経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

胸の内の黒いもの。報われないもの/なぜ? というのに考えない人たち

胸の内の黒いもの。報われないもの

 死にたい分析で、おススメされたので書いてみようと思い、お手本に経験談も読みました。が、しかしです。自分は考えてみると、そうまで辛い経験もしていないのではないか? なんて、思って、この文書作成も既に二回目。

 やっぱりイジメが多い中、僕はイジめられたことは一回くらいしかない。しかも大人になってから。しかも年下の子でした。韓国風のいわゆるキノコ頭の子でした。たぶん今風なイケメンだと思う。

 それがコンビニでバイトしてる時に、最初は目にかけて色々教えていたのが、気付くと陰で色々言われている側に。

 これは率直にいって驚きました。というのも、それまでそんな経験はなかったものですから。キモいと産まれて初めてその子に言われました。ぼそっと言うのですよね。ぼそっと、え? 今なんて? って確認しようか迷うくらいの、あれ? って感じで

「正直、気持ち悪いんですけど」

 あーこれが年齢か。なんて思いました。その時僕は三十を過ぎて、鏡を見ていよいよ年齢が誤魔化せなくなってきたように思っていた矢先、ズバリと言われて、あ、もう俺の人生は終わっているのだ。とはっきり感じました。

 別に多く遊んできたわけでもない。それどころか失敗と後悔と恥の上塗りの連続で、それでもまだやれる、まだ大丈夫。次はうまくいく。けれどそう思っていた矢先でした。

 女の子と別れても、フラれても、そうです。

 次はもっと良い子を見つければいい。失恋のたびにそう思いました。いや、見つかるはずだ。だって、俺はこれまで一度だって満たされたことなんかない。

 悪いことの後には良いことがある、なんて多くの人が言うじゃないですか。長いトンネルとか。だから、嫌なことや苦しいことがあるたび、これは吉兆の前振りだ。今は辛い時期なだけ、ここを越えればきっと良いことがあって、きっと胸に空いたブラックホールのような黒いものをぎゅっと抱きしめて癒してくれる人が現れるに違いない。

 いつか報われる日が来る。

 なんて、そう信じていたのです。

 働けど我が暮らし楽にならざり。

 けれど三十過ぎた頃、疲れてきました。信じることに。

 というか、自分はもうずっと折れていたのだと思います。ポッキリイっちゃってるのを、まだまだ! なんて自分で自分に嘘ついてただけ。

 いつだ? 報われる時はいつになる? まだか? まだなのか? って日々、精神が摩耗していくのを実は感じてました。

 辛かった。

 生きることはもうずっと辛い。

 一人です。

 理解者なんておりません。

 僕はもうずっと、誰にもこの胸の黒いものを吐き出さずに尚、生きていかなければならない。

 実は二十代の頃は、自分自身、それでも自殺は良くないとか、そんな気持ちになるのはもう病んでるとか思っていたものでした。自分はもうその時既に孤独だったけれど、自分がそうなるなんてそれでも思っていなかった。

 二十代は良い人キャンペーンをやっていたりもして、いつでも口の広角を意識して、率先して老人に席を譲ったり、道を譲ったり、誰彼かまわず、自分にできることがあるならと相談を聞いたりもして、でもその最中、首をもたげることが既にありました。

 俺は? という気持ちが。

 二十代前半は某大手家電量販店で働き、後半はリラクゼーションサービスなんてのもやりました。案内をして、親切丁寧な接客をし、励ましたり、あるいは、いわゆる癒しを提供する立場です。

 施術中、基本となるのは施術の腕云々よりも、お客さまの日頃の不満の受け皿となること。意見ではなく、協調。共感。接客の極意は聞くことにあると学びました。常日頃から、そうして自分は自分のためではなく、誰かのためにあれと思っていました。情けは人の為ならずとも言いますし、そうしたら、その誰かは、回り回って、巡り巡って、いつか自分にも癒しやら励ましを返してくださるものだと信じていたのです。

