最初に思い出したことから書いてみる。
小学生の頃の私は常に目に見えない何かに怯えているような子供でした。それでいて反抗 心が強かったと思う。被害者意識も。もしかすれば加害者意識もあったのかもしれない。
塾の帰りに交通事故に遭い、運転手のお姉さんは「大丈夫!?」と声をかけてくれたのに、私はぶつかった瞬間にただ怯えたまま謝罪を繰り返し、血が出て、骨が折れているのかもしれないのに、笑って痛みを胡麻化し、足を引きずって家に帰った。
大丈夫です。ごめんなさい。心配してくれてありがとうございます。
今ならわかるけれど、〆の言葉には常にこう言おうとしていた気がする。
「だからどうか殺さないでください。いじめないでください」
私は人間に怯えていました。
自慢じゃないけれど、小学生の頃の私は運動も勉強も人並み以上に出来ていた方でした。
ただ、常識やルールを覚えるのが面倒だったから何も続かなかった。唯一続いたのはゲーム攻略でしたかね。
ゲームって簡単な作法や常識を覚えるには最適で簡潔。
まわりくどい説明は少ないし、覚えなきゃいけない事は数と質で襲ってこない。その時々で必要な事を教えてくれるから、私には最高の娯楽だった。
サッカーのオフサイドなんて覚えにくい。でもモンスターを捕まえるのは簡単だから。
しかもあの頃のクラスメイトのほとんどはゲームが好きでした。
それで出来た友達だっていたから、私の常識感覚や倫理観はゲームを軸にして育てられたと思う。
でも大人って簡単に表すなら「偏見のコレクション」ですから、彼ら/彼女らの人生経験とやらで物事を判断してくるんですよね。
ゲーム脳って言葉をご存じですか? ゲームをしてると頭が悪くなるんですって。
研究結果が出たとかなんだか知らないけれど、未来の事を何も予測すらできないくせして、人の人生は予測できるらしいんですよ。
笑っちゃいますよね。あなたの脳はどこのネットワークと繋がってるんですかって。神様のつもりかな。
そのうえ、人間って大人になっても伝言ゲームだけは出来ないんですよ。
私はあなたじゃないから。あなたもまた、私じゃないから。考える事、見聞きしたことは独自の判断で行いますものね。
だから当時の担任に「ゲーム腹」って言われちゃって。太ってたので。緊急家庭訪問されて。ゲームは一日一時間になって。
最後には嘘をつかれたんです。
「××(私の名前)のゲームだけ盗まれた」
家族にそう言われました。
なんで信じちゃったんだろう。
家族だから? 大人だから? 私より経験値が多いから?
信用してたんだと思うんです。恐らく。祖父母は怒ると怖いけど基本的には優しいし、母は仕事が忙しいけれどどこかに連れていってくれるし。
だから中学生になって、ようやく疑いだしてゲームが押し入れから見つかったとき。
なんでしょうね。脱力感もあり、安堵もあり、諦めがあり……。
でも、それって「親の愛」という言葉で正当化できてしまうらしくて。
この時ゲームがどうとかは、どうでもよかったんです。破損しているだとか、劣化だとかそんなのどうでもよくて。
私はね、こう教えられて育ってたので。
「人が嫌がる事をしてはいけない」って。
中学生になれば、教えられた常識は簡単に打ち破られることが続くことになりました。
まず、いじめられました。
窓から落とされかけたり、教科書に落書きをされたり、同じ部活の子には首を爪をたてられたまま絞められたり。
時間がなくなりました。
自由なんてものは昼休憩と放課後に友達同士で集まる時くらいしかなくて、部活帰宅塾睡眠のサイクルです。形だけの勉強時間だけは10時間近く確保されていたでしょうね。
将来に興味がなくなりました。
考える余裕がなくなったんです。自分に向き合う時間って意外と子供にはなかったんですかね。
勉強が出来なくなって、怒られることが増えました。
何かダメな事をしたら正座して家族会議。何が悪かったのかわからない事を、押し黙っていると思われている間に必死に考え続けました。
とにかくやり過ごしたかった。
