経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分を語れない

経験談を投稿できるページがあることを知り、自分も送ってみたいと思った。
つらい経験なら山ほどある。一番つらかったことを、自分の言葉で書くつもりだった。

しかし……

「どんなことを書けば、みんなに認めてもらえるだろうか。」

ふと気付いた時にはそんな気持ちで頭がいっぱいになり、自分を取り繕おうと必死になっていた。
そう、私は昔から自分の本音、つらかったことを人に話すのがとても苦手で、怖い。
自分の言葉で、人を傷つけてしまうのではないかと不安になる。自分の弱音や愚痴に、価値なんてないと思う。そう感じてしまうのは、何となく悲しい。
それに加えて承認欲求がとても強い。学生の頃は、人に好かれたくて何度も嘘をついてしまったことがある。最低だ。

人に見られるかもしれないという前提がある以上、ありのままの本音を書くのは多分無理なのだと実感した。文章を書いている今だって、すでに恐怖を感じている。

言いたいことはあるはずなのに、言葉がまったく出てこない。私はメンタルクリニックへの通院もしているが、先生との会話もいつも命がけだ。

本当は家庭環境について書くつもりだった。でも、何らかの偶然で家族にこれを読まれるのではないかと思うと怖くなった。
不安が強くてごめんなさい。
この文章で私の何かが伝わるかは分からないですが、もし最後まで読んでくださった方がいたら、とても嬉しいです。読んでくださってありがとうございます。
(最後の数行でなぜか語り口調が変わってしまいましたが、何か自分の中で気持ちの変化があったのか…?と感じたのでこのまま送らせていただきます)

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。まるで自分が書いたのか…?と感じるくらい、あなたに対して共感部分が多く驚いている私がいます。「どんなことを書けば、みんなに認めてもらえるだろうか。」私もいつも考えてしまいます。(私の場合は『つらさ』をどう書いたら『この人はつらそう、大変そう…』と認めてもらえるか、があった気がします)
そして今「人を傷つけてしまうのではないか」と思いながらこの感想を書いています。家族に読まれる事を怖がるあなたは、”家族にどう思われるのが怖い”と思っているのかな?と気になりました。
自分について安心して語れる場や相手の少なさ。そして、認められる事こそ凄い・承認欲求強い=良くない。価値の有無。と言ったような社会の考え、そもそもあなたを不安にさせている家庭環境に問題もあるのではないか…と読んでいて私は感じました。
そして、不安が強くてごめんなさいと言っていたその”不安”の詳しい中身についてあなたに聞きたいなと感じています。

私は本音を話すのが苦手ですが、本当は凄く聞いて欲しいし、見て欲しい!!という気持ちがとても強いです……。あなたももしかしたらそんな部分があるかな、どうだろう、また全然違うかな、と考えたのですが、どうでしょうか…?
通院先の先生との会話が命懸けなのも、言いたいのに言葉が全く出てこない自分への憤りだったりもどかしさ、そこから来る苦しい気持ちがどこかにあって命懸けと感じる事に繋がるのかな、と勝手ながらに想像しました。この経験談を書いた時のあなたの気持ちの変化も含めて、また書ける時にここに書きに来てほしいと私は思っています。

