死にたいわけじゃなくて生きていたくないだけ。
死ぬことが周りの迷惑になると言うなら周りの人から忘れられて消えたい。
死ぬってことが1番手っ取り早かっただけ。
でも周りの人よりも頑張らずに生きてきたことは自覚してる。
小さい頃は大抵の事は1番だった。成長して、“出来る”集団で生きていくようになると私なんて大したことの無い、出来損ないの子だと理解できるようになっていく。
プライドを拗らせて自己評価だけは高い自己愛の強い今の私が出来上がってしまった。
この希死念慮が病気でもなんでもない甘えだって分かってる。
全部を否定的に受け止めるのはただ性格が歪んでるだけだって分かってる。
なら何のせいにしたらいいの?何を変えたら死にたくなくなる?
私はなんの取り柄もない自分が嫌い。
私より大変な思いをしてる人なんてたくさんいるのにこうやって悲劇のヒロイン面してる自分が嫌い。
こんなに外見だけじゃなく中身も醜いのに人に必要とされたい、愛されたいと思ってしまう自分が嫌い。
無価値な人間なのにどこかでそれを認めたくないと思う自分が嫌い。
自分を否定的に捉えることすら自分を慰めようとしているように思えて嫌だ。
もう私には死ぬしかない。
でも死ぬのが怖いと思う自分がいる。
矛盾を抱えて今日も惰性で生きてる。
どうしたらきっぱり全部諦めて死ねる?
またはどうしたらこの希死念慮がなくなる?
みんな死にたいと思いながら生きてるのか?
死にたいと思う私はおかしいのか?
こんな私を友達には見せられない。
私は明るくてどんなときもポジティブで悩みなんてひとつもない馬鹿っぽい子であることが求められているから。
人の相談を聞いて、共感して、励ます。
そうじゃないネガティブで根暗な私に価値は無い。
それでも、私のこの醜い思いを誰かに全部聞いて欲しい。何の価値もない私を受け入れて、認めて、愛して欲しい。
そんなものは理想であって現実ではありえない。分かってる、だから私は死にたい。
感想1
経験談の投稿、ありがとうございました。全て読ませて頂いて、あなたはもしかすると深く考え込むことが多く、そのほとんどが最終的に自分を否定する結論に辿り着いてしまうのかなと私は思いました。(私の感じ方ですので、違っていたらすみません。)そしてなんだか、私と思考の過程が似ている感じが勝手ながらしました。どんな感情や考えを抱く自分にも、どうしてもどこか気持ち悪さや違和感を感じてしまい、否定に否定がとめどなく溢れてくる時が私にはあります。その感じと似たような感じを、「私はなんの取り柄もない自分が嫌い〜自分を否定的に捉えることすら自分を慰めようとしているように思えて嫌だ。」という部分に強く感じました。ですので、なんだか仲間のように感じ、私は勇気を頂きました。 あなたは全部を否定的に受け止めることはご自身の性格が歪んでいるからと書いてくれていましたが、性格が歪んでいるのではなく、思考のくせが関わっているのかなと私は思いました。なんだか性格が歪んでいるだと、あなた自身に要因があるように聞こえたので…私はあなた自身ではなく思考のくせに要因があると考えています。
そしてこの経験談で、あなたはありのままの思い、考えを言葉で表現してくれたのかなと私は思いました。でないとこんなにも私は共鳴しないと思ったからです。日々、終わりの見えないトンネルを歩いているかのような感覚かもしれませんが、ありのままを表現することは重要なことだと思います。あなたの思いを、この経験談で共有してくださったことに感謝の気持ちを伝えたいです。普段ありのままのあなたを見せられないとのことでしたので、また死にトリに来て、ありのままの姿を見せてください。いつでも待っていますね。