誰かに打ち明けたい悩みがあります。私は小4の頃から既に病んでいて、いつもいつも死にたい、消えたいと願っています。そして現在まで、未だしっかりと悩みを話せた人はいません。あるとしてもあやふやで、冗談みたいに言っただけです。
もうこの人生に疲れたのです。私はまだ学生で、勉強しろと言われる年代です。でもそんな事言ったって私はインターネットがなきゃ生きていけない依存者で、勉強なんか全く出来ないです。なのに家族は「地頭がいい」だとか、勝手に私のことを分かった風に言ってくるのが心底ムカつきます。なので家族に悩みを相談なんか到底できないですし、友達はいますが悩みを聞いてもらう時間があまりないし、相談しても何も解決しないと思っているので出来ません。
もうリスカもしました。頭を殴ったり、爪で腕を傷つけたりしました。それでも当たり前ですが死にはしません。でも死ぬ勇気もありません。それでも死にたい、消えたいです。
書きなぐったので見にくいかもしれません…..
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰かに打ち明けたい悩み
感想2
誰かに悩みを打ち明けることってすごく難しいことだなぁと思っています。一緒に過ごす時間が長くても、「あぁ、この人私のこと全然わかってないな」と思うと相談できないし、かといって全く知らない人に相談できるかというとそれも難しい気がします。せっかく打ち明けたい気持ちがあるのに、それを聞ける場がないことがよりあなたを悩ませてしまっているようにも思えました。そんなことを書きながら、死にトリの仲間のサイトにも「相談は難しい」というシリーズものの記事があることを思い出しました。(全3回です)
https://ikidulabo.lifelink.or.jp/sos/soudan1/
小学4年生の頃から死にたいと思わせてしまう、そして今のあなたにこの人生に疲れたと言わせてしまうものはなんだろう?と教えてもらいたくなりました。きっと、それはあなただけのことではなくて、社会に潜んだ大事な課題が隠れているんじゃないかと思っています。死にトリでも他のものでもよいので、あながここなら打ち明けられるかもと思う場所が見つかるといいなと心から思っています。
感想1
これまでも今も無くなることのない死にたさや消えたさをどうすればいいのか悩みながらも投稿者さんなりに受け入れようと葛藤している最中なのかなと想像しながら読んでいました。悩みを話せたとしても、「あやふやで、冗談みたいに言っただけです。」と書いてあり、自分が感じていること(死にたい、消えたい)がなんとなく言ってはいけないことのように思えて素直に誰かに伝えることのできない苦しさやもどかしさもあるのかなと感じました。
死にたい(消えたい)気持ちの強さから、リスカなど自分を傷つける行為をしているのだとは想像しますが、抱えているしんどさを分かってほしいという思いがあって、でもそれを周囲に言うことができない代わりに自分に矛先を向けて、自己表現をしているようにも感じました。(それは現状の辛さを耐えしのぐ一種の生きるスキルだと私は感じています)
また、「家族は「地頭がいい」だとか、勝手に私のことを分かった風に言ってくるのが心底ムカつきます。」とあって、私も親から同じように言われていたことがあるので投稿者さんの気持ちは感覚的に共感ができるなと思いました。ただ、こうして書いている感想も自分のことを分かったように定義しているように感じさせてしまうかもなと考えつつ、投稿者さんの憤りの感情は親子の関係性だからこそ感じてしまうものなのか、そもそも誰かに自分のことを決めつけられること自体が嫌なのかどちらなのだろうと気になりました。今回は「誰かに打ち明けたい悩み」として思いや考えを送ってくれましたが、投稿者さんにとって死にトリが少しでも本当の自分を表現できる場であれるといいなと勝手ながら思うのでした。また何か伝えたいことがあれば死にトリにきてください。経験談の投稿ありがとうございました。