 でも、いつまで経っても、俺が癒やされることはありませんでした。

 愚痴を聞いて欲しいのは俺の方だ。

 マッサージされたいのは俺の方だ。

 癒されたいのは俺の方だ。

 もうリラクゼーションなんてやっていられませんでした。

 自分の話を聞けないのは懐が狭いからと言う癖に、俺の話なんて初めから聞く気はない。どれだけ身を粉にして自分を切り捨て誰かのために努めても、その誰かは自分を気にかけることなどしない。

 まどか☆マギカってちょっと前のアニメがあって、あれの黒い溜まっていく描写はめちゃくちゃ共感してしまいます。そうして俺も魔女になれるならどれだけ良いことか。

 異性との付き合いもそうです。そこにいるのは僕じゃない。その人が気にいるように繕っているこの世にいない別の誰か。それが少しでも自分を出して意見しようものなら、なんかちがうってなったり、最悪関係が破綻する。機嫌のうかがいあい。間合いの取り合い。チキンレース。結局、自分ではないのです。そこに付加されるステータスが肝要なのです。

 いやそれは僕がそんな浅い恋愛しかしたことがないからなのかもしれませんが、でも、最初は信じていたのです。

 癒されあえるような関係。

 素朴でいい。

 帰ってきて、あー疲れたーなんてソファに座り、ちょっと肩にもたれかけられるくらいの。

 ただそれだけのことが、いつまで経っても報われない。

 いつか叶うと思ってました。

 純粋に好きあえる人と出会えると思ってました。

 男は基本的に人前で泣けません。辛い時も苦しい時も、男が人前で泣くことはむしろ、弱さであり、馬鹿にされることであって、同情を買ったり、気遣わせて、励まされるような行為ではないのです。少なくとも、自分の人生で泣いたからといって慰められるような事態は一度として経験がありません。

 だから泣かない。弱音は吐かない。負け惜しみも言わない。自分のやり方が間違っていた。もっと研鑽を重ねるべきだ。そして次は、もっと良いことがあるから。

 そう言ってただ自分で自分を励まし、慰めてきただけです。

 いつか、この胸の内にある黒いもやもやを取っ払ってくれるような人と出会えて、その時にその胸で大いに泣かせてもらったらいいと思ってましたが、叶いそうにありません。

 泣けてきますね。

 もういいかと思います。

 疲れたー。

 止めにしたい。

 素直にーなんて書いたら、ほら、こんな支離滅裂になる。

 でも頑張るしかないのだ。

 自分を助けられるのは自分しかいないんだからって、自分で自分を励ましていくのです。狂ってますね。

 努力 未来 A BEAUTIFUL STAR。

 ねぇよそんなもの。

 疲れたー。

なぜ? というのに考えない人たち

 自分の側面を考えてみると、食事、毒家族という大きな課題が浮かび上がるので、そちらを重点的に書いてみます。

 自分は好き嫌いの多い子供でした。特にネギがダメで、焼きネギなど大人になった今でも匂いをかぐだけで吐き気を催してしまいます。子供の頃には知見もなく、表現もできなかったのですが、今でははっきりとそうなった理由を断言できます。

 風邪を引いたときに、祖母が自分の首に焼いたネギを巻きつけてきたから。です。

 幼い頃の自分はこれが本当に本当に嫌で、泣いて嫌がり抵抗しました。が、祖母はすぐに良くなるから。風邪に効くからとこちらの話は聞かずに、自分の首に一本丸ごと焼いたネギを巻き付けたのです。風邪のせいで気持ち悪いのと相まって、あの強烈な匂いと漏れ出してくる粘液が幼心にトラウマを植え付けたのでしょう。そして、同じ野菜というカテゴリを同じイメージから食べられなくなっていったのです。

 けれども、自分の周りの大人たちは、なんでだろう? というだけで、その原因を深く追求することはしませんでしたし、姉などは食事のたびに自分を執拗に責め立てました。自分もその時は自分がおかしいのだと思い込んでさえいましたが、一方でなぜ食べられないだけでこうまで言われなくちゃいけないのかと、釈然としない気持ちも抱えていました。

