経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他者との共存の難しさと死にたい思い

幼少時から他人の顔色を伺い、他人の気持ちを優先してきました。他人との衝突を避けるため、無意識にそうしていたのだと思います。人にどう思われているかも異常に気になります。それは、社会人になってからも変わらず、むしろ社会人になってからの方が尚つらく、うつ病を患って10年以上が経ちました。
現在、無職です。もう40代です。親も高齢となり、焦りばかりが募ります。
ここ数ヶ月で更に辛い事が重なり、希死念慮が出ている今です。
辛い気持ち、死にたい気持ちを両親や兄弟、友人に相談しても、こればかりは理解し難い事だし、負担にもなっていると思います。申し訳ないです。
病院やカウンセリングに行っても、最終的には自己改革が必要なのでしょう。でも、なかなか上手く行きません。
正直、もう疲れてしまいました。心の何処かでは生きたい思いもあるのですが、「死」にも執着してしまいます。

感想1

読ませていただきました。
個人的に、言葉選びや文章からの印象が気になるタイプなので、その視点からの感想になってしまい…勝手ながら、タイトルの「他者との共存の難しさ」という表現に惹かれ、感想を書かせていただいています。(投稿者さんがどのくらい厳密にこのタイトルをつけられたか分かりませんが)私は、この「共存」という表現に、投稿者さんの願いや、苦しさが詰まっているように感じられたり、そこから派生して、世の中の「生きづらさ」について考えました。
社会の中で生きていると、どうしても他者とコミュニケーションを取り、すり合わせないといけない場面ばかりですが、特に社会人になってからは、幼少期よりは自分で関わる相手や社会を選ぶ自由を手にしやすい側面がある反面、(経済的・精神的等の)「自立」を強いられ、結果的に共存を強いられる割合が多くなっていく気もします。もしかすると、そういった部分で投稿者さんは社会人になってからの方がより辛さを感じているのかな…と推測し、またその強制力の強さみたいなものが、ご自身と現実的な面(就職など)との折り合いをつけることのハードルにもなっているのかなと想像しました。
「共存しなくては」と思うと、どうしてもそこへの難しさや、そこに対峙しきれない自分に矢印が向いて、余計に辛くなる気がします。そういった意味での死にトリは、明確に対峙する他人もいないですし、相談とはまた形が違いますが、「思うようにいかないもどかしさ」をそのまま吐き出せる場所だとも思います。自分を向き合い続けるのはしんどい作業なので、また疲れた時にはぜひ、休みに来てほしいです。投稿ありがとうございました。

感想2

無意識のうちに他人優先の生き方をし、自分を押し殺してきたことでそもそも自分の思いや考えを表に出すことの困難さやありのままの自分でいいという感覚が分からない状態なのではないかなと想像しながら読んでいました。
人にどう思われるか異常に気になるとあり、特に社会人になると評価にすぐ結びつくことも多いことかと感じますし、毎日不安と隣り合わせだったのではないでしょうか。そのような中で、少しずつ負担などが蓄積されていった結果、うつ病という形で心身のSOSが表出したのだろうと思いますし10年以上の間、死にたい気持ちとなんとか持ち直そうという思いとの葛藤を繰り返してきたのではないかなと感じました。(違っていたらすみません)
「最終的には自己変革が必要なのでしょう。」とありましたが、上手くいくかいかないかは一旦抜きにしてどういったものや環境であれば少しでも自分を変えられそうだと投稿者さんは感じているのかもしあればお聞きしたいなと思いました。
なかなか物事が良い方向に進まず、焦りの気持ちだけが積み重なっていっている状況かもしれませんが身近な人やカウンセリングなどでの相談や、このように経験談を通して自分の気持ちを発信していることを考えると自分にとって必要なところに繋がる力がある方で、その力は自分を助けるために大切なものだと私は感じました。難しいことかもしれませんが投稿者さんが少しでも心安らげる時間がこの先持てるようになることを勝手ではあるのですが祈っています。また良ければいつでも、死にたい気持ち含めて投稿者さんの声を死にトリに届けてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。

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