私は私でいる事を段々と考えなくなり、周りのみんなの事を考え続けるようになっていきました。
いじめられているのに、その加害者の心配をしすぎて愚痴を言わなくなったり。
怪我をしたのに段々と痛みがわからなくなったり。
網ガラスを蹴破った事があって……その時、私はずっと笑っていたんです。
痛いって面白いなぁって。
カッコつけていました。すごく痛かったです。痛かった筈なんです。
でも思い出せません。20針は縫ったのに。傷だって歳だけ食った私の右膝にちゃんと残ってるのに。
そして、私は唯一の母親に一度だけ捨てられてしまいました。
……まあ、たった一日で家に帰っては来たんですけど。泣きながら。
母の再婚相手予定の方に「お前が悪い」と言われたことだけ覚えていました。
記述し忘れていましたが、私には父親はいません。
彼もまた、私を捨てたからです。物心つく前に。
もう何がなんだかわからなくなって。
私は不幸ですよーって感じで友達に一度捨てられた事を打ち明けてしまって。
復讐したいって。
それを聞いていたいじめに加担していた女の子は
「やめなさいよ。おかあさん悲しむよ」
なんなんですかね。
俺は被害者だぞ。
捨てられたことも無い、愛されて育ってきて、今現在進行形で愛されているはずのお前が何を言ってるんですか。
私ってどういう扱いなんですか。
俺はどうするのが正解なんですか。
まるで正解があるみたいに俺の事語りやがって。
正解があるならとっとと出してくれよ。
人間の正解を早く出してくれ。
完璧で誰にも否定されようがない、完全で最高な正しい生き方を教えてくれ。
俺を否定するな。
いつも俺だけがずっとずっと否定される。
少なくとも俺が見えてる範囲で俺だけがずっと。
もう、その場で殺そうかと。
それからほんの少しの間、生き方が吹っ切れてしまったんです。
いじめに加担すらしてないそこら辺の生徒の首に傘を突き付けたり。
その子は普段の会話で「なんで。なんで」って私の返事のあとにずっと続けるんです。
だから鬱陶しくて。
形式上の謝罪だけ済まして、話をしなくなりました。
ああ、怪我をしてなくてよかった。ごめんなさい。怖かったよね。
殺してやりたかった。あの場で人生の荷物を全部降ろせばよかったのに。ずっと重いままかよ。
相反する考えを同時に持つようになりました。
不思議な事に、一部クラスメイトからのいじめはなりを潜めました。
それでもいじめてくる子はいましたけどね。
よかったです。友達がいてくれて。車が走っていたから丁度いいタイミングだったけれど。
傘の件があってから、私は、私すら怖くなりました。
考えてるだけなら害はないってよく言いますけれど、私の場合は違うんです。
手が出てしまう可能性を見てしまったんです。
理性だけで抑えられるほど私は頑丈じゃないみたいなんです。
人間ってすごいんですね。
ネットでいっぱい調べたんです。
ダメな性格。ダメな生き方。ダメな人の特徴。ダメな対応。ダメな人付き合い。
こうすれば元気になれる。ポジティブになれる。豊かな生き方が出来る。
趣味を持とう。生き方は自分で決めよう。環境のせいにするな。
こうすると人は嬉しい。このタイプはこう。あのタイプはこう。
人を褒める言葉。気持ちよくなる言葉。話し方。仕草。立ち振る舞い。
完璧な人間はいない。誰でもミスをする。受け入れよう。
生きていればいつか楽しい事がやってくる。だから生きよう。
死んだら迷惑がかかる。自殺したあと人は同じ人生を繰り返す。
否定される人生は自分を生きてる。嫌われよう。
全部、できないです。
やろうとしました。
でも失敗しました。もしくはやろうとすら思えませんでした。どうせ私には無理だって。
調べてるうちに10年近くたってしまって、現在はひきこもりです。
私は人間じゃありません。
化物です。
生き物ですらありません。
人が死んだと報道されると「よかったね」「救われたね」「辛かったよね」「嘘ばかりだったよね」「死ねてよかったね」