 後述しますが、加えて自分の家族は皆、毒家族です。人を追い詰めたり、孤独にする、およそ家族でなければ好んで関わろうとは思わない人たちです。

 給食も嫌でした。特に縦割り給食。いつもの担任であれば、ある程度事情を察してくれているのか、何も言わず見過ごしてくれるのが、この縦割りでしつこく自分の担任を持った女教師が、また毒でした。

 今でもあるのか定かではないので注記すると、縦割り給食というのは、一年〜六年が一クラスに集まって色々な催し物をする行事のことで、給食が定期的にあります。

 自分はその時、小四だったと思います。いつものように「残してもいいですか?」と聞きに行くなり、その女教師は自分の席の傍に立って、気味の悪い猫撫で声を出して、スプーンを自分の口元に運び出したのです。

「なんで◯◯くんは食べられないの? はい、あーん」と言って。まさしくハリー◯ッターのアン◯リッジのようでした。

 でも自分は絶対に手をつけませんでした。なぜなら、食べたら吐くことが分かっていたから。その方がより周りの迷惑になることが分かっていたから。

 祖母祖父、父、姉、母も似たような人間です。

 こちらの知性を無視して、強要して、あるいは押さえ込むような人たち。ある時自分は消費期限の切れてる食材を見つけて、指摘すると、明くる日、全てのラベルが剥がされていたこともありました。

 祖母祖父は麻雀が好きで、たびたひ友人たちを呼ぶと夜通し居間で騒ぎ続けるということがありました。ところ構わずタバコを吸い、台所に吸い殻が捨ててあるのが日常。そのくせこちらが少し友達を呼んでいるだけで、静かにしろなどと怒鳴り込んでくるのです。

 血気盛んな友達ができて、泊まった時にはあまりにもうるさいので、その友達が文句言おうと言い出して、縁側でアンタたちの方がうるさーい!なんて反逆めいたことをしたこともあります。

 中学になると、自分は荒れました。家族との諍いも増えて、時に刃傷沙汰にまで発展したこともありますし、近くの交番ではよくお世話になって、顔も知られているほどでした。

 父の口癖は勘違いするなよ。と、この家が気に入らないんなら出てけよ。それから、アフリカの子供たちはもっと貧しい。お前なんか贅沢だ。

 姉は姉で、小学生の頃にはさんざん自分をなじったものです。店員さんと自分で服を選んでいると、

「顔が似合わない」と平然と言ってのけるクソ姉です。

 突然の雑言で失礼しました。でも、今は笑ってしまうくらいのやっかみだと思いませんか。

 人を傷付けることなど何とも思っていない人たちなのです。

 ある時、有名な映画のDVDを買ったので仲のいい友達を集めて、皆で見ようということになり、泊まりがけで遊ぶことになりました。女友達もいましたが、その時は本当に他意はなく、映画を一緒に見たいというだけでした。が、祖父に部屋に乗り込まれ、その日は台無しになってしまいました。

 祖父はこちらの言い分などお構いなしに、「帰れ!」と怒鳴りつけるだけでした。その頃家が溜まり場になっているという噂が近所で流れているようでしたが、だから、何だというのか。その日はただ本当に千と千尋を見たいだけだったのに。

 僕は次第に人付き合いもめんどくさくなって、高校にも行かなくなりました。そうすると、それはそれで人のことを病人扱いしだして、精神科に連れて行ったりもしたものです。

 もう訳がわかんないですよね。それでも、自分の周りの毒人間どもは自分が勝手に精神を病んだと思っているのです。

 誰のせいだよ。

 父のもう一つの口癖が、学校は勉強をしに行くところじゃない。友達を作るところだ。

 笑えてきませんか。そうして友達を作ったら、アンタは何て言って追い返した?

 その人は更にこうも言います。人間はハートなんだと。なんだそれは。

 なぜ? というくせに、その原因は追求しない。考えもせず頭ごなしに持論を押し付け、傷口をただ慢性的に広げていく大人たち。言うことが二転三転するそのたびに子供がどれだけ振り回されるか分かっていますか?

