経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きる意味

<思ったことを書いているだけなので、非常に読みにくいです>

死にトリや、他のサイトの経験談を読み、自分が本当に恵まれていることを知った。
そんな私が、「死にたい」と思うだなんて、贅沢だと思う。
毎食食べられて、学校にも通えて、友達もいて、定期テストも450は取れて。
そんなやつが、死にたいなんて、言っちゃダメだと思ってしまう。

私が「死にたい」と思う理由は、学校、社会の空気だ。
なんか、どす黒いオーラが街中を覆っている。
こんなことを言ったら、「何いってんのこいつ?」と思われるので、言ったことはない。
私のいうどす黒いオーラというのは、悪口、陰口、表面上の平和。
負の感情がこの世に溢れている。
人の陰口にいちいちビクビクし、自分が言われてるんじゃないかと恐怖に陥る。
被害妄想なのだ。所詮、ただの妄想。だが、本当にそうだろうか?
そのうち人と喋ることが難しくなり、人と喋れない自分が嫌いになる。
そんな悪循環が、ずっと続いていて嫌になる。
部活は、吹奏楽部に入っている。
先生と一対一で教えてもらう機会があったのだが、怖すぎて、泣いてしまった。
先生は優しくて、「泣かなくていいよ、大丈夫」と言ってくれたけど、
涙は全然止まらなかった。
先生の目を、それ以来直視できていない。
ある日、先輩たちに打ち上げに誘われた。
絶対に行きたくなかったから、色々と理由を述べて断ったら、
「空気読めよ」って小声で言われた。
怖かった。
また、生きる気力がなくて全然ご飯を食べれなかったら、
お母さんにすごい嫌そうな顔をされて、その夜両親に怒られた。
私に味方は、いるのだろうか。
その考えが、私の頭の中でぐるぐる回っていた。
学校で、習い事で、家で、笑顔を貼り付けて、言質を取られないようにして毎日を生きる。
ろくに食事を取らないせいで毎日体調不良。
両親に怒られるけど、このまま死にたいと思うから、食べない。
この生活は、生きているというのだろうか。
つらい。
この言葉では表せないほどの感情を抱えて、これからも過ごすのか。
このままではいけないのだ。

ろくにご飯を食べずにいたら、当たり前のことだが、熱を出した。
ずっとそういう生活をしていたせいで、病院の先生にも「ちゃんと栄養とってください」と言われた。
月曜日、学校を休めて、布団にくるまってホッとした。
一日中だらだらして、体は良くなった。
でも、お母さんに愚痴をずっと言われる。
火曜日、嫌で仕方がないけど学校に行った。
そこには、「〇〇大丈夫やった?」「元気?」と言ってくれる友達がいた。
貼り付けた笑顔じゃない、全てを包み込んでくれそうな、優しい笑顔。
ずっと無いと思っていた居場所が、ちゃんとそこにあった。
同時に、その友達にとっても大事な居場所となれるように、頑張ろうと思った。

生きていく上で、つらいこと
・社会の雰囲気

生きていく上で、嬉しいこと、楽しいこと
・本を読むこと
・友達と喋れること

私は、社会が嫌いだけど、社会が好きなのだ。
社会の雰囲気に殺され、また生かされてるのだ。
生きていく上で、楽しいことだってある。
感情が溢れそうになっても、受け止めてくれる人がいる。
だから、今を精一杯生きていく。
もちろん、「死にたい」って思うこともあるけれど、
「生きたい」という気持ちを大切にしていきたい。
ちょっとずつ、改善していって、死ぬときに笑って振り返れるようになりたい。