感想2

最後まで読みました。きっと、この経験談を書くにしても、「どうみられるか」、「ちゃんと書けているか」気になって、とても命がけで不安になりながら書いたのではないか、あなたにとって「勇気がいる大きな一歩」だったのではないかと想像します。勇気を振り絞って伝えて下さり、ありがとうございます…!
私はこの経験談を読んで、‘‘いつも評価を気にしてしまう”や、“承認欲求が強い”、‘‘本当は家庭環境について書くつもりだった”という点から、もしかしたら、子どもの頃から、「身近な人があなたのいい悪いをすぐ評価して、対応されるような環境」や「ありのままの自分を認めてくれなかった環境」だったのかなと勝手ながら想像しました。
だとすると、「自分を語れないこと」や、「ありのままの自分を出す、または表現すること」は難しいことだろうなと思ったし、「ありのままを出せない抑圧された環境や状態」は、とても投稿者さんに「苦しさ」を与えていたのではないかと思いました。(違ったら、すみません…)
そして、私も勝手に「きっとここまでくるのもつらかっただろうな」、「今までの人生を労いたいな」、「色々今までのこと、今の事もっと知りたいな」、「もっとありのままを認めてくれる、いるだけで良しとしてくれる優しい社会になればいいのになぁ」と思ってしまいました。
まだまだ投稿者さんには、つらかったことなど「伝えたい事」は多くあるんじゃないかなとと思います。また投稿者さんのタイミングで「伝えたい事」を伝えてくださったら、嬉しいです。いつでもお待ちしています。(本当に不安になりながらも、気持ちを伝えて下さって、ありがとうございました…!)

感想3

投稿ありがとうございます。
最後まで読ませてもらって感じたのは「もっとあなたの話を聞いてみたい」ということでした。
どんな風に検索して、あなたはここにたどり着いたのだろうか。
「送ってみたい」とあなたが思ったのはどうしてだろうか。
何歳くらいの方なのだろうか。
「一番つらかったこと」(おそらくは家庭環境のこと)を「自分の言葉」にあなたがしたら、どんな言葉や文章になるのだろうか…などなど、読みながらいろいろな想像を巡らせていました。
そうしたことをお聞きしたいなと思いつつ、そうは言っても、いざ自分の気持ちや伝えたいことを伝えるとなると、それこそそこには「怖さ」が付きまとうものだよな…とも感じます。また、あなたの言うように「人に見られるかもしれないという前提がある以上」あなたが伝えることを「怖い」と感じたり、慎重になることも自然なこと(大切な感覚?)のようにも私には思えます。ただ、あなたからは「伝えたい」気持ちが強く伝わってきたのと、あなたには(メンタルクリニックに行っている話を含めて)つながる力があるようにも私としては感じたので、その気持ちや力がより自由に発揮できたらいいなとも感じました。

最後に「弱音や愚痴に、価値なんてないと思う」というところについて、私も“かつて”はそう思っていたということを共有させていただきます。弱音を吐いても愚痴を言っても解決はしないし、それが何かいい結果をもたらすことはないと私は思って“いた”のですよね。でも“かつて”や“いた”と書いているように、いつしか弱音を吐くことや愚痴を言うことは、私の中でそれはそれで人間っぽいなぁと感じるようになってきました。なので、もしよかったらですが、あなたの弱音や愚痴も、そして「伝えたいこと」もまた書きに来てもらえたらと思いました。

お返事1

感想を送ってくださりありがとうございます。とても優しくあたたかい言葉で、家庭環境のことに触れていただけたり、また伝えたいことを書きに来てくださいと言っていただけてとても嬉しいです。

そして、送っていただいた感想を読ませていただいて気付いたのですが、私は私の本心を知った家族が、傷つく姿を見るのが怖いです。子供の頃、母親に自分の意見を伝えたら怒鳴られる、または母親が泣き出すという出来事が何回もありました。私の感情は人を怒らせる、悲しませるものなのだと長い間思っていました。
あと、子供の頃からずっと、母親の過干渉に違和感を抱きながら生きていました。私と母の関係性を見て、「大丈夫?」と手を差しのべてくれる人もいました。でも、私は「大丈夫です」と笑って返すことしかできませんでした。親に対して違和感を感じつつも、すべて自分が悪いのだと思い込み、家庭環境のことを誰にも相談できませんでした。そんな状態が、成人してからもしばらく続いていました。
今書けることはこのくらいしかないですが、伝えたいことがまとまったら、また書きに来ます!こんな私の文章を受け入れてくださり、ありがとうございました!

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