経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死ぬメリットの方が大きい

結論。「『理想の孫娘/娘像』を押し付けられすぎて、いつの間にか自分の意見がどこかに行ってしまったが故に、生きるメリットより自殺するメリットの方がリターンが大きく感じてしまう」状態だ。この文章を打ち込む10分前にはそこそこ具体的な自殺の計画を練っていた程だ。精神的には紛れもなく重傷なのだろうが、多分あの人達には一生伝わらない。

 こうして死にたい心が毎日あふれるようになったきっかけは、今までで積み重なった抑圧に加え、ダメ押しの母親の矛盾した一言がとどめになっているのだろうと思う。とどめの一言は、私の人生、就職に関する言葉だった。

 中学時代から母親はよく私に進路のアドバイスをした。特にやりたいことが思いつかないといえばとりあえず普通科に行きなさいと言われ、言われるがままに全日制の普通科を受験して合格。入学後、同じ中学校の友人がいない孤独、時間の余裕がなく融通のきかない学校のシステムなどに苛まれ続けた結果、1年も経たずに心を病み、別の高校に通った。

 別の高校は通信制であり、人間関連の新しい苦痛は無くなったが、不安は募るばかりだった。精神的苦痛で教室に入れず、テストをほぼ受けられなかった日には、心配の声はなく無駄足に終わった事を怒鳴る声が車内によく響いた。どうやら、母親の脳内の辞書には、メンタルの不調で行動できないという事実は存在しないらしい。

 それでもなんとか時間をかけ、這いつくばりながら高校を卒業して、就職支援の施設に通っている。

 ある時、母親に独り暮らしをしたいと相談してみた。そうすると母親は、仕事が決まってからでいいんじゃないかとやんわりと否定した。数日後、家族に振り回された愚痴とため息を母親の前でこぼした時、じゃあさっさと見つけて出ていけばいいじゃないかと怒鳴られた。母親は自分の意見を振り返ったことがないのか、そうやって、矛盾で鋭く研がれたナイフを私の破裂寸前の心に思い切り突き立てたのだ。

 親のせいにするのはとても簡単だが、何もかも親のせいにしてしまうのはあまり良くない。そう思ってはいるが、流石に恨み言を吐きたくなってしまった。お前の期待に応え続けて懸命に生きてきた結果がこれか、と叫べるものなら叫びたかった。だが現実はどうだ、年齢分の時間をかけて心に毒を盛られた結果、萎縮して黙ることしかできなかった。

 こういうとき、私という人間が本当に嫌いになる。「家系では珍しい女の子」という付加価値をつけられているからなおさらだ。珍しいが故に期待され、女性として結婚や子孫を暗に望まれる。強い口調などで心を操られ、家族の思う通りに生かされ続けていると、もしや自分は、骨と肉でできて血の通っているだけの人形だったのだろうかと錯覚すらしてしまう。

 そうして望まれたように生き続けた結果、かつて熱狂していた自分の好きが薄くなった。連鎖して、自分の意見も薄くなった。家族から見れば大成功なのかもしれない。家事などの能力に一旦目を瞑れば、まさに「気立てのいい女」の名の通りの人間が出来上がっているからだ。

 率直に言って吐き気がする!子供の意見と自己を念入りにすり潰して人間を仕立て上げたところで、ガワは良くても中身は虚無だ。再起できる気力の回復の見込みがあるならともかく、そうでない場合、個人をすり潰された本人はまず幸せになれない。根拠は私だ、好きもなければ意見もなく、当然人生のモチベーションも上がらなければ生きる理由が見つからない。ついでに言えば自分の能力や成果を褒められた記憶が皆無に等しいから社会に出てやっていける自信もない!結果として、自信もなければ気力もない人間ができあがって、こうして鬱屈とした行き先のない気持ちを書き殴っている。

 死ねるものなら死にたいが、厳密に言えば消えたいの方が理想には近い。死ねば、特に自殺という形で命を絶てば、おそらく家族への1度きりのちっぽけな復讐にはなるだろう。けれど自殺はリスクが高い。万が一下手に生存してしまえば生き地獄が確定する、究極の諸刃の剣だ。だから、正確に言えば消えたいのだ。存在まるごとパッと一息で消えることができるなら、今すぐにでも消えてしまいたい。年齢分の傷と毒を、誰に相談することもできないまま、残りの数十年を生きたくはない。

 生きることには、無限の可能性を持つ未来を歩んでいける絶大なメリットがある。けれど、今の私には、死ぬことで何も考える必要がなくなるというメリットがひどく魅力的に見えてしまうから、死にたくなるのだ。

感想1

投稿をありがとうございます。

まずはじめに、ひとつの小説(完成された作品)を読んでいるかのような錯覚に陥るほど、あなたの文章に惹かれた私がいることをお伝えさせていただきます。描写が目の前に現れてくるかのような感覚を抱きながら読ませていただきました。あなたの文章力に脱帽しつつ、その力をあなたはどのように身に着けたのだろうと純粋に聞きたくなってしまいました。

