経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

虐待されていたのか分からない

 幼い頃、保育園の迎えから夜中近くまで、ベビーシッターの家に預けられることが多かった。歯科の通院の時もベビーシッターが付き添っていた。
 ベビーシッターの家には旦那がいた。その旦那はよく私を布団で閉じ込めたり、覆い被さって身体をベタベタ触ったりしてきたことを覚えている。私はその時泣き叫んだり、何も反応しなかったりした。
 私は小学校に上がっても人と関わることを拒絶していた。そして学校のルールや教師の言っていることがよく分からず、勿論同級生が話す言葉も全く理解出来なかった。
 宿題もやったことがなく、毎回怒られても相手がなぜ怒っているのかが分からず、教師が大人しくなるまでぼーっと眺めているだけだった。
 私は早々に嫌がらせを受け始めた。私自身はあまり覚えていないのだが、下校時に被る黄色い帽子にバカだとか死ねだとか、油性マジックで書かれていたらしい。また悪口を書かれた紙を机の中にねじ込まれたりもあったらしい。
 そして高学年になるとそれはひどくなり、教師も私に「お前のせいでみんなが迷惑しているのよ」と同級生達がいる目の前で罵った。そしてレクリエーションの日になにか理由をつけられて私は机と椅子で組まれた柵の中に閉じ込められた。しかし、当時の私にはそれが私に苦痛を与えるための悪意のある手段だとは分からなかった。
 この頃から私の両親は私の世話をあまりしなくなった。両親がギャンブル依存症になり、私は風呂にも入らず食事も気まぐれにしか与えられない。
 そして給食を食べるためだけに学校へ行き、食べ終わると片付けて脱走して帰るような生活を送っていた。帰っても家には真夜中まで私一人しかいないので、親のいるパチンコ屋に屯することもあった。勿論、このルーティーンをこなすための服がないことも多々あった。
 元々夫婦喧嘩は激しい方ではあった。私は両親を止めるために泣きじゃくって子供なりに説得を試みようとしたり、この頃から見え始めた壁から入ってくる女性の幻覚と会話したり、そうやって時が過ぎるのを待っていた。
 そしてある日の夫婦喧嘩で、父親は自身の腹部に包丁を向け、自殺を試みた。刺すことは無かったところまでは覚えている。そこから中学卒業までの記憶がおぼつかないのだ。
 高校時代、私は母に幻覚が見えることを告げた。そして精神科で統合失調症を疑われ、抗精神病薬を処方された。呂律が回らず苦しんだが、幻覚や情緒不安定さは消えず、問題は増えていくばかりだった。
 数年後に私は入院を機に別の医師から診察を受ける。これが今の主な診断になる。
 知的障害を伴わない自閉スペクトラム症、解離性障害。知能検査をした際に、言語に関する分野が特に強いことが明らかになったが、まさか周りの言っている意味が理解できない理由が、自分が言語に特別強いからだとは思っていなかったので、衝撃を受けた。
 その時、私は今までずっと自分を知的障害者ではないかと疑っていたので、そうではなかったことにもまた驚いた。(ただ、ワーキングメモリーと処理速度は知的障害境界に値するほど低いので、何かしらの発達障害があることはほぼ間違いないことは判明している)
 父は国立大学出身で、勉強が生き甲斐というような人間だ。私はそんな父のように生きることを強いられていた。両親は勉強はできて当たりまえで、出来ないのは怠けているからだという認識を変えられなかった。
 今から5年ほど前が一番苦痛が強かったと思う。給食に行きそびれた日にご飯が食べられない苦しみや、父が大量のポルノを所持して隠しもしない実家、そこで怒鳴られ蹴られものを投げられ罵られながら自宅学習をさせられていた頃、夫婦喧嘩をする両親がそのまま脳から蘇ってくる。
 そうなると動けなくなるか、逆に自分をどうにかしてしまおうと家中を徘徊することになる。これがフラッシュバックというものだと知ったのはつい最近のことだ。
 解離の症状で大事な物が勝手に捨てられていたり、夜は特に調子が悪くなり意識を失ってしまう。どうにもならなくなり入院すると私は一層荒れ狂い、面会に来た母親や彼氏を罵り暴力を振るった。何でそんなことになったのか、今では全く覚えていない。
 人間関係は破綻して、知らない人に名前を知られていて友達だと名乗られた。瞬きした瞬間に次の場面にはどうなっているのか分からず、数100kmも離れた知らない場所にいた事もある。
 私の人生は何も分からないままただ場面が切り替わっていく、虚ろなものなのだ。離人症というらしいが、自分自身の身体にサランラップが巻かれているような不快感が毎日続いている。階段を歩けば雲の上を歩くようで、足を踏み外したり腰を抜かしそうになる。
 未だに父からは「お前は演技している」「努力していない」と言われ続けている。私に死ねと罵った母は「あの時のことは忘れてくれ」とお使いでも頼むような態度だ。
 一番辛い時期は確かに脱したかに思える。しかし、何をしたら私は世の中に罵られずに済むのか、どうしたら存在を許してもらえるのか、未だに全く分からない。
 そして私は虐待を受けていたかすら分からない。私はひとつの家庭でしか育っていないから、それが普通だと今まで思っていたからだ。