 平安時代には、出来ないという言葉がなかったと聞いたことがあります。出来ないではなく、やらない、という認識。だから、なぜお前はやらないんだ? と子供でも厳しく躾けられたとか。

 でも、現代にはしっかりとあります。やらないのではなく、出来ない。そこには必ず然るべき理由と因果があって、きちんと鑑みれば対処もできるはずのことを、いったいこの人たちはどれほど取りこぼしてきて、尚自分の非と未熟さを認めないつもりなのか。

 それでも、勝手に自分が堕ちたと思っているのです。

 きっと似たような人たち、たくさんいると思う。働けないとか思うように動けないとか、異性を好きになれないとか、信じられないとか、強迫的に好きに固執してしまうとか、そして死にたいという気持ちには必ず、最初にそう思わせた誰かと出来事があるのに、皆、それをその人自身が自発的に起こしたものだと思っている。

 歌詞にもあります。その心を黒く染めたのは誰なんだよと。どうでもいいやとは自分は思いませんが笑。

 毒親とは、なんて馬鹿らしい人たちだろう。家族でさえなければ、絶対に関わり合いになりたくない、近寄りたくもない人たちです。

 僕は食べること自体は決して嫌いではなく、子供の頃から自分で料理もしました。けれど他人と食べることは未だに苦手で、慣れが必要な、いわゆる会食恐怖症なるものを患っています。そんな言葉も大人になってから自分で調べて知ったものです。周りの誰も、知らなかった言葉です。

 なぜ自分が子供の頃に、誰もこの言葉を知らなかったのだろう。子供が大人に、なんで知らないの? と怒鳴りつけてもいいんじゃないかと思います笑

 二十代でよく思ったのは、子供の頃の自分を、自分で育てられたらなぁということでした。もしも自分に子供ができたら、その子にはそうしてあげたい。

 今朝、唐突に、生きねば。生きたいと思い立ち、似たような人たちの力にもなりたいともう一度文書作成したくなりました。

 ありがとうございました。

感想1

経験談の投稿ありがとうございました。

読ませていただいて、色々な経験・感覚がとてもあなたの記憶の中に残り・こびりついてしまっているような印象を受けました。

そして、色々な学習経験から「こうあらねばならない」という経験も強くあるように思います。それらが、あなたの縛りになっていて、生きにくさや辛さを感じなければならないことが多いのだろうと想像しました。

こうあらねばならないは自分だけではなく、意図せず周りを縛ってしまうリスクがあると私は思っています。死にトリでは、色々な人の考えを知る機会があって、自分の考え方や価値観が広がったり、新しい発見ができるように…と考え運営していますので、また死にトリに参加してくれたら幸いです。

感想2

2本も続けて書いたのは、タイトルに書いているように「胸の内の黒いもの」つまり、これまで出さずに貯めていたものがあったからなのかなと思いながら、読みました。書いてみたものの、まだまだまとまっていない様子に見えましたが、そのスタイルがあなたの個性のようにも思えました。個性的な感じ方や思考の持ち主なのではないかと想像しています。それが、周囲の人(主に経験談の内容からは家族ですが)から理解されずに、尊重されたり、理解されてる感触も得ることが難しかったのかもしれないと思いました。

ただ、いじめられた1度しかないということなので、集団の中では、今回の文章に書いてくれた内容や葛藤やモヤモヤは見せずに演じていた様子が浮かびます。誰にも心のうちや「なぜ?」の問いを伝えることなく、共有することも少なかったのだろうと思いました。

あなたなりに身につけてきた処世術もあり、ただ、何となく自分じゃないような、こんなつもりではなかったような、自分の存在を見いだせずにいたところ、こうして書くことで一歩を踏み出したのでしょうか。ちょっと、エピソードをテンポよく軽快に語る部分も見られたのは、いざ書いてみると、少し照れくさい気持ちや、これは本当に自分が書いたものなのか?という疑問視するような気持ちもあるのかな?と勝手ながら感じています。

これからも、機会があれば自分の心のうちや疑問を出してもらいたいと思います。

投稿ありがとうございました。

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