経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

忘れることができない

子供時代のいじめや暴力は、今日でも陰湿極まりないが、そのまま大人になってしまった大人が同じことを繰り返す…。
呆れ果ててどうしようもない。
会社を良くしようと考えず、働く人を潰すことに集中するいい大人がアホを繰り返す…。

職場内で暴力やパワハラを受けた時に、命の綱であるハラスメント相談窓口が、まだ成立していない時代だったので、あの当時はなき寝入るしかなかった。

過去に店長代行から受けた暴力が、昨日のことのように思い出す。
もう15年ぐらい前のことだ。
私が異動した後、店長代行はクビになったと異動先の上司から聞きました。
私は現在も、職場に生き残っています。

『違う職場に行っても、あなたはうまくいかない(働けない)でしょう。』
と私におっしゃいましたね。
そのままの言葉を、あなた(元店長代行)にお返しします。
勤続何十年のキャリアを得ているならば、物事を言ってほしいです。
私が異動するまで、よく物をぶつけてくれましたね。
自分の手を痛めて流血してましたが、何をしたかったんですか?
あなたがいい放った売上成績はどうでしたか?
異動先で売上実績を見ていましたが、有言実行して下さいよ。
実績出さずにクビになって呆れるばかりです。

だけどバカ正直な私は、仕事をミスするたびに、
あなたに言われたことが昨日のことのように思い出して、私の心をがんじがらめにする。
『あなたは仕事が出来ない』というワードが、私を支配し、負の力に引っ張られてしまう。
失敗したことに泣き喚きたくなって、仕事から全てを投げ捨ててしまいたくなる。
代行だった人の思惑通りですね。

今の職場は、平穏平和でいじめはない。この落差は何なのか。何を闘ってきたのだろう。
流血した握り拳をかざす、店長代行だった人を忘れることができない。

忘れたいのに、バッグヤードで私を突き飛ばしたことが許せない。
思い出したくないのに、代行が怒り狂ってカウンター台に足蹴りをして、店内を驚かせたことを私は許さない。
心から消したいのに、代行が他店のアイデア工夫の展開を褒め称えて、自店の私には辛辣な文面で残してくれたことを許さない。
あなたがこの店に異動してきて、開口一番に
『この店を牛耳っているのはあなたですね』と言ってきましたね。
あなたが代行になる前で、同じ同等な従業員の立場であるのに、その言葉に呆れるばかりでした。

どうしたら忘れることができますか?
どうしたら前を向けますか?
どうしたら自信がつきますか?
どうしたら働いていて良かったと思えますか?

  怒り狂った感情を誰か止めてほしい。

感想1

以前どこかで見かけた、人の心の柔らかさや、経験によって付けられてしまう傷について、セメントでたとえた描写を思い出しながら読みました。過去に受けた酷い態度から受けた傷、そして相手への怒りが、やわらかい心にたくさんの傷を残して、修繕する機会もないまま、固まってしまったような…だからこそ、その怒りはいつまでもありありと蘇り、何度でもなぞることができてしまう、そんなイメージを持ちました。
どうしたら忘れて前を向けるのか、という問いかけに、中々答えを出すことは難しいですが、まずその第一歩には、自分の感情の解像度を上げる事なのかなと私は思っています。
簡単ではないですし、苦しさも伴うのは重々承知ですが、自分はどう思っているのか、許せないのはどんなところなのか、(実現可能性はさておき)何があれば少し癒えそうか…あらゆる選択肢から検討してみる感じというか。
(ただ、あくまで同じ経験をしていない私なので…今も怒りの渦中にいるあなたには、とても冷たく他人事の言葉に聞こえたら、すみません)
こうした場所で経験談を書くことが、その一助になるようであれば、言葉にする場として活用してもらえたらと感じました。投稿ありがとうございました。

感想2

投稿者さんが忘れようとしても忘れられない、暴力やハラスメントの経験を教えてくださってありがとうございます。投稿者さんの抱く怒りは至極真っ当だと感じました。それと同時に、記憶やそれに伴う感情に今でも強く揺さぶられて、苦しい思いをしているのだとも思いました。
そうではないと頭では理解しているはずなのに、言われたことが何度も蘇ってしまい、引きずりこまれてしまうのだろうと想像しています。
人から繰り返し聞かされた言葉は強烈に刻まれてしまうことがあるな、と私の経験でも思います。
投稿者さんの中にはきっとさまざまな感覚や感情があると思います。この経験談の中では怒りを強く感じましたが、投稿者さんの当時からの15年の中には、強く感じる思いの変遷はあったのかな?と気になりました。
というのも、「今の職場は、平穏平和でいじめはない。この落差は何なのか。何を闘ってきたのだろう。」と書かれていて、今の職場にいると当時のしんどさとの落差も感じたりするだろうし、逆にいうと、今の職場では闘わなくてもいいからこそ、以前の職場のことに怒りを向けられる、ということもあるのだろうか?と想像したからです。そう考えると、もしかすると、怒ることも記憶との関わりの一つのプロセスなのかもしれない、と思いました。(的外れだったらすみません。)
過去のつらく強烈な記憶はトラウマと呼ばれることがあるように思いますが、そのことに今も引きずられて、日々苦しい思いをしているのであれば、病院などのケアができる場所に行くことも手段になりうるのかもしれません。
また、怒りはとても自分自身を闘いの中には連れて行くような、強い興奮の感情だと思うので、投稿者さんの日々の生活の中に、少しでもリラックスできるもの(ノンカフェインの温かい飲み物とか、手触りのいいもの、いい匂い、好きな音楽などなんでも)があるといいなと思いました。

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