感想1

投稿ありがとうございます。明晰な文章の中にあなたの混乱や戸惑いが現れているようで、「一番辛い時期は確かに脱したかに思える」と書かれている現在まで続く苦しみや困難(という言葉で表し切れるものでもないと思いますが)を感じました。
書いてある出来事の一つ一つはあなたが鮮明に覚えていることもあれば、自分の記憶としてはあまり思い出せないこともあるのかなと思います。「虐待を受けていたかすら分からない」と書いてありますが、書かれていることからは虐待という定義に十分当てはまることが多分に含まれているように私は思いました。ただ、そう考えてみると、むしろ虐待という言葉はあまりにもシンプルであり、漠然としていて、あなたの身に起きた現実的な苦痛を説明するには不十分だとも感じました。言葉というのは基本的にそういうものであるかもしれませんし、経験談のように様々な言葉を用いながら表現するのかもしれません。ただ、一言で括るには難しすぎるからこそ、あなたにとって日常であった生活が虐待なのか否か、あなた自身には判断がつかないと感じるのかもしれないと想像しました。また、あなたが医師の診察を受け、自分の置かれてきた状態や自分自身の状態が、世間的にはどういう名前がつくのか、それがどういう原理のことなのか知ったとき驚いたと書かれているのも無理はないと思いました。(色々推測で書いてしまいましたが、違っていたらすみません)

あなたが暮らしてきた状況の中で、解離はあなたの身や心を守るための一つの生存手段だったのだろうと想像しています。大人からの暴力、家庭環境のさまざまな問題だけでなく、学校でも理解できないことの中で怒られたり嫌がらせをされたりして、あなたにとって逃げ場になる場所があまりなかったのではないかと思いました。そもそも学校は同調圧力の強い環境であることが多く、もともと多数派と違う認知の仕方を持っている人にはそれだけでかなりシビアな環境だと思っています。
「自分自身の身体にサランラップが巻かれているような不快感が毎日続いている。階段を歩けば雲の上を歩くようで、足を踏み外したり腰を抜かしそうになる。」という表現を読んで、想像しきれないなりに、しばらくそこに書かれる状態をイメージをしてみました。「言語に関する分野が特に強い」と書かれていましたが、たしかにあなたが感じていることや認識してきたことを他者が知るのに、あなたの言葉はとても強い力になりそうだと思いました。その言葉を聞いて、一緒に考えたり、想像しながらイメージを共有したりできる相手があなたの近くにいるといいなと思いました。たとえば医師や相談員などでもいいかもしれません。また、あまり話し合える相手が思いつかなければ、死にトリにまた書きにきてもらえたらと思います。

最後に、持論に過ぎないことなのですが…、経験談の中に「どうしたら存在を許してもらえるのか」と書いてありましたが、私は個人的にすべての存在は元々「いていい」ものだと思っています。許す/許さないというのも人間が生み出した概念に過ぎないと思いますが、その概念に則っていうならば、この世界に含まれているということ自体ですでに許されていると思います。そのため、その上であなたの存在を許したり許さなかったりする権利を持つものは誰もいないと私は思っています。

感想2

あなたの人生で起こったことについて、見えていることや感じたことなど解説を加えながら書いてあり、とてもわかりやすく、興味を持つところ、もっと聞いてみたいことがたくさんありました。全体的に非常に淡々としたトーンだったので、読むこちらも淡々と読んだのですが、少し客観的にみると、とても過酷で当然守られるべき権利を侵害された子ども時代だと思います。しかし、あなたが最後に書いてくれた通り、それがあなたにとって当たり前でそこでしか育っていないので、普通だと思うというのは本当にその通りだと思いました。だからこそ、タイトルが「虐待されていたのか分からない」というのはあなたにとっての真相なのだろうと思います。ただ、見方を変えると、虐待されていたと言えます。しかし、日本語の虐待という意味が少し不適切だと思うことがあります。あなたが言語理解が強いと書いていたので、少し言葉のニュアンスや使い方を厳密に伝えたくなっています。虐待はChild Abuseの一般的な日本語訳ですが、そもそもChild Abuseは子どもに対する行き過ぎた扱い方、濫用といったニュアンスがあり、Child maltreatment(マルトリートメント)=不適切な扱いという表現の方がよく使われているようです。虐待というと、積極的、恣意的に暴力をふるったようなイメージの言葉ですが、権利を守られるべき子どもに対して、権利を守らない、侵害するような扱いのことを指すと私は理解しています。あなたが「虐待されていたのか分からない」と思うのは、虐待という言葉にも関係しているのかもしれないと感じました(それはあまり関係ないかもしれませんが、私は虐待という表現が現状を理解するために適切ではないような気がしていたので、お伝えしました)。
現在は、一番つらい時期からは脱したとありましたが、それでも世の中に罵られたり、存在を許されていないという感覚があることを知り、子ども時代の権利侵害の影響力の大きさを痛感しています。経験談を読んだだけの私がお伝えしたぐらいでは些細なことではあると思いますが、私はあなたのことを罵る気持ちにはもちろんなりませんし、罵る人がいたとしたら、全力で異議を唱えたいと思います。あなたが罵られるような世の中で生きていくのは私は嫌だと思いました。また、許されないような存在ではないと思いますし、どちらかというと、許されないのは世の中の方で、子どもの権利を守れずに個人に責任を取らせるような世の中で申し訳ないと思います。
家庭環境の影響もありますが、私はあなたの発達特性が周囲から理解されずにいたこともあなたの苦しさに影響しているように思いました。これから、あなたには回復(という言葉が適切か迷っています。回復よりも、本当の意味で権利が保障される機会なのかもしれません)する機会があることを願っています。フラッシュバックや解離などの症状もあり、簡単なことではないと思いますが、私はその機会があればあなたが、本来持っている力を発揮できることを確信しています。なぜなら、これまでその機会があまりにもなかったように思うからです。よかったら、これからあなたが希望する生活や支援、環境など何でもいいから必要なことがあれば聞いてみたいです。それを想像することは難しいかもしれませんが、あなたが必要なことを私は一緒に考えてみたいと思いました。
改めて死にトリの経験談を選び、こうしてつながってくれたことを嬉しく思います。これからも、もしよかったらまた死にトリに来てください。待っています。

