経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

大体孤独

私は外見多分、悩み事なさそう。毎日楽しそう。行動力ある。そんな風に思われていると思います。だってこれは自慢でもなく演じているから。
このように自分を使っていないと本当の心を出したら多分自分が崩れてしまう。壊れてしまう。生きていけないくらい暗いトンネルに入っていくぐらいありのままの自分を出すのは怖いです。だからいつも笑って平気そうな顔でいます。だからそんな私の本当の姿に気付いてくれる人なんて今まで1人もあったこともありません。占い師なら見破れるかなと思って行ったところでも、外見を占われるだけ。だから占い師のことも信じていません。
そんな私はひとりっ子で親は、しつけには厳しく小さい時から笑顔でいなさい。いつも平常心で。やられてもやり返したらおんなじだから絶対やり返すな。そう言われてきました。だから、高校の時いじめにあっても笑っていました。初めはいじりがスタートです。正直嫌だなあと思うことも、笑顔で対応していました。だから今嫌なことも、皆んなが背けるような取り組みもならばと気付いたら手を上げて引き受けています。でも家に帰ると一気に崩れ泣きじゃくる日もあります。次の日が来なければいいのに。明日休もうかな。明日どんな理由で休めるかな。そんなことをいつも考えています。でも明日が来ると、また演じる自分がやってきます。
そんなことをやり続け今年で私も22歳来年就職です。やりたいことはあるけど、今の自分は、どんどんぐちゃぐちゃで、演じる自分と本当の自分が毎日葛藤しています。本当の自分が勝った日はそのストレスから過食に走ったり、衝動買いになったり、悪いことだらけです。
そうならば誰も知らないところに行っていっそのこと1人になりたい。でも親になんで言うべきか、多分親は私のところに来ます。だけどこんな本当の私を知って親はどう思うでしょうか。
ならばもっと楽になる方法といつも悪い方に考えてしまいます。
私のわがままでありますが、ここまで育ててくれた親、家族には感謝することは多いです。大学で友達になってくれた人自分と関わってくれる人には、本当に毎日感謝です。だけど、だけど、、本当の私を知っている人なんて1人もいない。気付いて欲しいとも言わないけどこの感じがいつも自分を苦しめているそんな日々です。
だから、孤独なんです。辛いです。
外見明るく振舞ってないと壊れちゃうから。
見えないとこで今日も私は泣いてます

感想1

最初に読んだ時、「ありのままの自分を出す」ことを「生きていけないくらい暗いトンネルに入っていく」ことに例えている文章が印象的でした。
「生きていけないくらい暗いトンネル」とはどんな場所なのだろうと想像しました。光の入らないところで、じめじめしているのか、それとも空気は乾いているのか、すみのほうに雑草が生えていたりするかもしれない、音はぼわーんと響くかもしれないな…なんて、考えました。そこに入っていくのは、たしかになんだか怖いなと思いました。
また、逆に投稿者さんの「演じる自分」の方はどんな場所(あるいは、どんな場所にいる)なのだろうと思いました。

「演じる自分」がうまく演じられれば演じられるほど、「本当の自分」が遠ざかっていってしまう、けれど今から「本当の自分」とのすり合わせをするのも難しい状態なのかなと思いました。
「今の自分は、どんどんぐちゃぐちゃで、演じる自分と本当の自分が毎日葛藤しています」と書いてあって、余裕がないと感じているのかなと思いました。
また、「演じる」というのはそれ自体少し疲れることなのかもしれないとも思いました。人は全く演じていない方がいい…とも私は思わないのですが(というか、相手や状況に合わせて、少しずつ違う面を持っていることは、多くの人に言えそうで、それ自体は悪いことでもないなと思います)、ずっと演じている感覚だと、それがどんなに板についていたとしてもも、時には疲弊してもおかしくないと感じました。

ふと、この経験談は「本当の自分」が何割で、「演じる自分」が何割なんだろう?と気になりました。この中には、いつもの「演じる自分」とは違う自分も含まれているのかもしれないなと思います。もしかすると、匿名のやりとりだからそうしやすかったのかな?とも想像しました。(違ったらすみません)
投稿者さんがこの経験談をどんな気持ちで書いたのか、また、今振り返ると、書いた時の自分はどんな感じだったか、どう見えるか、聞いてみたいと思いました。
「演じる自分」や「本当の自分」も2種類だけということでもなく、いろいろなバリエーションがあったりするのかもなとも思いました。
また、「本当の心を出したら多分自分が崩れてしまう」と書いてあったけれど、もしこの経験談の中に「本当の心」が含まれているとしたら、この経験談が「崩れてしまう」感じにならずに、少し出してみられるやり方だったならいいなと思いました。
そうじゃなかったとしたら、どんなふうにだったら「本当の自分」「本当の心」を安全に出せるのか、考えてみたいと思いました。

感想2

文中にもあるように、「演じる自分と本当の自分が毎日葛藤しています。」という言葉がよく伝わってくるなと感じながら読んでいました。葛藤しているということは、これまで当たり前のように植え付けられてきた“演じる”ということに何かしら違和感を抱いているのかなと感じますし、演じるということへの疲れと演じないとどこか認められないのではないかなという恐怖感とで、どっちの自分でいるかということがまだ投稿者さんの中でも定まっていないのだろうと想像をしていました。幼少期の頃から自然と周囲の理想の自分像を求められてきたことで、自分の本心とは真逆の行動を取らざるを得なかったのだと思いますし、それはどんどんぐちゃぐちゃになってしまうのも当然だなと私は感じました。本当の自分が出た時に投稿者さんとしては悪いことだと感じてしまう行動も、演じている自分への反発心やSOSで、ある意味正しい反応なのではないかなとも感じます。限度はあるかもしれませんがそういった行動を取ってしまうことにあまり自己嫌悪になってほしくないなという気持ちと本当の自分でいる時の状態の時間をもう少し解放してあげてほしいなと勝手ながら思ってしまいました。(それが難しいことは承知で・・・)
最後のほうに「だけど、だけど、、本当の私を知っている人なんて1人もいない。気付いて欲しいとも言わないけどこの感じがいつも自分を苦しめているそんな日々です。」とありましたが、もし投稿者さんが本当の自分を周囲に見せた時どういう反応がかえってくると思っているのか、また、どういう場であれば投稿者さんが安全に本当の自分を出せると思うかもしあればもう少し詳しく聞きたいなと思いました。
リアルの場ですぐに演じないで過ごすというのはあまり現実的ではないかと感じるので、この経験談をきっかけに死にトリが投稿者さんにとって少しでも“演じずに過ごせる”場であればいいなと感じますし、良ければ今後も上手に活用していってほしいなと思います。またいつでも思いや考えを届けてくださいね。経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

返信ありがとうございます。

ありのままの自分を出せるのは私は家の中で1人でいる時です。だから色々なところに出たり、帰りが遅くなるほど不安な気持ちがいつも増します。

でも、ワガママかもだけどそんな友達がいたら私は少しでも安心できるのかなと思いました。
その他にも同じような思いがある人とも話してみたいです。

今回読んでもらってそれに感想をくれただけでも私は誰かに届いて良かったと思えました。
苦しいときの胸中を聞いてくれる人がいるってすごく気持ちが軽くなるなと思います。

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