経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

昔のちょっとした経験

私は20歳を超えた大学生です。
両親と弟(大学生)弟(高校生)妹(中学生)、そして私の6人家族です。

早速私の昔の経験についてお話したいと思います。
(所々記憶が曖昧なので思い出せる限り書こうと思います)
私が死にたいと思うようになったのは中学の頃からです。
小学校高学年の頃、父親がとある理由で捕まり、2年ほど父親がいない家庭状況が続きました。母親は生活のためにも仕事を頑張ってくれていて、私は家事全般を支えようと頑張りました。上にも書いたように、私には3人の兄弟がいて、1人(高校生の弟)は発達障害を持っています。
家事をすることや保育所へお迎えに行くこと、それらは当時大変だと思っていましたが、慣れればそんな風に思う事が無くなり、その時初めて「慣れる」という事がどんなに楽か知りました。
それから月日が経って裁判が終わり父親が帰ってきました。
その時には私は中学生になっていて、保育所へのお迎えや晩御飯を作ったりなど変わらず自分なりに頑張っていました。
しかし、本当に大変だったのはここからで、父親が発達障害のある弟に手を出し始めました。
両親は言葉に出るし手も出やすいタイプで、私や他2人もキツい言葉をかけられる事や怒鳴られることが多々ありました。しかし、そんな私たちよりも酷かったのは発達障害の弟への暴力です。
私は怒鳴られることや何か言われることに慣れていたので何も思うことは無かったのですが辛かったのは弟を助けることができずその様子を見ることでした。
父親だけでなく母親も手を出す日があったり、凄く怒る日があったりなど、いつ怒り出すのかとソワソワしてしまう日が続きました。
ただずっと機嫌が悪い訳じゃなくて、基本的には仲良くしているし毎日暴力沙汰になった訳ではありません。
しかし、ある日私が中学から帰ってくると弟の額に大きなガーゼが貼られている事に気が付きました。
なんだか胸騒ぎがしながらもその時にいた母親は何も言わず、仕事から帰ってきた父も何も言わず、私は気になりながらも晩御飯を食べている時でした。
インターホンがなり、出てみるとそこには児童相談所の職員と小学校の担任(発達障害の弟の)がいました。
どうやら朝、母親が怒ってフライパンで殴ってしまったようです。その時初めて知った私は軽く頭が真っ白になりました。
それと同時にこれを機会にもしかして…と思いましたが、両親が逮捕されたらどうなるんだろうと考えてしまいました。そんな風に考えていると、驚くことに父親は『育ててみろよ!』と職員たちを怒鳴りつけ帰してしまいました。
それから児相は来ることなく、私が高校に上がるまで大きな出来事はなく過ぎていきました。
(すみません、記憶が薄く家族との出来事はあまり思い出せませんでした)
高校生になり、またある日バイトから帰ってくると弟がいませんでした。
そして母親に訳を聞くと、どうやら母親と弟は揉めに揉めたようで警察を呼ぶことになったようです。
その時弟は母親に傷(引っ掻き傷のような)を付けたようで、そのまま保護になりました。
それから、家庭センターや児童相談所と相談し弟とは別居になり私が20歳になった今でも帰ってきていません。(弟は現在16歳、別居を始めたのは11歳頃)
帰ってきていませんが、面会はできるようになったので最近では月に1回母親が面会を行っています。
両親はよく、発達障害の弟が連れていかれたと言うのですが、個人的には別居できて良かったと安心してしまいました。
あのまま、もし家にいたら弟の身が危ないという自覚があったからです。
しかし弟との日常を過ごしている中で、私は両親が怖い・怒らせたら崩壊するという危機感に陥りました。
実際弟を守ることが出来なかった自分が情けなく、なんで家まで職員が来た時に訴えなかったのか分かりません。それ以降も機嫌が悪ければ手を出していたのに私や他の兄弟は何も言えませんでした。
ずっと暴力をしていた訳ではない事や優しく親としてしっかり仕事をしたり支えてくれているという事実があるので尚更誰にも言うことができずにいました。
この今書いてきた事は1度も人に話したことがありません。
虐待のこと、弟のこと、全てです。
友達は沢山いるし、私は学校という環境が無ければとうの昔に死んでいたと思います。
学校という環境が良かったお陰でこうやって生きているのです。恵まれていたなと思います。
しかし、家庭のことを話せる人はいませんでした。
説明は難しいし、上手く話せる自信がないからです。実際家族の話は自分からしませんし、聞かれれば6人で住んでいると答えています。
楽しい時の家族の思い出を思い出しながら会話することもあります。
それに「慣れる」ことを知ってしまったので、怒鳴られる事や心無いことを言われるのにも慣れなければと当時は思ってしまい今では何も思わなくなりました。
父親は相変わらず私のことをデブだと言うし、いつの間にか家事をするのは当たり前で、忙しくて出来ていなことがあれば怒られる日もあります。
父親は今病気のため仕事には就いておらず、ずっと家に居ますが家事はあまりしません。
自分の飲み物などを兄弟達に注がせに行かせたり、まるで家政婦のような扱いだなと感じる時もあります。
家族で位置情報は常に共有していて、見られるのが嫌な私は切ってしまえばLINEでどこにいる、や何時に帰るんだ、何してるなどLINEが止みません。
慣れればいいのですが、最近はこのLINEの量に中々慣れる事ができずモヤモヤします。
ストレス発散のために、よく遺書を書くのですが書いても書いても全然ダメで早く殺されたいという気持ちが湧き上がります。
自殺どころかリスカなどの自傷行為をする勇気すら無い私なので、他力本願で死にたくなってしまいます。生きたいのに病気で苦しんでいる人や生きる希望がある人に代わってあげたいとも最近思ってしまいます。
もう成人して大人なのに1人暮しもさせて貰えません。環境を変えればいい話なのですが、家族から離れることが出来ません。
大学、バイト先、これらが今私の居場所になっています。
自室も居場所なのですが、とにかく父親からリビングに来い、家の事は?、早く降りてこい(リビングが1階)などLINEが来て、行かなければ怒られます。
今まで両親の顔色を伺わない日は無くて、どうしたら上手く機嫌を取れるか考えてしまいます。
近々両親は離婚することになり私は相変わらず1人暮しの選択肢が無く父親ともう1人の弟と3人で住むことになりました。
正直今よりもしんどくなりそうという気持ちです。