さて、そんな風に読み進める中で、あなたが主に母親との関係、そして、押し付けられる「女性像」に終始苦しめられてきたことが伝わってきました。自分の意見を封じ込められ、抑圧され続けてきたあなたの経験を思えば、「吐き気」がするほどの不快感(なんだか私自身もむずむずとした感覚がしながら感想を書いています)をあなたが抱くのも、「死ねるものなら死にたい」とすら思うのも、うなづける気がします。自分の意思を母という強大な存在によってある種コントロールされ振り回されてきたあなたの姿が想像され、それは困惑を覚えたり息が詰まったりするような経験・日々だった(今も)のではないかと想像します。ただ、そうした状況でも、生死を「メリット」で考えることをはじめ、洞察する力というのか俯瞰する力というのか、そうした力があなたにはあるように思うのですが、これまたどのようにしてあなたがその力を身に着けてきたのかと気になった私がいます。

あなたが母の抑圧的な振る舞いや発言によって苦しんできたことに歯がゆい思いがしているのですが、私はあなたのこの経験・苦しみは社会によって生み出されたものだとも言えるのではないかと思い、その意味で強い憤りも覚えていました。もっと言えば、これは「男性問題」であるのではないかと個人的には思っていて(母の言動などを擁護する意図などは全くないです)あなたの母も男性優位社会によって「女性像」を要請されてきたといった、ある種の被害的側面を持っているのではないだろうかと私は考えてしまいました。あなたが「毒」と呼んでいるように、この社会は「理想の女性像」を要請する「毒」だらけであり、その「毒」はあまりに蔓延しているがゆえにもはや「毒」とすら気付かず、なんなら「良薬口に苦し」ではないですが、「毒」を積極的に摂取する人すらいるような状況・構造となっているように私は感じています。その構造は男性優位社会によって作られており、積極的に摂取する人は男性優位社会における「家族」や「社会」という得体の知れないものからの「要請」に応えることこそよいことだ!と思っている人たち=「毒」されている人たちであって、そのひとりがあなたの母だったのかな…などと考える私がいます(ズレていたら申し訳ありません)。こうした社会構造そのものに私は強い危機感や不快感を抱きつつ、大人として、その社会構造を構築するひとりだっただろうと思うと、責任も感じたりするのでなんとか変えていきたいなと改めて思います。「毒」と気付いているあなたにはどうか「毒」から離れ、あるいは「解毒」しながら生きていってもらえたらと私は思いつつ、それはどのようにしたらできるのかが正直まだ私にはわからないので、どうしたらそんな社会を変えていけるかを含めて、あなたと話したり、一緒に学んだりしてみたいなと勝手ながら思いました。もしよければまた書き込みに来てください。

感想2

論旨が明快で、分かりやすく、あなたと話してみたくなる内容でした。読みながら「うん、うん、確かに~」と唸りたくなる気持ちでした。同時にあなたのように自分の意思と存在感が強い人が家族という名の優しさのフリをした実は卑劣な支配関係に阻まれて、自分の人生を歩めないことに心から悔しい思いや腹立たしさを感じています。ただ、私のように直接何かの手助けもできない立場の者が一方的に腹を立てるのはお門違いなのかもしれません。当事者のあなた自身が冷静に現状を分析し、半分諦めの気持ちを含めて、言葉にしているのを読んで、あなたの感じていることをリアルに想像し、それが自然と憤りに発展してしまいました。最後の方に書いていた、諸々のリスクを考えて、消えてしまいたいという思いはとてもよく伝わってきました。本当になかったことになるのなら、それはとても便利だと思います。ただ、一方で私は「無限の可能性を持つ未来」という言葉も気になっています。
あなたを体よく期待に沿うような方向性に誘導しようとする家族の様子をうかがって、恣意的というより、思考停止の姿を想像しました。感じることなく、考えることなく、盲目的に正しいと思い込んでいることを自分よりも弱い立場に押し付ける。それが、あたかも愛情の証や正しい教育であるかのように自動的に埋め込まれているように感じています。それに対して、あなたは自分で感じているし、考えていることでそこに苦しさや理不尽さが生じ、生きるメリットよりも死ぬメリットの方が大きいという結論に達するのは無理のないことだと思いつつ、心の中ではそんな現実に対して、そんな世の中であってはならないと強く抵抗する自分の気持ちがあります。自分の感性や思考、意思があるからこそ苦しいのだから、自分を捨て、思考停止になることで苦しみから解放されようとするけれど、それもできないからこそ、自分ごと消えてしまう方がいいと思うのだろうと私なりに理解しました。
私はできることなら、環境を変えることができないものなのか、私が気になった「無限の可能性を持つ未来」について一緒に考えるためにはどうしたらよいかと思いを巡らせています。あなたは「ガワが良くても中身は虚無」と書いていました。思考停止の社会ではそうかもしれませんが、私にはあなたの中身が虚無とはとても思えませんでした。こうして中身を少し知った素直な感想です。また、気持ちを書いてもらいたいと思っています。よかったらまた死にトリに来てください。待っています。

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