そんなヒトデナシの言葉ばかり口からするすると出てくるような化物です。
犯罪者にも同じ言葉が出せてしまいます。
しかも化物である自分を受け入れています。
「人間だよ」と言われると複雑な気持ちになります。人間のカテゴリーの話をされると部外者のつもりで話を聞いてしまいます。
これしかなかったんです。
私は嫌われるのが怖くて、嘘をつかれるのが怖くて、殴られるのが怖くて、捨てられるのも、挙句の果てには幸せなのも何もかも怖いので。
人間じゃないんだなって考えるようにするしか自分を守る方法がなかったんです。
感想1
経験談の投稿をありがとうございます。
主にあなたの小中学校時代の経験を読ませていただき、ひとつひとつに対して感想を書きたくなっている私がいます。すべてに応答することはできていないと思いますが、可能な範囲で書かせていただこうと思います。
まずあなたの小学校時代の経験についてですが、あなたの大切にしていた「ゲーム」を大人が「よくない」ものと勝手に判断し、理不尽、かつ、嘲笑しながら奪っていったのかなと想像がされ、腹立たしい気持ちになりました。あなたと同じく、私も(子どもの頃は特に)大人というものは「人生経験とやらで物事を判断してくる」存在のように認識していて、そのことにいつも違和感を抱いて生きてきました。「それ」を理由に大人がすることはなんでも「正しいこと」かのように振舞われることがとても苦痛だった思い出が私にはあり、この苦痛をどう言葉にしたらいいかわからずにいたように思います。そのため、あなたが「大人って簡単に表すなら「偏見のコレクション」」と言葉にしているのを目にして、率直にうまい!と言いますか、なるほど!と思わされ、あなたはどのようにしてこの言葉・表現を手に入れたのだろうと気になりました。
また、「ゲーム脳」という言葉を私は聞いたことがないのですが、「スマホ脳」という言葉は聞いたことがあります(ご存じですか?)。「スマホ脳」というのは、人の脳はデジタル社会に適応できるほど進化しておらず、元来の脳の機能から考えると人はスマホに振り回される生活を送りかねないといった感じの話だったかと記憶しています(私の理解&ざっくりなので誤りがあるかもしれませんが)。端的に言えば、スマホによって日常生活に支障が出る可能性があるという話だった(と私は解釈した)のですが、それを私は「そういうこともあるのかな?」などと受け取っていて、そう受け取ったのはおそらく「スマホ脳」という言葉がどういうメカニズムで生まれた言葉なのか(多少なり)納得できる説明があったことや、「スマホを使っているあなたはダメだ」といったメッセージがそこになかったためのように思っています。そう考えてみると(それが正しいという意味ではないですが)「ゲーム脳」という言葉はきっとあなたが納得できる説明などきっとないままに、そして、「ゲームをしてると頭が悪くなる」といった「ゲームをするのはダメだ」とあなたに言いたいがために使われた言葉であろうと想像しました。だとすると、あなたが怒りとも呆れとも取れる反応を示すのはその通りだと思いますし、その反応は「ゲーム脳」という言葉そのものに対する反応というよりも、不誠実な大人の姿勢、あなたの話を聞こうとすらしない(大人独自の)姿勢によって生じたものかなと思ったのですが、どうでしょうか。その話の続きにある「ゲーム腹」という表現はあり得ない表現のように私には思えましたし、「担任」の先生という本来子どもの尊厳を守るべき立場の人がそんな言葉を使ったということは許しがたいことだと憤りを抱きました。親があなたにしたことも、あなたが大事にしていた「人が嫌がる事をしてはいけない」という教えを裏切る行為であったと思え、あなたをひどく困惑させ、落胆させただろうと想像しています。