お返事1

 【感想文1について】
 この拙い文章を読み取って下さりありがとうございます。
 虐待なんだろうなということ(性的なニュアンスが強いので今回は控えました)はまだあるのですが、それ抜きでもろくな人生ではなかったんだろうなと感じます。
 (非常に気分の悪い内容なので)掲載時はある種の検閲が必要かもしれませんが、フォームで送信する分には構わないとのことでしたら、また性的虐待を受けたのかどうかという内容を投稿させて頂くことがあるかもしれません。
 そもそも私自身が、一般の家庭が何をしているのか知らず、ほとんど想像が出来ないんです。一般的には親は自分を受け入れてくれる存在だというある種の確信や(私にとっては)ある種の良い意味での勘違いがあるというのも最近知り始めたというところです。
 私は親という存在に対して、機嫌が良くなるように嘘でも良いから従うような言動をしておかなければならない、という前提を持っていたので、驚かされます。一般的な常識がないので何もかもを学習し直す必要があり、未だに苦渋しています。
 逃げ場という言葉もピンと来ないところがあります。
 黙って動かずにいれば相手の方が飽きていずれ苦痛の時間が去るという学習をしている上に、「子供は判断力が未熟で逃避という行動が出来ないから、逃げ場なんていう概念すら思いつかないのが当たり前じゃん……」と感じます。
 「そういう場所を提供して子供を親から引き離して連れていくのが大人や行政なんじゃないの。私が子供の頃はそんなの一切やって貰ってないどころか学校からも嫌悪感丸出しで対応されてたけど。」という呆れに近い感情も含みます。
 私は正直、過去の体験を聞くに虐待を受けて育ち子供の育て方が分からなかった両親に対して、腹が立つことはあっても憎悪まではいかなくて、当時私を放置した行政に関して何を考えてるんだと憤慨する気持ちの方が強いです。
 人間関係に関してもまず私自身がかつて生きていた世界が人と違いすぎて、互いに互いへの理解がないと一緒にはいられないです。
 例であげるなら、大変失礼な話ではありますが、親に衣食住を与えられて教師からも疎ましがられず所謂普通に育った人の愚痴を聞いても苦しさを全く分かってあげられないというのが現状です。
 しかしそれでも、私は運良く夫が居て、似た境遇で育った友人も複数居て、福祉の力も借りてB型作業所を利用しているのでその現状が私の回復に繋がりつつあるとは考えています。殆ど周りの力で生きていると日々実感します。
 存在への許しという話になりますが、私は「どうして人間って誰も存在していいとは言われてないのに平気な顔で生きていけるんだろう」と不思議だったのですが、世界に含まれていることが既に許しであるという1つの視点や、知見を得られたような気がします。
 ありがとうございました。

 【感想文2について】
 感想誠にありがとうございます。
 早速マルトリートメントについて検索致しました。「ああ、こんな小さなことでも該当するんだ。身体的暴行以外大体当てはまってるかも……皆こんな体験しないまま成長してるんだ。それってどんな人生なんだろう」と思いながら掲載内容を拝読しておりました。
 私は数年前の入院の際にCT検査にて脳が全体的に萎縮していることが明らかになりました。
 数年前まで自殺未遂を繰り返していたのでそれも関係しているのかもしれませんが、マルトリートメントに関して検索した際に脳の萎縮の話が度々出てきましたので、そういう面でもはっとさせられるものがありました。
 これからの生活についてですが、現状の作業所に通う生活を続けながら、夫との生活において夫を過度に傷つけることなく規則正しく穏やかな生活を送ることと、絵画等の制作が趣味ですので(作業自体は苦痛ですが……)、それをもう少し完成度を高めるために続けていきたいということが希望です。
 環境に関しましては、私のような症例に対して有効な治療やそれに強い病院等もまた探した方が良いのかなとは考えております。転居したばかりなので分からないことだらけではありますが……。
 ありがとうございました。

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