父親が怖い。暴言吐かれそう。人と目を合わせたら目を離してしまう。
そんな自分が嫌い。だからって死ぬのは怖い。でも死ぬのが嫌で生きるのはダサい。
存在しない存在でいたい。友達からも忘れ去られてしまいたい。
跡形もなく消えてしまいたい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたくないけど生きていたくない
感想2
短い文章の中に、父親に対する恐怖とどうしようもない(と感じる)現実への絶望のようなものを感じました。「暴言吐かれそう」ということは、実際には暴言を吐かれていない可能性もありそうですが、その予兆を感じる時点で、あなたにとって父親が安全とは程遠い存在であることが伝わってきます。離れるのはなかなか難しいのかなと想像されたので(どうでしょうか?)あなたにとって安全な人や場所が他に少しでもあればいいな…と願わずにはいられません。あなたがどのような環境(状況)にいるのか、とても気になっています。
あなたは「死ぬのが嫌で生きるのはダサい」「友達からも忘れ去られてしまいたい」と書いていますが、私もかつてそれに近い感覚を抱いていた時がありました。そう思いながら改めて読むと、あなたのつけたタイトル「死にたくないけど生きていたくない」こそがあなたの本心なのかなと想像する私がいます。あなたがそんな「自分が嫌い」と思うのも「ダサい」と思うのも私は受け止めたいと思いますが、少なくとも、あなたがそうした思いの中で生きてここに書きに来てくれたことはダサくないし、敬意に値することだと私は思います。
ちなみに…私たちはよく「話を聞くときは目を合わせるように」などと言われると思いますが、私は学生の頃に他人と目を合わせる実験(1分間だったか、無言で目を合わせ続けるという実験だったと記憶しています)をやったことがあります。その時に人と人が目を合わせるということがいかに難しいことかを学び、「目を合わせて話を聞け」というのは話を“聞かせたい”側の理屈に過ぎないのかなと思ったことがありました。あなたの投稿を見て、その時のことが思い出されたので共有させていただきました。よかったらまた書きに来てください。投稿ありがとうございました。
感想1
短い文章の中から、あなたの抱えている苦悩が詰まっているように私は感じました。詳しくは書かれていませんが、お父さんのことや周囲の人との関わりで気の休まらない日々を過ごしているのではないだろうかと想像しています。
死にたいというわけではないけれど、「存在しない存在でいたい」「跡形もなく消えてしまいたい」という表現から、自分をとりまく世界からどこか逃れたい思いもあったりするのかなと思いましたがどうでしょう。死にたいとは違うけれどそれに近い表現や「生きるのは“ダサい”」ということについて、私はもう少しあなたの感じていることを詳しく聞いてみたいなと読んでいて感じました。良ければまた、死にトリにあなたの思いや考えを届けてほしいなと思っています。経験談の投稿ありがとうございました。