続いて、中学校時代の経験についてですが、あなたの中学校時代は相当ハードなものだっただろうと思いながら、読ませていただきました。あなたが受けたいじめは、あなたに強い恐怖を与えたことと思いますし、自由のない生活に加え、勉強のことで怒られる日々はあなたを相当苦しめただろうと想像しています。中学生の頃というのは、大人に近付いていく時期であり、何もなくても体と心が揺れ動いて不安を感じやすい時期だろうと私は認識しています。そんな時期に、そうした恐怖や苦痛を感じる経験を重ね、「何が悪かったのかわからない」のに一方的に正座をさせられたり、不安を話せる大人が身近にいなかったり(なんなら「お前が悪い」とまで言ってくる大人がいる)といった状況に立たされていては、「復讐」といった強い怒りや憎しみをあなたに抱かせるのもおかしくないことのように私には感じられました。それほど、あなたの傷は深く、追い詰められ続けてきたということなのだろうと想像しています。そこに「正論」が加わればーしかもあなたの境遇などおそらく考えもしない人からーあなたが強く怒りを叫ぶのも(「なんなんですかね」から「少なくとも俺が見えてる範囲で俺だけがずっと」までが私にはあなたの心の叫びに聞こえました)自然なことだと思います。最初から「復讐」をしたいって思ってる人なんてそもそもいないわけで、なぜあなたが「悲しませる」立場で語られるのか…と残念に思うというのか、虚しいような感覚に襲われました。恐怖・怒り・憎しみ・虚しさなどなど、様々な気持ちが渦巻くような内容・経験を今こうして言葉にしてくれていることに敬意を表したくなっています。
最後に、あなたが「手が出てしまう可能性を見てしまった」ことに怖さを感じていることと、「化物」と自身を呼んでいることについて少し書かせてください。上にも書いたように、あなたが「殺してやりたい」ほどの思いを持ったことは自然なことだと思っていることをまずは改めてお伝えしたいと思います。その上で、そんな思いを持つあなたのことを、そして、事件などに対して(あなたの言う)「ヒトデナシ」な反応をするあなたのことを、あなたは「化物」と呼んでいるのかと思いますが、個人的には、あなたがネットで調べた「人」になるくらいなら、そのままでいてほしいと私なんかは思ってしまいました。確かに、事件などに対するあなたの反応は、いわゆる不謹慎な反応と言われるものなのかもしれませんが、そういう気持ちも抱くと正直でいられるあなたや、「怯えていられる」あなたの方が「あなた」のように私には思えたのです。「人間じゃないんだなって考えるようにするしか自分を守る方法がなかった」と言えるあなたの方が「あなた」なのではないか、と思うのです。それが「化物」なのであれば「化物」でいることも悪いことではないのではないだろうかと、私は思ってしまいました。
少し脱線するかもしれませんが、とある地域には「鬼」の逸話が多くあると言います。なぜその地域には「鬼」が多いのか。それはそこに住む人たちを虐げてきた「人」がいたからだそうです。そのことを、「鬼」は「人」が作る、と言う人もいます(これらはあくまで私が目に耳にした話です)。あなたが自身を「化物」と呼ぶようになったのは(理不尽にあなたを虐げた)「人」(の行為&それを黙認していた環境)がそうしたのではないかと私は考えます。不条理な話・酷な話ではありますが、だからこそ、あなたには「鬼」を作る「人」にはならないでほしいなと私は思います。どうしたらそうしていられるかを、もしよければ一緒に考えていられたらうれしいです。ちなみに私は自分のことを「妖怪」だとどこかで思っています(正確には、この世界には「妖怪」がたくさんいると考えています)。そこにはいろいろな意味があるのですが、私は自分(人)が人を傷つけうる存在であることなど、未熟で未知な部分があることを忘れないでいたいといった意味で「妖怪」だと思うようにしています。あなたがここに経験談を書いてくれなければ、こんな話を誰かに伝えるということはおそらくなかったと思います。その意味で(独りよがりな言い方で申し訳ありませんが)投稿していただき感謝します。よければ、ぜひまた書きに来てください。