経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の価値が見出せない。

自己肯定感が低く、自分に価値がないように思ってしまい、辛いです。
小さい頃からおとなしいとよく言われ、人から何か指摘されるとすぐ泣いていました。かなりの泣き虫です。
怒られて怖かった、悔しかった、構って欲しい、又は構ってくれるから泣いた。理由はどれも当てはまっていた気はするけれど、覚えていません。
一方ですぐ泣くくせに、感動する本や映画などを見て泣くことはありません。全く無いわけではないですが‥。
泣く人は感受性や共感能力が高い、などと聞いたことがありますが、自分にはどうにも当てはまらない気がします。
幼稚園のころから現在まで、人間関係でずっと悩んで生きてきました。
すぐ泣く性格で、最初はチヤホヤされても段々と周りが離れていく。
自己主張もできず、意見もない。大人しいけど自己中心的で、お嬢様気質。
大人になった今、自覚できるようにはなりましたが、この性格が根付いています。
今だに自分の意見も言えず、周囲の人と雑談もできない。
家庭で問題があったわけではありません。ですが、小、中学校のとき、人間関係で悩んだことを両親に相談したら怒られました。
「自分が変わることはできないの?」「学校は行きなさい!」「人から言われたことがそんなに気になるか?」
当時冷たくされた友達の母親と自分の母が仲良く見えたのと、私自身、あまり友達や同級生を悪く言いたくなかったのと、(怒られるからという理由でしたが)正論だったため全く言い返せませんでした。
高校卒業後は実家から会社に通い、そこで悩んで辞めたくなった時も、きつい言い方こそしなかったものの、「そんなことで」、「私の会社の人のがもっと辛いよ」と言われ、もうこの人には2度と相談するものかと思い、人間関係のことに関しては相談しなくなりました。でも平気なふりをするのが辛いです。
できない自分が嫌になり、生きてる価値がないと考えます。
現在2歳の子供がいますが、自分みたいになったらどうしようと考えたくもないのに悩んでしまいます。
夫は優しい人ですが、親族で自殺した人がいるため、死にたい相談はできず、人間関係の悩みも夫に限らずですが相談できずいつも抱え込んでしまいます。
本やYouTubeなどでヒントを見つけ、一時的によくなっても、ふとしたときに「無理‥」となり、泣いたり動けなくなったり、無力感に苛まれます。そして、そんな自分を責めてしまいます。
 
書きたいことがまだ山ほどありますが、キリがないです。散々被害者な自分をアピールしてしまい申し訳ありません。

感想1

経験談の投稿をありがとうございます。

あなたは「人間関係で悩んできた」と繰り返し書いており、それはその通りなのだろうと思いつつも、私にはあなたの両親の対応があなたを悩ませてきたところもあるのではないだろうか…と読めてしまったのですが、いかがでしょうか。「家庭で問題があったわけではありません」とあなたは書いているので、「そんなことはない」という反応がありそうだなとは思いましたが、私にはそう思えたので、書かせていただきました。
たとえば、あなたが小・中学生のときに人間関係の悩みを打ち明けた時の両親の対応は、あなたが「言い返せ」なかったと書くように、あなたの本当の気持ちを言葉にする機会(自己主張や意見)を奪ったかのように私には見えました。会社での悩みに対しても、あなたに「もうこの人には2度と相談するものか」と思わせるような対応が返ってきており、それはあなたがあなたのままでいることを許さなかった(平気なふりをすると書いているように)のではないかと想像します。そうした経験をー特に子ども時代の絶対の存在である親からー積み重ねてきたら、自分の意見を言えなくなったり、自分を責めてしまったりすることが大人になってからもある、ということは、ある意味自然なことのように私は思います。そうしたことから、私にはあなたが「被害者な自分をアピール」しているようには見えず、純粋に「被害者」であるように見えました。この経験談を読む限りでは、明確な暴言や暴力はなかったのかもしれませんが、正論であろうとなんであろうと、あなたが「怒られる」恐怖や「辛い」と感じる経験をしたのであれば、それは傷つきであり「被害者」であることを認めてもいいのではとも思います。あなたの書きたいことの続きを、もしよければまた書きに来てください。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。小さいころに泣いていたエピソードを読んでいて、自分の気持ちを表現するのが苦手だったのかな?とか人から声をかけられることが自分の想定外に繋がってパニック状態になってたのかなぁなど想像していました。「泣く=感情」という風に感じられ安い一方で投稿者さんの書き方からあまり感情が優位になるタイプではないように感じていて、周りからの感じ方と投稿者さんの中の気持ちの動きのギャップが大きかったんじゃないかなと思います。子どもの発達を学んだ時に、「子どもは周りの大人の声掛けによって感情を学習していく」というようなことを学びました。
ただただ泣くしか出来ない状態のときに「転んで痛くて泣いてるんだね」とか、「おもちゃ取られて悔しかったんじゃない?」とか、周囲の環境と自分の気持ちを結びつけられて学習していくみたいです。(私の中の理解です。)
ただ、子どもの感性はそれぞれ違いますから、その感性に合わない声掛けを多く受けたり、子どもの感性を理解してもらえない環境だと、感情表現のバラエティが豊かに育たないのだろうと思うので、投稿者さんが育ってきた環境ではよく怒られたみたいなので、日常生活の中で表現したり学習する経験が少なかったんじゃないかなと想像しました。
今は子育てをされているということで不安を感じながらも日々頑張らなければならず、余力も少ないんじゃないかなと想像しています。
これまで相談してきてあまりいい経験をしてこられていない中で相談をするのはハードルが高いと思いますが、保健師さんなど使える支援を使うことでお子さんのことも自分のことも守れるのではないかなと思うので、必要な時には利用してもらえたらなと思っています。

感想3

経験談への投稿ありがとうございます。

読ませて頂いて、自己肯定感が低く、自分に価値を見出せないと感じつつも幼少期から今に至るまでを正確に自己分析をされていて、とても客観的に自己を捉えられている印象を感じたのと同時に、それはとても大切なことでもあるように私には思えました。「自己中心的でお嬢様気質」と書かれていますが、自分にとって耳の痛いことを認識して受け止めるのにはとても勇気がいることだと思えるからです。
家庭で問題はなく、大人しい性格だったけどもしかしたら伝えたかった言葉や、心にとどめていた感情などもあったのではないのかなと思えたのですがいかがでしょうか?自己主張も出来ず、意見もなかったとのことですが、「何か指摘されてよく泣いていた」「泣き虫だった」のは本当は心の奥底で主張したい自分や意見があったけど、投稿者さんが無意識に押し殺していたことでもあったのではないのかなと私は想像しました。
自己の肯定は自身で上げたり感じる部分ももちろんあると思いますが、それが全てではなく、他者からの理解や認識で得られるという要素もあると私は思います。そう考えると、ご家族や友達などから投稿者さんに投げかけられた言葉の数々はそれこそ投稿者さんの「自己肯定感」を奪うものであり、全て投稿者さん自身に問題があるということでは決してないと私には思えます。「被害者アピール」と表現されていますが、私にはむしろ近しい人や周囲の人の影響で投稿者さんが実際の被害者であるように映りました。
これまでの人間関係の経験や今も自己表現が出来ずに自分の中に深く根付いているものを払拭することは中々難しいかと思いますが、ほんの少しづつでも投稿者さんが意識的でも無意識でも自分の中に封じ込めてきた「自分の意見や感情」を信頼できる人にだけでも伝えていけるようになることを私は願っています。
キリがないほど書きたいことがあるとのことなのでまた吐き出したくなったら気持ちを書きにきてくれたらと思います。

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