経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

心の渇き

この世界は地獄だ。
自分の身に何が起こっても、結局誰も助けてくれない。私は、高校3年生の時に統合失調を患い、薬の調合が合わず、セカンドオピニオンを受診したところ、うつ病と強迫性障害と診断された。月に一回の受診と3分診療の内容のみで、この一か月に起きたことをすべて理解できるほど頭が良いのかね、医者ってのは。こちらが下手に出れば同じ薬を処方するだけ。こちらが強気に出れば態度は一変し、薬は変えられた。私は、性格上、強く出ることが出来ず、医者の言うとおりに過ごしてきた。その結果、半年間同じ薬を飲むことになり、半年間を無駄にした。大学を無理くり卒業し、無職となり、資格も経験もない人間がどうして社会に溶け込めましょうか。まして精神病が。主治医から勧められた生活訓練施設も就労移行支援も結局続かなかった。自分に失望した。今は家で引きこもり生活を送っている。やることと言えば、料理くらい。それもできるときだけ。両親へのうしろめたさはある。
2020年に有名な俳優が3人も立て続けに亡くなった。私の卒業論文は「児童虐待」がテーマだった。理由は簡単だった。亡くなった俳優の中に、私の尊敬する俳優が居て、その人が虐待経験者だったからだ。それを知ったのは、その人が亡くなってから記事で初めて知ったのだが。私は、うつ病のせいか外出が出来ない。両親の仲も悪い。はっきり言って、私の居場所はない。夢も希望も。誰しもアニメの主人公のようにハッピーエンドに終わらない。
難しいことは分からないが、誰しも心に傷を負って生きている。笑顔が素敵な人だった。その俳優は、14歳で母を亡くし、翌年に自分と同い年の異性の兄弟が3人もいる子連れの女性と父親が再婚した。その俳優の父親は鉄拳制裁も辞さない人だったという。子どもの気持ちを理解するならば、そこで再婚すべきではなかったと思う。私たちは無力だ。人一人救えない。心の痛みに気づけない。叫びにさえも。何もできずに老いて最後は枯葉のように散っていく。何のために生まれてきたのか、ただの傍観者、モブのような人生。地域包括支援センターは65歳以上しか相手にしない、保健所は相談者をたらいまわしにするだけ。スクールカウンセラーの心理士は、傾聴するだけで何の回答も得られない。大学の教授でさえ心無い人だった。人間味に欠ける。大学院を出て心理士になったとて、この程度の実力ならお金の無駄と言っても過言ではない。私は大学で心理学を学んだ。それはつまらないものだった。はっきり言って、授業料は死に金だった。あのような教育の仕方で心理士を養成するからろくな心理士が生まれないのだと思った。やれ論文だの、心理検査だの、心によりそう気がないとしか思えなかった。どこか機械的だった。友人も頼れる人物もいない私は孤立した。私はコミュニケーションが苦手だった。それゆえに、友人が作れなかった。しかし、無理して笑っているのは分かった。人の顔色を見て、その人がいかに無理をしているか、察することは出来た。経験から、自分を偽物の自分に変えて接することで、心を守っているのを感じた。みんな満身創痍だ。社会に出るということは、このような生きづらい世の中に足を突っ込むことに等しい。有名人が自殺をすると、度々流れる厚生労働省の管轄するいのちの電話などの相談場所があるが、私は本当につらいとき、使ったことがある。「ただ今、大変回線が込み合っております、、、」その機械音で絶望に落ちた。本当に苦しいとき、相談所としてテレビで紹介されている場所が使えない。まるで、25mを息継ぎなしで泳いでやっと息がすえると思ったら頭を水の中に無理やり沈められるかのような感覚。嫌気がさす。偽善にあふれたこの世界を呪ってやる。小学生までもが自殺をするこの国の社会はマヒしている。学校に行かねばならない、家に居場所がない、どこにも味方がいない、そんなんだから死ぬんだよ。
