最後の出勤が終わって約2カ月が経った。
私は生まれつき右眼を失明していて、それでも今までの仕事は
健常者として扱ってくれていてた。
家族の負担が大きいので給料を上げるべく新しい仕事を探したら
「片方の目が見えないのであれば危険なので採用できない」
候補だった仕事は全部断られた。
全部で30件近く当たった。不採用の理由を教えてくれない所もあったけど
おそらく目の問題でどこも採用してくれなかった。
9月3日、もう収入がゼロの状態になってしまった。
まだ家族が「大丈夫!できる仕事を探そう!」と励ましてくれるなら
いいけれど、いつもイライラ、そして私に矛先が向いてくる
何故?家賃も光熱費も保険料も全て私が払って生活基盤は
私が何とか壊れないようにと心配かけないようにと
食べるものも生きる場所もきちんと提供してるのに何が不満なんだろう?
「人生はできる事に集中することであり、できない事を悔やむことではない」
を座右の銘に家族の前では維持でも明るく振舞って不安を助長したりしてないのに
全力を尽くしていたのに何故文句ばっかり言われないといけないの?
身体の問題は誰のせいでもない。障碍者にも該当しないグレーゾーン
そんな中でも頑張っているヒトをそんな扱いする社会なら
自分の手で、自分の人生にピリオドを打ったほうがマシだ
いろんな救済措置がある、探せば道はある
そうは言うけれどもう解決方法に動くのにも疲れました
今度は身体に不具合のない、健康体で生まれてしっかり頑張りたい
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分の身体が憎い
感想2
投稿をありがとうございます。
社会の不条理さを感じ、歯がゆさを覚えながら一気に読みました。
家族の生活を思い(一方であなたと家族とが対等な関係でないように見えたのが気になりますが…)焦りなどもあるであろう中で、新しい仕事をあなたは探していたのかと想像します。それにも関わらず「片方の目が見えないのであれば危険なので採用できない」と言われては、「自分の身体が憎い」とあなたが感じるのも自然なことだよなと思います。しかし、私からするとそれはあなたの身体の問題ではなく社会の問題だと感じますし、障がいのある人(障がいは社会の側にあると私は考えています)やマイノリティが働きにくい社会はどう考えてもおかしいと私は思います。ただ、たとえば上記の職場の言う「危険」とはどのようなものかが少し私は気になりました。「リスク」を考慮せずに採用するのはそれはそれで無責任であり、実際にあなたに「危険」が及んでは取り返しがつかなくなることもあるかと思いました。「不採用」が続くと不信感も生じますが、もしかしたら中には「危険」からあなたを守れないという判断をして不採用とした職場もあるのかもと少しだけ思いました。だとすると、それはあなたのせいでも職場のせいでもなく、マッチングの問題とも言えるように私は思いました。あなたの働きたい職種で安全が確保される職場とあなたが出会えるといいなと思いますし、同時に誰もが働きやすい社会に少しでもなるようできることをしたいと改めて思わされました。
感想1
内容を読み、そして改めてタイトルを見て、今の社会があなたに「自分の身体が憎い」と言わせてしまった…そう感じました。今の社会は能力主義であり、そして結果主義だと私は思っています。そして、そんな社会に対して違和感やなんとも言い難い感情を抱き続けている一方で、どこか社会に対しての諦めもありました。けれど、あなたの経験談を読んで、やっぱりこんな社会はおかしいし、どうにかしないと自分も他の誰かも苦しんでしまう、だから諦めちゃだめだ…とそう思いました。いろんな救済措置はあるかもしれないけれど、それを探し続けることもあなたが「1人」でやらなければいけなかったからこそ、今は動くことにも疲れてしまったように思いました。私もきっと1人で社会を変えるなんて無理だって思っていたから諦めがあったのだと思います。死にトリもそうですが、諦めずに試行錯誤をしている人、全力で頑張っている人を応援する人がたくさんいるはずです。私はそれをもう少し信じようと思います。あなたにとっても、死にトリがそうした存在になれていたらいいなとも思います。もちろん疲れた時は頑張らなくて良いはずですし、休みたかったら休んで良いはずです。経験談の投稿ありがとうございました。