経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

父のこと、母のこと

今年80歳の父は片手に障害をもっている。子供のときに囲炉裏に手を突っ込んで…という、野口英世と同じような状況を想像してみてもらえばいい。火傷で癒着した状態も同様である。
家族には頑なに隠していて、自分も知ったのは脳梗塞で父が倒れたときであった。
(常に手袋みたいなものをしていて隠していた)

そのため、父は自動車免許が取得できなかった。今の時代や都市部ならともかく、昔の地方、田舎、農家で自動車免許がないというのは、想像以上のハンデとなると思ってもらいたい。就職や人間関係で相当苦労したと思う。
さらに母親も免許をもっていなかったため、家には車がなかった。
そのため子供の頃はそのことで揶揄されたことも多く、自分たち兄弟ともにそれはコンプレックスとなった。実際、他の家ではドライブ、車で買い物は当たり前だったのに自分たちはそれがなく、近所の人に乗せてもらったり、バス移動しか手段がなかった。
自分が免許を取るときにも、普通なら親から教えてもらえるはずの車のことも全く分からず、かなり苦労してAT限定で取るのがやっとであった。

父は苦労をあまり語らず、DVなどもしなかったが収入は安く、食ってはいけるがあまり余裕もない、その程度の暮らしであった。まあ免許がない時点で会社での扱いも想像できる。
大学までいける余裕はなかったが、それでもなんとか我々兄弟を育ててくれた。
その点についてはたとえ小さくとも、誇れる父であったと思う。

その父が脳梗塞で倒れ、心を病み、要介護状態となって10年以上となる。
母親が介護しているが、せん妄が酷い上奇声を発したり、夜ごと動き回ったりとかなり苦労している。
父親以前にも祖母が寝たきりとなり介護をしつづけ、祖母の介護中に父が先述のような事となったため、一時期は要介護が2人いる状態だった(祖母は他界した)
祖母の時から遡ると、自分が中3のころからだからもう30年以上介護をしている。
その母も、年老いて体が弱り、通院を繰り返している。

自分は祖母のころからせめて家の助けに、負担をかけないようにしようと、家から通えるところへの専門学校へ通学、地元企業就職を選択した。
まあ自分もそんな学校を選べるほどの学力があったわけでもないが。
一時期家を離れ、一人暮らしを始めても通院や世話などでしばしば実家に戻っていた。
会社に遅刻したり休んだりしたこともあった。

昨年会社での人間関係により長年勤めてきた会社を辞めた。辞めさせられた。
色々疲れ切ったので、実家に戻り、両親の世話などをしている。
通える範囲で仕事しようと職を探すが年齢から良い条件が見つからず、
手に職をつけるため職業訓練校に通い始めている。
しかし、通い始めてから両親の世話で休まなければならないことが増えてきた。
訓練校の関係上、一定期間休むと退校せざるを得なくなる。
一日休めば実技の習得も難しくなる。

…いつもこうだ。
自分は自分の人生を歩めてきただろうか。
中学受験の頃から介護で家に余裕がなくなり、選べる学校も消極的に選んで、
キャリアアップやいい生活をしようと転職も考えたが、家から離れることもできず。判断を先送りに、年もいってしまった。
何かをしようとすると、様々なことがおこりつまづく。

父は入退院を繰り返しているが身体的には健康で、そのぶん徘徊やせん妄、奇声を発し家では家族が安らぐことはない。介護している母のほうが弱ってきている始末。
かつては自分も結婚など考えたが、こんな父の世話などさせるわけにもいかず諦めた。
先述したとおり、かつての父は貧しいながらも家族を養ってくれた存在であった。
しかし、介護10年以上ともなると、過去の思い出など今の苦労に上書きされてしまう。もう今は別の感情に塗り替わってしまった。
苦労した母親をいつか旅行に、と思っていたがその願いも叶えられそうにない。
母も疲れ切って体力気力もつき、どこか行こうと誘ってもその気もなくなっている。
兄もなにかと苦労している上、気性がきついため家では母親と大声で言い争っている。
そのため自分は仲裁や裏方に回ったりしている。

…ぶっちゃけ家に一日中排泄物の臭いがして話が通じない人がいる状態ってどうおもいますか。
しかも動き回り、大声で喚き散らす。
こんなのだから入院しても他の患者に迷惑かけたり、施設入居も難しい(なにより金がかかる)
今や父は家族の負担でしかない。母が先に亡くなったらどうなるのか、といつも考えている。就職はどうするべきか、また働けるのか。
もう手段を選ばなければならないのか

…それでも、過去のことを考えると、父は少なくとも、家族に苦労をかけたが、
不幸にはしなかった。
様々な苦労や負担を抱えつつ、働き続けた。
そんな父の終末がこんな状態などと思うと、様々な感情が混ざり合いグチャグチャになる。
少なくとも、父は真面目な働き者だったはずなのに。

そして、ここまで書き続けてみたが、
自分はどうなのか。
様々なことを家のせいにしてあきらめグセがついていないか
偉そうなことを言っておきながら、なにかと家族を理由にしているだけではないか。
なにかを自分で選んだのか、自分の人生に向き合い、見つめることを放棄していないか。
向き合うだけの度胸も勇気もないただのヘタレのマザコンじゃないのか。

