つける難しさを改めて考えつつ、どうすればこの苦しさが多少は緩和されるのか、あなたと一緒に考えてみたいという気持ちになっています。あなたの思う「最善」とは何か、あなたの中で「自立」とはどういった状態を指すのかなどまた良ければ教えてほしいです。最後に、ありきたりな言葉ではありますし、何を根拠にそんなことを言うんだと言われてしまうと言葉に詰まってはしまうのですが、どうしても「あなたは悪くない」と伝えたくなりました。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

「あらゆる事がめんどくさい」というのが私の中の優先順位でも一番にくるので、個人的にとても共感に似た感情を抱きながらどこか近くにいるような、そんな感覚を感じながら読ませて頂きました。

私の場合は「自分の人生を自分で生きている」感覚がなく、「在りたい自分の姿」や「叶えたい自己実現の像」などが未だあやふやな中漂うように漫然と生きていて、全ての気持ちを「めんどくさい」が上回ってくる感覚があるのですが、色々な「めんどくさい」がある中で投稿者さんの「めんどくさい」はどういったものなのかということが気になりました。(ちなみに私の場合は同率一位でくだらないことを本当は全力で楽しみたいという気持ちがあります。だいたい「めんどくさい」に負けてなりを潜めていますが。。。)

また「最善とは」というタイトルが思わず目に留まったのですが、投稿者さんにとっての「最善とは」一体どういったものであるのか、そんなことを聞いてみたくなった自分がいます。というのも何かをしたり目指したいと思うきっかけは「ただ楽しかったから」、「何となくのめりこんだから」などなど、動機になり得る理由なんてものは誰しも最初は何てことないものであるからのように私には思えるからです。加えて言うと、「最善」は自分が何かをきっかけにして始めて、それらを続けていく中で「結果的に」環境や運など自分の力の及ばないもので決まっていくのかなぁということを私は自身の経験を通して感じています。(身も蓋もないことと言えてしまうかもしれませんが。。。)

専門学校を卒業してからの就活や地元に帰ってきてからの今負担の大きい生活は投稿者さんにとって望んでいたもの、「最善」ではないとてもしんどい日常であるのかなと想像しています。しかしながら、必死になってアルバイトをしてとあるように、自分の学費や家に入れるお金、きょうだいの金銭的なものまで一人で背負い込んで負担しているのは、それこそ今自分にできる「最善」を尽くしていることに他ならない気がしますし、「自立できない自分」という言葉に反して、何とかしようと進んでいる自立に向けた行動であるのではないでしょうか。

今投稿者さんを取り巻く環境を変えたり、自分の気持ちをハッキリさせることは容易ではないのかもしれません。ですが、自分一人でできることには限界がある中で、たまには無責任に、少しは無責任に、そう思いながらのこれからがあってもいいのかなと勝手ながらに私は思っています。

投稿ありがとうございました。

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