経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

病気と受験

私は現在高校3年生です。しかし、今年で19歳になります。
高校1年生の3学期から学校に行けなくなり、一年間休学をして、去年また同じ学校に復学しました。
私は、摂食障害という病気になり、心身の調子を崩しました。一時は体重がとても少なく、2ヶ月ほど医療保護入院をしていたこともあります。今も通院治療をしています。
私は国公立大学への進学を目指しているのですが中々自分の心身をコントロールしながら勉強するのが難しく感じます。まだ適性体重には届いていないので体力も同級生に比べて少なく、心も不安定になりやすいです。病気になってから、人とのコミュニケーションも以前にも増して苦手になり、仲のいい友達以外(特に異性)とはどうしてもうまく話せません。元々口数が少なくコミュニケーションは苦手なので、自分と話していると相手がつまらなそうにするので申し訳なくなります。
そんなふうに過ごしているので、いつも憂鬱な気分が抜けません。進路実現に向けて頑張らなければならないのはわかっていますが、心がついてきません。辛いです。

感想1

私も以前、入院寸前まで体重が減った事がありました。ストレスからひどい胃炎になり、食事をとる事が出来なくなってしまったんです。その時の事を思い出していたのですが、なんだかいつにも増して心の不安定さに拍車をかけていた気がします。心の状態と身体の関係は(内臓的な意味でも)あまりにも密接だと体感した経験でした。ですので、あなたの心と身体の現状に勝手ながら共感しています。
コミュニケーションが以前にも増して苦手になったと書かれていた所で、「特に異性」というのはあなたの中に何か理由があるのでしょうか?理由は無く”なぜか・なんとなく”だった場合にも、もしかしたらですが「相手がつまらなさそうにするのが申し訳なくなる」に繋がるような理由だったりと、あなたも気づいていない様な何かが隠れていないかな…?と考えた私がいました。

なんだか、『いかに良い進路へ進むか!』のような風潮が世の中にある気が私はしていて。
あなたが目指す進路への「頑張らなければ」の気持ちはどこからくるのが一番強いのか、それは、あなた自身が行きたいと思う理由だったり「頑張りたい」の想いとはまた違うのかなぁ…。と可能ならあなたの気持ちを聞いてみたいと思ったんです。
その理由として、
「憂鬱な気分」と書かれていたので、その憂鬱さはどんな時に強く感じるとかあるのかな、「頑張らなければ」と思う時、特に強く感じていないかな、と思って気になったのです。
タイトルの通り、まさに病気と受験で、憂鬱だけでなく「もー!」となる様な事も多いんじゃ…とも想像していました。もしもまた書きに来る事ができたら、あなたの考えや気持ちを書いてほしいと感じています。

感想2

摂食障害によって心身のコントロールが難しい渦中にいながらも、進路やコミュニケーションに対する不安のことなど自身を相対的に把握されていて、スゥーっとわかりやすく入ってくる文章だったのでとても聡明な印象を読ませて頂いて感じていました。(心身のコントロールがままならない時に感情の振幅を少し横に置きながら、理性的に伝えることはとても難しいことだと私は経験上感じているので。。。)

摂食障害を患ったということで、もしかしたら勉学や学校という場そのものへの不安が元々あったや、もしくは家庭や社交不安など、その原因がどんなものであったのかが気になりつつ、復学してから摂食障害と学業を両立させることはとても苦労も多く、心身の負担は大きかったであろうなと想像していました。(私自身はやらなければいけないと思いつつ、頑張れなくて吐きそうになっていた時期があったので、進路のプレッシャーは今もかなり記憶に残っています…。)

そういった摂食障害という自身の心身からくる内面のプレッシャーと国公立を目指して勉強しなければいけない外からくるプレッシャーに加えて、安定しない心身でコミュニケーションの不安と向き合わなければいけないのはかなりの労力を要するように私には思えます。

何を学ぶか、学びたいのか、その場所で4年間何をするのかというビジョンを全く思い描かずに大学に行き、卒業して、結果「在りたい自分」を見出せなかった私からすれば、目指したい未来があったり、叶えたい進路実現の像を持っていることには尊敬の念を抱いてしまいます。ですが、人の進路について安直なことは言えないのですが、様々なつらさや悩みを複合的に抱えて今あなたのコントロールを奪っているのだとしたら、少し立ち止まってみて休んでほしい、そう思う私もいます。

適性体重に届くにも時間がかかるかもしれませんし、不安定な心に左右されながらコミュニケーションへの不安や進路のプレッシャーと向き合うにはさらなる負担となるような気もするので、私があなたの文章を読んで感じた「自分を相対的に見る力」、「冷静に把握できる力」で立ち止まらないにしても、自分の内面の声に耳を傾ける、そんな時間や選択肢があってもいいのかなと私は思いました。

投稿ありがとうございました。

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