どこかに吐き出したくて書くことにしました。
今、私を含めた5人家族のうち3人とほぼ縁を切ってしまった状態にあります。でも3人全員同時にではなく最初は母でした。母は私が産まれる前から周りの環境で苦しんでいて、それが主な原因かは分かりませんがあまり良い母親ではありませんでした。私の他に2人の姉がいるのですが、その2人にも母に苦しめられた過去がたくさんあるほどでした。それらを耐え抜いて成人になった姉たちは家を出ていき、末っ子だった私は必然的に母の掃き溜めにならなくてはいけない最後の人間になりました。その日々はもう数十年前の出来事なのに今でもその時の取り残された絶望感と助けてくれなかった怒りと苦痛を思い出して精神がぐちゃぐちゃになります。当時ようやくその地獄から抜け出した頃には精神がほとんど手遅れの状態でした。それから数年後、なるべく遠い土地で落ち着いて働けていたのですが立ち直っていない心に追い打ちをかけるように2人の姉と縁を切るほどの喧嘩をしました。喧嘩といっても私にとっては一方的にひどい言葉を浴びせられた記憶しかなく、呼吸が出来ないほど追い込まれてしまいずっと後になって冷や汗の止まらない手で縁を切らせてほしいという文を送りました。その後は通知も何もかも切って無理やり何も見ないようにしています。
そうやって環境を少しでも変えて心を癒そうと過ごしていましたが、落ち着いていけばいくほどふと目にしたテレビの中の家族や微笑ましい親子の話が頭に入ってくる度に「自分もこんな風に生きたかった」ともう直接苦しめられていないのに辛くて泣いてしまいます。しかし本当は私にもあったのです。当時は苦しみに囲まれてそれを感じる余裕がありませんでしたが、少し落ち着いた状態の今だからこそ気付いてしまいました。暴力もひどい言葉もあった母親でも誕生日にはなんとか私の好物を作ろうとしてくれたこと、人形が好きだった私にぬいぐるみを作ってくれたこと。2人の姉も決して最初から私を遠ざけていたわけではありませんでした。そういった記憶が今まで憎しみ続けていた私には苦しくて泣きたくもないのに「嬉しかった」と自覚するだけで止まらなくなります。縁を切ったのは自分自身の癖に思い出をまだ大事にしているような自分嫌で嫌で仕方ないです。同時にもう2度と同じ事は起きないと分かっているので余計に苦しいです。虚しいです。悲しいです。いつか母が言った「子供を産んだせいで自分の好きな事を出来なかった」という言葉よりもその温かい思い出だけを信じていたかったです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
思い出す優しさがずっと痛くて苦しい
感想2
最初の1文を読み、「どうぞ、思いきり吐き出してください」と後押しする気持ちが湧いてきました。最初にそう書くということは、心の中にしまっていて、相当に苦しかっただろうと想像したからです。家族に対する相反する気持ちに葛藤し、苦しめられていることが伝わってきました。どちらも本当の気持ちだろうと思いますし、それぞれの気持ちがあなたの中で言い争いや主張をしあっているのかもしれないと思うと、引き裂かれるような思いや、その揺れと共に過ごすことは心への負担も大きいように思いました。
そうした相反する気持ちで揺れているとは言え、私はあなたが明確に自分の気持ちを持っていることを心強く感じました。母親のことをその背景も想像しつつ「良い母親ではなかった」と客観的に理解していること、また関係がよくない家族と距離をとることで、関係性を維持しようとした判断や選択、そして姉との関わりにおいて理不尽を体験した際に、縁を切ってほしいと直接伝えたことなど、全てのことが自らの気持ちや希望に基づいて、自ら選択した行動をとっています。子ども時代に母親のクッション役となり、自分を犠牲にしたことが多かったと思いますが、その中でも自分という存在を見失うことのない強さを感じたのです。
あなたの存在の強さは過酷な環境の中にあっても希望や可能性も手放すことなく、密かに持ち続けたのではないかと思いました。諦めや絶望も多かったと思いますが、温かい人とのつながりを求め、かすかな経験を大切にしたいという願いがあったからこそ、過去の家族との温かい記憶を思い出しているのではないかと思います。
今は相反する気持ちはぐちゃぐちゃに入り混じり、あなたを混乱させているのかもしれませんが、私にはやがてあなた自身がその両方をうまく整理したり、使い分けたり、共存させる術を見つけるように思いました。前半の方で書きましたが、これまでも大変な状況に会っても、自分なりに考えて対処をしてきた様子が伝わってきたからです。ただ、一人で抱えるのは苦しいことだろうと思います。こうして吐き出すことが少しでも役に立つのであれば、また死にトリを活用してください。待っています。
感想1
これまで心のうちに溜め込んできた家族への思いが溢れ出ているように感じましたし、ずっと一人で自分の感情と向き合い、葛藤してきたのかなと想像しながら読んでいました。
お母さん自身も周囲の環境に苦しめられてきたのだとは思いますが、だからといって投稿者さんやお姉さんたちを苦しめていいことにはならないと思いますし、苦しんできた時間がいくら過去のことでも当時の感情や周囲に対する怒りや絶望感などはそう簡単に忘れられるものではないと、私も家族のことで苦しめられたことをよく思い出しては感じることです。
お母さんから距離を置き、お姉さんたちとも自ら縁を切ったこと、気持ちの上では本意ではなかった(良好な関係性を築けるのであればそうしたかったのではないかと想像します)とは思いますが、投稿者さんが壊れないためにも必要なことで賢明な判断だったのではないかなと私は感じます。一方で、ようやく苦しみから抜け出せたと思ったのに時間が経てば経つほどに苦しめられてきた事実に直面する機会は増え(テレビの中の家族や微笑ましい親子の話なんかは特にそうですよね)、自分には手に入れられないことを突き付けられそこでも苦しむことになるのはあまりに理不尽だなと考えても仕方のないことなのかもしれませんが思わず考えてしまいます。
きっとこれからもタイトルにもある「思い出す優しさが痛くて苦しい」という感情とは付き合っていかなければならないものなのだとは思いますし、最後のほうに書かれていた「縁を切ったのは自分自身の癖に思い出をまだ大事にしているような自分嫌で嫌で仕方ない」という葛藤も続くことと思いますが、そういったことをこうして投稿してくれたように少し外に自分の感情を出す機会が必要なのではないかなと思いました。今すぐ完全に気持ちを消し去ることは難しくても、どこかのタイミングで「もう(この感情を)手放してもいいかな」と思えることで投稿者さんが少しでも今より心が軽くなることを祈っています。また良ければいつでも死にトリに参加してくださいね。経験談の投稿ありがとうございました。