感想1

投稿ありがとうございます。まず一読して「社会の雰囲気に殺され、また生かされてるのだ」という言葉が印象的でした。きっとあなたは感受性が豊かな方なんだろうなと思いました。あなたは家でも学校でも「空気」を読み取りながら、それに合わせて振る舞うのも大変で、その状況に疲れているのかなと想像しています。
「負の感情がこの世に溢れている」というのは私もそうだなぁと思います。あなたが書いている「負の感情」「どす黒いオーラ」というのは、よくマイナスだと言われるような、悲しみとか苦しみ、怒り、みたいな感情そのものというよりも、人に過度に勝とうとしたり、悪口などを言ったり、蹴落としたりしてまで、自分の立ち位置とか強さ(?)とかを重視するような心のことをいうのかなぁと想像しました。それによって、悲しいことや苦しいことが増えているようなこともあるのかな?とも思いました。(的外れだったらすみません)
「空気読めよ」という言葉を読んで、ものすごく怖い!と思いました。それは同調圧力と呼ばれるものだと思います。私はそもそもあなたが空気を読むとしても読まないとしても、自分を曲げて合わせる必要はないと思うのですが、コミュニティの中で同調圧力が強いと、それが許されないことがあるのかなと思います。
その中で、あなたにとって大切な友達もいるということで、勝手ながら安心する気持ちにもなりました。
「生きていく上で、つらいこと」の中に書いている「・社会の雰囲気」ですが、例えばクラス全体を見た時の「雰囲気」と、その中の数人が話しているときの「雰囲気」も違うように思いますし、同じ人が所属していても、別のコミュニティには別の雰囲気があったりする気がします。
あなたもあなたの友達も「社会」の一部でもありながら、おそらくあなたと友達の関係には「どす黒いオーラ」以外の雰囲気もあるのかなと想像しています。あなたにとってそういうあなたが過ごしやすい雰囲気の場所、コミュニティ、関係が少しずつ見つかったらいいなと思いました。
また、「本を読むこと」が「生きていく上で、嬉しいこと、楽しいこと」にあげられていて共感しました。(私は自分にとって居場所だと思えるような場所が現実でうまく見つからない時、本の中に見つけてきたような気もします)
「生きたい」も「死にたい」もあなたの自然な感情だと思いますし、「生きたい」の中にも「死にたい」の中にもその時々でさまざまな感情が含まれているような気がします。そのどちらも否定する必要はないと私は思います。

感想2

投稿ありがとうございます。
あなたの経験談の前半と後半とで少し違う感想を抱いたので、分けて書かせていただこうと思います。

〈前半「怖かった」までの感想〉
自分のことか?と思いながら、読み入ってしまいました(読みやすかったです)。細かい部分は違うのですが、つらさの根本的な部分にとても共感でき、読みながら深くうなづいていました。特に「死にたいなんて、言っちゃダメだと思ってしまう」という話や「私が「死にたい」と思う理由は、学校、社会の空気だ。なんか、どす黒いオーラが街中を覆っている」「負の感情がこの世に溢れている」という話は、私も経験してきた・感じてきたことで、なんだかあなたに代弁してもらえたような気がしました。
私は環境的に「恵まれている」立場にいるのだろうという自覚があり、「死にたい」という思いを(まさに!)言ってはいけないと思っていたことがあります。また、私は今いわゆる地方に住んでいるのですが、都内周辺にいたときは特に世の中に溢れる「負の感情」や「どす黒いオーラ」それこそ「表面上の平和」などを感じてぐったりすることが多くありました。このことを理解してくれる人は当時誰もいなかったので、あなたのこの文章を当時の私に見せられたらどんな風に思ったかなどと勝手に妄想してしまう私がいます。あなたのその感覚は生きづらさにもつながりますが、私はまっとうであると思うので、無理のない範囲でその感覚を持ってあなたには生きていってほしいなと感じました(押し付けがましかったらすみません)。

<後半「また、生きる気力がなくて~」以降の感想>
あなたは「生きる気力がなくて全然ご飯を食べれなかった」時に「お母さんにすごい嫌そうな顔をされて、その夜両親に怒られた」と書いています。私はこの部分に引っ掛かってしまいました。「生きる気力がない」とあるように、食べられない時というのは身体や心がSOSを発している時なのかと私は思うので、食べられないという意思表示はとても大切なことのように感じています。それなのに「怒られ」てしまってはどうしていいかわからなくなるし、その環境は「恵まれている」と言えるのかな?と疑問に思ってしまいました。もちろん、人は生きるために食べることを必要とし、もしかしたらあなたのご両親は心配からそうした態度を取ったのかもしれません。ですが、食べられない状況を食べられるようにするために必要なのは「怒られる」ことでも「愚痴を言われる」ことでもないと思います。私はあなたが「笑顔を貼り付け」なくてもいい時間や空間に身を置けるといいなと思い、そのためにはどんな環境が必要なのかと考えたくなりました。

最後に、あなたは生きていく上で「つらいこと」と「嬉しいこと、楽しいこと」を明確に書いています。そうした整理ができるあなたの力に敬意を表しつつ、私も「本を読むこと」が楽しいと感じる人なので、いつか機会があればあなたのおすすめの本や印象に残った言葉などをお聞きしたいなと思いました。社会を苦しいと感じたり「死にたい」気持ちがやってきたりしたら、よかったらまた書きに来てください。ちなみに、今私は恵まれていようといなかろうと(そもそも何をもって恵まれているとするかという議論もあるかと思っています)「死にたい」という気持ちはあっていいし言ってもいいと思いながらマイペースに生きています。今後も本を片手にそうやって生きていこうと思っています。

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