ただ、こうして書いていると少しばかりスッキリしました。
元々、人に愚痴を零すのが苦手で、聞くことを好んでいたのでこうして自分について語るのは初めてです。
中学の頃から人の話を聞く事が好きで、相談に乗ることも多々あって、誰かの辛い事やしんどい事を聞く度に自分の悩みがちっぽけに思う事もありました。
ただ聞いてくれてありがとう、と言われる事がとても嬉しかったので、将来は生徒を助けるために教師になろうと思っています。
誰にも話さず嫌なことやしんどいことを抱えながら学校生活を送るのはしんどい事を知っているからこそ、気軽に相談出来る1人の教師になりたいです。

その将来の夢が今の私の生きる糧にもなっています。
家族の事はこれから先どうなるかわかりませんし、消えたい死にたい殺されたいと思う日はこれからも沢山あると思います。

でも、何とか今は頑張ろうと思います。

なんだか前半は記憶が曖昧な上に後半は愚痴っぽくなってしまってすみません。

長々とした拙い文章失礼致しました。

感想1

読ませていただきました。ご両親の離婚による生活の変化を予期している今だからこそ、これまで以上に、自分にとっての「家族」を思い返す・言葉にしていくタイミングになり、ここで初めて書いてくださったのかなと感じました。経験談を書いてくださって、ありがとうございます。
まず一読して、家族で過ごす上で、その時々で、「そうせざるを得なかった行動」(大変さに慣れる、弟の暴力を眺める、家事をする等々)にあふれている印象を受けました。それは、投稿者さんが主体的でないとかいう意味でも、憐れむようなニュアンスでもなく、ただただ、ご自分の感情を二の次にして(家事などの)行動をし続けないといけなかったのだろうし、感情の動きも「慣れ」によって薄めることで、心を守ってきた部分もあるのかなと。今も、一人暮らしをすぐには出来ない状況にあるようですが、その中でも終始一貫して、自分(投稿者さん)と家族との間に、きちんと一線を引けている、そんな力のある方だと感じます。
一方で、ふとこれまでを振り返って当時の状況を考えると、取らざるを得なかった選択肢「以外」の可能性や、感情や、そこから生まれる後悔があるのかなと想像しました(加えて、今現在の生活における大変さや、家族への感情に疲れる部分ももちろんあると思います)。その選択一つ一つを、改めて自分で肯定するのは難しい部分もあるでしょうし、何より、望んでその環境を選んでいないあなたにとっては、失礼な言葉に聞こえてしまうかもしれないのですが…これまで家族の中で「生き抜いてきた」あなただから生まれる言葉や、考えられる視点(たとえば将来の夢)、そしてそばに居続ける友人知人がいるのだろうなとも、私には感じられました。
書いてくださった内容は、個人的には困難で大変、やるせなくなってしまいそうなこれまで起きた「現実」がたくさん詰まっていると思います。しかし同時に、とげとげしくは無いというか、やわらかな文章だなとも感じたのです。それは(あくまで私の感覚にはなってしまうのですが)、文章の端々から、投稿者さんから家族への感情の「温度」を感じるからなのかなとイメージしました。普段、ストレス発散によく遺書を書いているということで、投稿者さんにとって「書く」「言葉にする」という行為は、何らか大きな意味を持つことに思えます。そこには、どんな言葉が並んでいるのだろうと、気になってしまいました。死にトリにはたくさんの「言葉」があるので、またぜひ、いらしてみてくださいね。

