経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

社会不適合者、ずっと辛い、死にたい

現在高2、通信制高校に通っているものです。
私は中学生の始め頃に起立性調節障害を発症し、入学半年ほどで不登校になりそのまま卒業、全日制高校にはいけないので通信制という選択肢を選びました。
小学生の頃は勉強のできる方で勉強自体も好きな方でしたが、中学校で体調不良で思うように学校に行けなくなり精神的に辛くなってきて、授業が受けられなくなったため学習が追いつかずまた更に追い込まれていき、勉強をやる気力すらなく、そのまま中学卒業しました。
その頃はよく消えてしまいたいと思うことも多く、あまり人生にモチベーションもなく、軽い自殺未遂を繰り返していました。
私自身ビビりなのと、ドアノブの高さもそこまで高くなく、力もあまり加えることができなかったためちょっと苦しい、たまに首に跡が付くくらいで辞めていましたが。
中学卒業して高校に入学してからは環境が変わったのと、色々変わって辛くなることは中学の頃ほど多くはなくなりました。
その後、今年度に入って高2になったので大学受験or就職の準備が色々始まりました。
自分の高校の中では通信制なのもあり周りと比べたら成績がいい方なので、受験を勧めてくる先生も多く色々考え始めていたのですが、学内の成績がいいとはいえ大学には届かない学力なのと、人生にも進学にもモチベーションがなくそもそも大学で学びたいものなど無く、家があまり裕福ではなくもし行くとなっても大学の学費は借りて払うことになるのでそれに対しても抵抗があるため、進学はしない事に決めました。
ですが、起立性調節障害なのもあり就職して毎日働くということも不可能だと思っていて、そっちにもモチベーションがありません。
この高卒後の事をここ数ヶ月で色々考えていくうちに自分はただの社会不適合者だから、生きてる意味、価値ってなんだろうってよく思う
やりたいこともない、できることも無い、生きるモチベもない
こんな苦しい中なんで無理をして生き続けなければ行けないのか
年末近くから本当にずっと苦しいです
好きだったゲームも楽しくなくなってきてモノに対して楽しさとか、これのために明日も頑張るみたいな生きがいとか、ほとんど分からなくなりました
ゲームとか、好きなことしていて楽しいこともありますが、1年前ほどの安定していた頃より楽しさも楽しいと思う回数も減っていて、ずっと頭にもやがかかっているような
時々忘れられたとしても苦しいです
私は通信制ですが、週2,3回登校して授業を受けられるコースを選択していて、それとは別に単位を取るためのスクーリングという投稿週間が年2回あって、高2の2回目のスクーリングが1月の半ばに終わりました
年末からずっと苦しい中無理して約3週間テストも込みで1日も休まず行って無事終わったのですが、燃え尽き症候群のような感じでもう何にもモチベがありません
スクーリングが終わっても週3回の通常授業はあるのですが学校に行く気力もなくもう一週間強は行ってません
アルバイトもしていて、そっちは休んでしまうとまずいので週2回ほど行ってますが辛いし死にたいし正直辞めたいです
死んで事実的に辞めたことになるか、死ぬ決意をしてバイト辞めるか
死にたいと思わない日はもうずっとありません、ずっと辛いし生きていたくない
これだけ自分が死にたいと思っているのに決心できず死ねない自分が嫌いです

感想1

投稿ありがとうございます。体調が辛い状況で、精神的にも追い詰められるところがあっては、勉強のモチベーションを保つことはかなり難しいと思います。気力を持てないこと自体もストレスなのではないかと思いますし、そういう自分を責める気持ちが湧いてくることもあるのかも、と思いました。また楽しめることが減ってしまって、自分の心を落ち着けるのも難しかったりするのかな?とも思っています。

私も中学生の時に起立性調節障害の診断をされて、不登校になり、勉強にはついていけなくなり、その中で日々死にたい気持ちがあって…ということがあったので、重なる部分があるなぁと思いながら読んでいました。体調が悪くて思うように体が動かないもどかしさも強くあったのですが、あなたは今もそういう日々が続いているのでしょうか。
その状況で、進学にもモチベーションがわかないし、就職にもイメージがつかないというのはもっともなことかなぁと思います。

といっても、私はその状況があなたが「社会不適合者」だからではないと強く主張したい気持ちがあります。そして、あなたのせいではないということも伝えたいと思いました。
問題はあなたが今困っている状況のときに、あなたにそう思わせる社会のほうにあると思います。社会は常にすべての人間のためになければいけないし、そのための仕組みとして意味があるものだと思います。それなのに、あなたを「不適合」と思わせている社会は自己責任論を押し付ける有害な状態なのであり、社会の方が「不適合」だと思います。

