経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

母との共依存の終わり…母のための私から、私のための私へ

私の母は徒歩2分のコンビニに行くにも、ついていかないと怒る。
すごく覚えているのは中学時代、母と一緒にスーパーに買い物に行くのを断ったら「もうママは一人で行けばいいんでしょ」って不機嫌になられて、やばいって感じて「やっぱり行く」と言ったら、「何で最初に言ったことを変えるの!別にいいよ!」と険悪モードになったこと。その日は再放送のドラマを観たかったんだけど、諦めてスーパーへの道をひたすら追いかけた。
これが日常。そのうち母の求めていることを拒否することもなくなった。
高校に入って両親は離婚した。私は父と同居することになったのだけど、その時に母はメンタルを崩していて、もう母ではなくなってしまっていた。母は母の趣味の世界に引きこもっていたし、その世界のことをふわふわとして話す母親のことしか覚えていない。母との距離は少しずつ離れ始めていた。私はそれまで母の言うこと、顔色、雰囲気を察して自分の感情や考え方を決めてきた。母が私の母じゃなくなったことで司令塔がいなくなって、自分がどう生きればいいかわからなくなってしまったことが本当に困った。

そのうち自分もメンタルを崩して、支援を受けることになり地元を離れた。けれど母とは何かにつけて連絡を取り合い、それがきっかけでOD(オーバードーズ、大量服薬)するようなことも少なくなかった。母が自分の一番の理解者だと思ってるから自分のモヤモヤを話すんだけど、思ったような答えが返ってこなくて、もうわかんない!って。物理的な距離をおいても関係性は変わっていなくて、支援を受けている中で変わっていけると思っていたのに変わらない自分がいて。当時はそれに母との関係が影響しているとは思っていなかった。
今振り返ってみるとよくわかる。母とは共依存だった。私は母が思い描いている自分になればいいと思っていたし、将来は自分が働いて母を養っていくんだと思っていた。メンタルを崩して、リスカ・ODも止めれず、自分のこともままならなかったのに。母と一緒に生きるのが当たり前になっていて、私は母の一部でしかなかった。

決別に至ったのは、地元を離れて2、3年過ぎたころ。
母にはその時彼氏がいて、私は彼氏がいる“女”な母が好きではなかった。表面では理解している発信もしたし、そう思っていたことを母は知らないだろうけど。
そんな時に、母が住んでいるアパートの3階から落ちた。その連絡が母の彼氏から入って、焦って次の日に駆け付けた。自殺を疑ったけど、違うと話す母は思ったよりも元気そうで、ちょっと腑に落ちなかった。私はあんなに焦って心配したのに、なんでこんなに普通にしてるんだと思ったらちょっと腹が立った。何日か病院に通って差し入れしたりしたけど、差し入れしてほしい物とかそんな小さなことでも昔は理解できたのに、出来なかった。会話をしていても、何か違う。母は私のことを理解してくれない、とも感じた。それはきっと母が変わったのではなく自分が変わったからで、「今の私」を見てほしいのに「母のための私」しか見ていないのに気付いてしまったんだと思う。私は母の思う通りの人形だったんだなーって思うのと同時に、もう人形にはなれないなと感じた。
その変化が起きたのは支援を受ける中で、共依存ではない対等な関わりがあったからだと思う。そこの関係ではとことん“私が”どう感じてるのか、どう思っているのか、どうしたいのかを話したり考えたりすることを求められた。支援者は私が本当に思っていることしかやってくれなかった。母の思いに嵌り続けていた私にはとてもハードルが高くて重たいものだったけど、ようやく自分が個人なのだと思う機会になった。最初のうちは支援者や周りの人の顔色を見るのを止めれず、「もういっそ全部決めてくれよ」と思うことも多かったけど、自分になるためには大事な要素だった。

そこからは母と離れるために、おばあちゃんに頼んで連絡を控えるように言ってもらったり、自分から連絡をとることもやめた。地元に帰っても会うこともなくなっていった。
そして、「お母さん」と呼ぶことをやめた。
母だと思うと苦しくなる。理解されたいと求めてしまう。受け入れてほしいと思ってしまう。けれど、ただの人。私の母のポジションだけれども、一人の人でしかない。
理解されなくても仕方ない。私を受け入れてくれるだけの余裕が今この人にはない。だから、私はもう求めない。自分の中で、母を「母の役割」から解放してあげた。一人の人同士の付き合い。家族というものに縛られない付き合い。
今でもたまに母は母の顔をしてやってくる時がある。けど、それは母がそうしたいだけ。子どもとしての役割を求めてきても、私には断る権利がある。ようやくそう思えるようになった。

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