感想2

経験談の投稿をありがとうございます。
読ませていただいて(おそらくあなたが思っている以上に)過酷な状況をあなたが生き延びてきた(きている)ことを感じました。あなたがこれまでしてきた経験の内容はもちろんですが、「記憶が曖昧」であることや繰り返し書かれている「慣れた」という言葉から特にそのことを感じたのだと思います。タイトルを「昔のちょっとした経験」とされていますが、私からすればあなたがしてきた様々な経験は「ちょっとした」ものではないように思え、こうして言語化していただけたことに感謝したい、そんな気持ちになっています。

あなたは父がいない間に「「慣れる」という事がどんなに楽か知りました」と書いていました。また、怒鳴られることなどに対して「「慣れる」ことを知ってしまったので(略)今では何も思わなくなりました」とも書いています。あなたのこの文章を読んだとき、私にはある人物のことが思い出されていました。それは精神科医のヴィクトール・E・フランクルという人物です。フランクルはナチスによる強制収容所から生還した人物で、著書の中で「人間はなにごとにも慣れる存在である」といった言葉を使っていたことが確かあったと記憶しています(微妙違うかもしれませんが、自身の経験をもとにこのニュアンスの言葉を使っていたことは確かです)。私はそのとき、人が過酷な状況を生き延びるためには「慣れ」という方法(?)があるのだなと認識したのですが、あなたの経験を知って、改めてそのことを認識させられたような気がしています。一方で、父による理不尽な対応に関して「慣れればいいのですが、最近はこのLINEの量に中々慣れる事ができずモヤモヤします」とあなたは言っています。この文章からもまたフランクルのことが私には思い出されていたのですが、というのも、フランクルは強制収容所から出た後、時間はかかったものの、感情を取り戻すことができたという内容を(確か)書いていたためです。あなたは主に父による理不尽な対応や暴力ゆえに、安全を感じることが難しい(時があった)子ども時代を過ごしてきたように思います。その環境を生き延び、日々に対処していくためには「慣れる」しかなく、感情を麻痺させてきたところがあったのではないかと思っています(違ったらすみません)。成人になって(LINEの件の時はまだ成人ではない頃かも知れませんが)子どもから大人へとなっていったことで、あなたはある種、子どもの頃という閉じ込められていた空間から少し外へ出られることになったのではないか。もしそう言えるとしたら、あなたが大人になってきたということは感情の麻痺から少しずつ解放されようとしている、そんなタイミングとなっているのではないかな…なんて考えたのです。今あなたが感じている「モヤモヤ」は、あなたがあなたの感情を確かに感じている・取り戻しているということと言うこともできるのではないか、と私は勝手ながら思っています。それはとても大事なことのように私には思えるので、そうした「モヤモヤ」や「正直今よりもしんどくなりそう」という気持ちについて、できれば一緒に考えていきたいなと思いました。
あなたが書いているように、これからもまだしんどさは(残念ながら)継続されるかもしれません。よりしんどくなるということもあるのかもしれません。しかしあなたは「モヤモヤ」を感じており、「誰にも言うことができずにいた」ことをこうして文章にしてくれています。「拙い文章」などでは全くなく、むしろ「記憶が曖昧」な中でこうした文章を書くあなたの持つ力には敬意を表したくなっています。もしよければ、これからはひとりで抱えることなく一緒に考えさせてもらえたらと思います。
最後に「辛かったのは弟を助けることができずその様子を見ること」だったと書いていたことについて、私の経験を少し共有させてください。あなたとは少し違う経験になりますが、私は家族を「守れなかった」と思いながら今生きています。これはきっとこれからもずっーと抱えていくのだろうなと正直思っていて、私自身、そのこととどうやって向き合って生きていけばいいかな…と考えることが時折あります。ただ、考えてきた中でひとつ確信しているのは、「守れなかった」のは私の力不足や気持ちに責任があるということ(だけ)ではなく、この社会が社会的弱者へ目を向けられていないことにあるのではないかということです。こうした現実の中で私は自身の「守れなかった」気持ち・経験とともにどうやって生きていこうかと思考錯誤しています。あなたの経験はそんな私に何か大事なことを教えてくれたように感じています。そのことに対するお礼の気持ちを最後にお伝えしたかったです。そして、機会があればそういうことも含めて、ぜひ一緒に考えたりお話したりできたらなと思ったところでした。改めまして、経験談の投稿をありがとうございました。

お返事1

今回は私の経験談について、読んでくださりありがとうございます。
また、感想もゆっくり読ませて頂きました。

こんな風に受け止めてくださった事が初めてなのでなんと言葉にしたらいいのか分かりませんが、感想本当にありがとうございます。
私の経験したことについて話したことがなかったので、どんな風に受け止めてくださるのかと少しソワソワしていました。
感想で書かれている事はきっと生涯忘れることはないと思いますし、私の中でストンと胸に落ちた内容でもありました。
現在もまだ家族のゴタゴタは解決していませんし、するかどうかも怪しいですがまた辛くなった時には死にトリを通して少しでも安心することができればなと思います。

経験を読んで下さり本当に、ありがとうございました。

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