作り笑いでごまかして、それでごまかせているつもり?その姿を見るのが一番きついんだよ。
つらいならつらいって言える場所が欲しい、素直になれる場所が、本当の自分になれる場所が。そんな場所がこの世に合ったら、もう少しだけましな国になったのかもしれない。自殺大国と呼ばれる日本は、政治家の汚職や教師の汚職、まともな大人なんていない。いたとしても、小さな命一つ助けられない。くだらないバラエティー番組、先輩芸能人のつまらないギャグで作り笑いをしている出演者に、それに良い気になってまたつまらないギャグを連発する芸能人。必死に生きている労働者階級は芸能人よりもはるかに低い金額で暮らしている。今も昔も、人間は身勝手で、死すらおそれない。恐ろしい生き物だ。自殺をする動物は人間以外にいない。もし、この仮説が本当なら、人間はなんて悲しい生き物なんだろう。私のうつ病は治る見込みがないし、この先どう生きていこうか不安になる。親が死ねば私も死ぬのかもしれない。死ぬしかないのかもしれない。私は弱い人間だ。母親のうつ病も治せない、ただ苦しんでいるのを見ていることしかできない。どうあがいても、魔法使いでもない限り、人の心を真に癒すことなんてできないのだと思う。私たち人間は、傲慢で身勝手で、嘘つきで、弱い。私は人間こそ人間らしい生き方が出来ない生き物だと思う。人間が一番人間じゃないのではないかと思う。人間であろうと取り繕っているだけで、本当は人間の皮をかぶった得体のしれない何かだ。悩みを打ち明けても、考えているふりをしているだけ、本当はどうでも良いと思っている、偽善者。心理職なんて特にそう。私は何を間違ってか、心理に足を突っ込んでしまった。己の無力さを知り、ただニュース速報で誰が自殺したとか、そういうニュースを流し聞きしているだけ。キャリアなんてくそくらえだ。自分が何年心理士をやろうと、人っ子一人心を楽にすることが出来ないだろう。保健室も学生相談も保健所もNPO
も全部あたった。全部期待外れだった。死にたくなった。失望した。こんなにも人は無力なのかと。何が専門職だ。安定した職に就けばよいという日本の考え方が嫌い。右にならえ。生きろとすら言ってもらえなかった。この世の中は腐敗している。鬼束ちひろさんの月光の歌詞に共感する。所詮偽善者よ。みんな。良い人に見られたいから良い人を偽っているだけ。
実際そうでしょ?きれいごとだけ並べていれば幸せよね。私が求めているのはきれいごとなんかじゃない、気休めでもない。もう何を求めてあんなに必死になっていたのかも忘れてしまった。どうしたらこの心は休まるのだろうか。救われないまま終わるのか。この世に神はいない。偶像だ。所詮、宗教の違いで紛争をしている地域もあるんだから、人間って本当にバカな生き物よね。人間って下等生物なんだと思う。虐待件数だってただの認知件数だ。本当の件数は誰も知らない。過去からは逃げられないんだよ。虐待経験者は自分の子供にも自分が過去にされたことを同じことをするという。それが連鎖だ。人は変われない。未来は変えられるっていうけど、過去が呪いのように足を引っ張り、呪縛する。誰もそれからは逃れられない。だって過去は真実なのだから。過去ほど信ぴょう性の高いものはない。過去が今を作っている。人のバックグラウンドも知らないで他人がとやかく言う資格なんてないのさ。
偽善者にはなりたくないものだ。
このような方法でしか存在証明が出来ないのだから、終わっているよね。