あなたが苦しいのは、高校卒業を控えて、なんらかの「その先」のイメージを固めなければいけないプレッシャーがかかっている状態だからかなと想像しています。また燃え尽き症候群のような感じと書かれていましたが、人は(というか生き物は)常に緊張して頑張ることを続けられるようにはできていないように思います。だから、たくさん頑張った後に(自覚的には十分すぎると感じるくらいに)休む必要があることは少なくないと思います。

バイトを辞めることを伝えるのもかなり勇気がいる状況なのでしょうか。私は30代で今にいたるまで相当多くの職場をやめているので(それがいいこととも思わないですが悪いとも思わないです)今では退職を伝えるのにも慣れましたが、最初に辞める時はすごく不安だったことを思い出しました。無理して続ける必要は基本的になにもないと思いますので、あなたが辞めたいと考えているなら、負担が少ない形で辞められたらいいなと願っています。

ちなみに仕事のことでいうと、私の場合でしかないですが、私は今、平日毎日働くことはしていなくて、働けるタイミングでちょこちょこ働きつつ生きています。働いていなかった時期もそこそこあります。私の他にも、体調やその他のいろいろな都合で、毎日は働きづらいけど、少しなら働けるという人はいると思います。本当はもっとそういう選択肢が増えて、もっとそれが当たり前になればいいと思います。
まずはあなたがゆっくり休めるといいのですが、休むのもそれもそれでしんどかったりするでしょうか?こういう過ごし方だったら比較的まし、みたいなことがあれば、よかったら教えてください。

感想2

投稿読みました。起立性調節障害を発症したことがきっかけで体調の悪さもさることながら、精神的な負荷が相当かかってしまっている状態であるのだろうと想像しています。それによって生活や学業など様々な場面に影響し、自身が思い描いていたものとはかけ離れた現状も生きるためのモチベーションを持つことができないことの一因になっていそうだなと私は感じました。起立性調節障害ではないですが、私も精神的に調子を崩してしまうと身体が動かなくなることが多いので、動きたい気持ちはあっても思い通りにコントロールができないことへの焦燥感や不安感、自分の無力感を思い返し、全てではなくてもあなたの抱えている苦しさに勝手ながら共感しています。
タイトルにも文中にもある「社会不適合者」という言葉、あなたが自身にそう思っていること自体を否定する気持ちはないのですが、どうしてもそう思わざるを得ない状況に追い込んでいるこの社会の在り方に疑問を抱いてしまいます。社会の「こうあるべき」という一定の基準(価値観)が、やりたいことも、できることも、モチベーションもない自分は生きている意味も価値もないと感じてしまうあなたの苦しさに繋がっていると感じますし、それは決してあなたが悪いとかあなたに問題があるというわけではないと私は思いました。
きっと常に自身の無力感と目に見えないものも含めて現実的に迫ってくる(と感じる)ものをこなさなければという焦りで日々葛藤しているのかなとも想像し、そうだとすると将来のことを考えたりそもそも自分と向き合うという余裕が持てるわけがないよなとも思ってしまいます。
複数の事柄が重なって何をしていてもずっと辛さや苦しさが続いているようにも感じました。もうしばらく通常授業を休むことなのか、バイトを辞めることなのかそれとも他のことなのかは分からないですが、何か一つでも負荷になっているものを解消できると多少心持ちが違ったりするのかなと感じ、苦痛や恐怖感は伴ってしまいますが自分からその負荷になっているものを手放す勇気を持つことも必要なのかもしれないなと私は思いました。(難しいことだというのは承知の上で・・・)
死にたいと思わない、思わなくていい日が一日でもあなたに訪れること、心休める時間(何も考えなくていい時間)が少しでも確保できることを無責任ではあるのですが願っています。また死にトリが必要に感じられたらいつでも参加してほしいなと思っています。経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

感想ありがとうございます。
最近気分の起伏が激しく、経験談を書いた時はとても沈んでいたので社会不適合者などのネガティブな表現が多く、それに対して私自身が社会不適合者ではないと意見してくださったこと、ありがとうございます。
お二人の感想から、起立性調節障害と向き合いつつ、身体に負担がかかり過ぎないようなんとかやりくりして行くことが大事なのかなと感じました。
起伏が激しい中、気分を安定させてそれが出来るかどうかはわかりませんが、負担を減らすことが出来ればまだ安定しやすいのかなと思っています。
何をしても楽しくない時期は越えて、今は多少楽しんだりすることが出来るようになったので、自分の楽しめるものをやりつつ、家で休んでいるとしても家事を手伝うことや兄弟の面倒を見るなど、なにか役に立つことをして何もしていない劣等感から避けることが今自分にとって1番楽で負担にならないのかなと、この生活をずっと続けられはしませんが。
まだまだ精神的に不安定で、死にたいとよく思いますが、生きているうちは無理しすぎずなんとかやっていこうと思います。改めて私の文章が拙い中お二方の感想、ご意見ありがとうございました。

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