今無職の、迷っているふりしてるだけの甘ったれがここにいる。

感想1

中学校の頃から30年以上も介護がある日常を過ごしてきた葛藤と本音が痛いほど伝わってきました。私も状況は異なりますが重度の障がいがある子どもの世話を30年以上していて、この先も自分が決意をもって手放さない限り介護は死ぬまで続くだろうという立場にあるので、自分の葛藤とも重なりました。
さらに、あなたの場合は強い行動障がいを持つ人の介護ですから、その苦労と葛藤は計り知れないと思います。父の人生を労い、支えたい気持ちも本当だろうと思いますし、こんな暮らしはもうたくさんだ、負担でしかないという気持ちも本当だと思います。また、あなたも心配しているように、お母さんの負担や心労も気がかりです。
日本は子育てや介護は家族がすることが前提になっていて、福祉サービスはありますが、必要な人が気軽に使うことができる状況にはないと思っています。そして、障がいが症状が重い人、難しい人ほど実は使えないという矛盾した現実もあり、家族を介護する人(子育てをする人もそうかもしれません)は世の中から見捨てられているのではないかと感じることもあります。
あなたが最後の方で、自分自身に視点をあてて書いているのが印象的でした。「こんなふうに思う自分って何なんだろう?」「自分の人生って何なのだろうか?」私も日常の合間のふとした時によく思い浮かぶ問いです。そして、そう感じてもすぐに日常のやるべきことに追われて問いは問いのまま残り続けます。あなたがそうなのかは分かりませんが、あなたの経験談を読み、私はいろいろと考えています。
最後に、もし福祉や医療に委ねたいという希望があるのなら、ためらう必要はないと私は思いました。経済的な課題があるとのことですが、対応策はいくつかあると思います(例えば、世帯分離をしてお父さんだけ生活保護を受けるほか)。追い詰められていくと、視野が狭くなり、自然な選択や思考が難しくなるので、介護について話せる機会や存在があることを願っています。

感想2

経験談の投稿をありがとうございます。

冒頭の文章をはじめ、父のこと・その苦労を「想像してみてもらえれば」というあなたの思いが端々から伝わってくるのと同時に、現実の苦しさによるあなたの「ぶっちゃけ」の思いも強く伝わってきました。日本社会の家族主義の限界も(改めて)強く感じたことから、私自身も「様々な感情が混ざり合いグチャグチャ」となりながら、感想を書いています(読みにくかったらすみません)。

あなたと経験は異なりますが、私もこれまで「何かをしようとすると、様々なことがおこりつまづく」という経験を私なりにしてきて、その都度「いつもこうだ」といった思いをよく抱いてきました。そのせいか、いつの日からか私は自分の意志でなんとかするという生き方よりも、流れに身を任せて生きるようになっていったような気がします。その意味で、「自分は自分の人生を歩めてきただろうか」というあなたの問いは私にとって印象深いもので、思わず文字を打つのをやめて考えてしまいました。
ただ、あなたの場合には子どもの頃から30年以上の介護をしてきたということで、仮に流れに身を任せるとしても、その環境の中でなんとかやりくりするしかなかったことが多かったでしょうし、ましてや「自分の人生を歩む」ということは決して容易なことではなく、問うては現実に戻され、また問うては現実に…といったものだったのではないかと想像します。それにもかかわらず、あなたは「自分の人生を歩む」ことの難しさをあなた自身の学力や「あきらめグセ」、「度胸」や「勇気」のせいとして、自身を責める、ないし、罰しているように私には見えましたが、率直に(仮にそういった要素があなたにあるのだとしても)あなただけのせいという話で収まるものでは全くないと私は思います。

昨今、「親ガチャ」や「家族ガチャ」という言葉をよく耳にするようになったように思います。これらの言葉は、家族のことは家族でなんとかするべき、あるいは、家族は“ふつう”助け合い、温かいものであるとする社会-つまりは、家族主義・自己責任論が強固な社会-において、そうではない家族、そうしたストーリーで安易に語れない家族で育った人たちの封じられそうな思いを、なんとか代弁しようとする中で生まれた言葉ではないのかなと私は考えています(実際はどうか知りませんが)。もしそうだとするならば、そんな社会はおかしいと、社会に問う言葉としてそうした言葉がハッキリと使われていることについて私は向き合い、考えていたいですし、あなたのしてきたような経験から社会を見つめ、変えていきたいと思わされるばかりです。一方で、あなたがそうした言葉を使わずに家族や自身のことを語る姿(文章)からは、あなたがそれでも生きてきたのだ、という証を求めているような気が私にはしています。だからここに書きに来てくれたのかなと勝手に想像し、奮い立たせようとするあなたを受け止めつつも、何より私はあなたには自身を罰せずにいてもらいたいといった気持ちが湧いてきています。
とはいえ、現実問題として、目下、家族の介護等は相当大変な状況にあるのかなと思います。すでに様々な福祉サービスを利用されているかとは思うのですが(そしてそれが足りない社会だから苦しんでいるのかとも思いますが…)もしかしたらあなたが知らないサービスがあったり、制度の狭間を一緒に考えてくれる機関や団体などもあるかもしれないので、必要に合わせてそうしたものとつながってほしいなと思いました。自治体や福祉施設などで親身に相談に乗り、一緒に考えてくれる人はいないだろうか…と思うのですが、どうでしょうか(そうした出会いもまた難しいものであり、歯がゆいのですが…)。
最後に、あなたの仕事等についてはそうした環境に少し目途が立ってから考えていくのもひとつではないかなと私は感じましたが、焦りもあるのかな?とは想像するので、このこともひとりで考えるのではなく、信頼できそうな誰かと一緒に考えていけたらと願う私がいます。働く(働かないことを含め)にも多様な選択肢があるものであり、「自分の人生」としてのそれは何かをあなたが考えられたらいいなと願っています。そうした話も聞けたらとも思うので、必要に合わせてよかったらまた書きに来てください。

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