私は今19歳です。
高校2年生から『生きづらさ』を感じ、はや2年ちょっと。なんだかんだ生きています。
若いなりに私も色々辛いことを経験してきました。進路や部活の悩み、孤独感で押しつぶされ授業中に泣いてしまったり、バイトをやめた過ぎて死のうとしたこともありました。
今まで起きた小さな出来事が積み重なり、私を殺していきました。
でも、それらの原因はすべて””私””なのです。
私は弱い人間です。ストレス耐性も忍耐力もコミュニケーション能力も無い。辞め癖がつき努力もできない。周りより秀でたところも何もかも無い。
今まで起きた悲しいこと全て、耐えられなかった私がいけなかったのです。こんな私じゃ絶えられるわけがない。
きっと””私””で生まれてしまったから、こんなに生きづらいのでしょうね。私は自分から逃れたいです。””私””が””私””でいることにどれだけ嫌悪感を抱いていることでしょう。きっとこの苦しみはこれからも続きます。もしかしたら””私””から逃れたくて死んでしまうかもしれませんね。
あーあ。私なんて死んじゃえ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
『私』って生きづらい
感想2
「私は自分から逃れたいです。」という言葉が印象的だったのと、投稿者さんが抱えている生きづらさは果たして“”私“”であるからというだけが理由なのだろうかと考えながら読ませてもらいました。自分がいけないんだと考えてしまうことや、自分を責めてしまう思考は周囲から様々な形で負のメッセージとして無意識に感じ取ってきた影響もあるのかなと想像していました。また、この社会が優れているものや秀でているものには一定の価値や評価をつけてしまう風潮があって、どうしてもそこ(普通または普通以上であること)に囚われてしまいがちになってしまうのだろうと感じますし、“”私“”であるからではなく、その社会の在り方こそが投稿者さんの『生きづらさ』の根源なのではないかと私は思ってしまいます。
「きっとこの苦しみはこれからも続きます。」とあるように何があっても“”私“”が“”私“”でいる事実は変わらないことなので苦しみから解放されるというのは難しいことかもしれません。だからこそこれからも“”私“”について考え続けていくことになるのだと思うので、また何か感じたことや気づいたことなどあれば死にトリに送ってほしいですし、そのことについて一緒に考えてみたいなと私は思いました。経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
読みながら、「私」が「私」であることは、私自身によってのみ決められているのだろうか、ということをぐるぐる考えました。私は、無責任かもしれませんが、大枠は「そんなこと無いと思う」という考えです。人が何か損をしたり、酷い目に遭った時、社会では「自業自得」という言葉がよく使われますが、私は基本的に、社会の側が何気なく発した言葉や、行動や、ストレスの押し付けによって、抵抗できない人が割を食わされていると思っています。
でも、私自身、頭でそのように考えていても、気持ちはそうは思えません。私の能力の問題だと、どうしても思ってしまいます。だから、タイトルや内容にすごく共感していて、でもきっと「私(あなた)」にすべての原因の根源があるとは思わない、ということを、言いたくなってしまいました。まどろっこしい言い方ばかりですみませんが、正直な気持ちです。投稿ありがとうございました。