感想1

文章を読んで、投稿者さんの絶望する気持ちが伝わってきました。
やっとの希望に期待しては苦しい思いをすることが繰り返しあったからなのかなと想像しました。まさに「25mを息継ぎなしで泳いでやっと息がすえると思ったら頭を水の中に無理やり沈められるかのような感覚」なのだろうと思いました。
投稿者さんの中には、世の中の誰かの痛みや苦しみを本当であれば減らしたい、あるいはなくしたいという思いがあるのかなと想像しました。でも、それはあまりにも難しくて、自分のことだけでなく他者のこと、そしてこの社会全体のことにがっかりしている気持ちを感じました。
私は生き物に上等・下等があるのかはわからないですが、正直2023年の地球という場所の中にある人間社会というものはそうとう未熟だと思います。いま苦しんでいる人がどれだけいるのか、これまでの歴史で、どれだけの苦しみがあっただろうかと想像したらうずくまってしまいたくなります。自分は本当に無力だなと思います。その一方で、じゃあほんの少しもなんにもできないのか?と考えると、できることもあるのかもとも思ったりもします。私の場合は本で昔の人が言っていることとか、小説や漫画とか歌とかに励まされたり、助けられたりした部分もあるから、そう思っているのかもしれません。
もちろん、それが全ての人に適用されるものでないこともわかります。それも人の状況によっても変化すると思います。ただ、人によって助けになるものが違うなら、そういうものがあっても意味がないというよりは、むしろ、ものすごく多種多様に必要ということかなと思いました。投稿者さんにとって必要なもの、この社会に必要だと思うものについて聞いてみたいと思いました。
「心の渇き」というタイトルが印象的でした。それは投稿者さん自身のことを書いているのかな?と思いましたが、どうでしょうか。渇いた心に必要なのは水かな?と思いましたが、その水はどんなものなのかなと思いました。
また、なにが善でなにが悪かも難しいなと思います。投稿者さんの思う「偽善」と「善」はどういうものかも、よかったら聞いてみたいです。

感想2

かなり強い怒りやもどかしさ、パワーのある経験談でした。あなたが言うようにこの世界は地獄という表現に共感できるところはたくさんあります。社会の不備により本当に多くの人たちが様々な事情で苦しんでいることも知っているので、自分のせいではなく一方的に背負わされた苦しみを抱え、社会に対して何とかしてほしいという強い気持ちがあることは理解、想像できます。私もそのような中で相談や支援にも携わっていて、限界や無力さを感じることは多くあります。だから、自分に対して言われているのではないと分かっていながらも、支援がすべて役に立たなかったと言われると、ちょっとだけ刺さるものもありました。あなたの書き記したことに納得や共感することもたくさんありましたが、責める言葉や内容は読んでいてちょっと堪えました。この気持ちは何なのだろうと感じながら読みました。自分の中にある無力感やその言い訳を投影している気持ちなのかもしれないと思いました。
でも、最後の1文でストンと落ちた気持ちになりました。誰かを責めているような、攻撃しているような内容は、今のあなたなりの率直な表現だったのだと私は思いました。存在証明という表現を使っていますが、自分が感じていることを思いのままに表現した結果がこの文章なのだろうと理解しました(間違っていたらすみません)。これまで、相当に自分の気持ちを押さえ込んできたり、思いを否定されたり、苦しみやつらさを表現できずに悶えたり、自分のことを理解してもらえずに絶望したり…と存在証明をする機会、自分という存在を他者と分かち合ったり、認め合ったりする経験がなかったのかもしれないと勝手ながら想像しています。
虐待の連鎖について書かれていましたが、学術的にも自分のされたことを再びしてしまう人よりも、自分の経験を生かしてしない人の方が多いことがわかっています。虐待をしてしまうのは個人の問題ではなく、子育て支援や子育てや家族(特に親子関係)に対する社会のまなざしや価値観の影響が高いと思います。学んで繰り返さない人の方が多い一方で、まだ同じことをしてしまう人がいるということは、社会がまだ子育てが安心してできる状況ではないことを示していると思います。ただ、人は愚かである側面と学ぶことができる側面と両方あると私は思っています。悪あがきかもしれませんが、人の学べる側面を信じてみたいと思っています。
最後に、既存のものは何も役に立たなかったとありますが、どういったものなら役に立ちそうか聞いてみたいです。私自身も今の相談を受けるところを増やすという対処療法的な仕組みでは限界があり、今の社会の本質的な課題には届かないのではないかと感じています。あなたなら、どういったアイディアがあるのか聞いてみたいと思いました。もしも、あなたなりの意見があったら、教えてください。

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