経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

スポーツ虐待について

私は、普通の中流家庭で双子の姉として生まれました。母はいつも優しかったものの、父親は「パパではなくお父さんと呼べ」「敬語を使え」と求めるなど、気難しく暴力的な人間でした。小学校低学年までは父親に恐怖を感じつつも暴力を振るわれることはなく過ごしていましたが、小学3年生の時に友達に誘われ、双子の妹とともに卓球のスポーツ少年団に入ったことで人生が一変しました。当初は楽しく活動していましたが、父親が卓球に過度に没頭し、私たちを強くしたいと熱中するようになりました。 
小学4年生になるとクラブチームに入れられ、毎日夜10時まで、土日は約10時間もの練習を強いられました。睡眠が多く必要な体質だったため、練習中に眠くなったり集中力が切れてミスをしたりすると、帰りの車内で父親から殴られました。過酷な練習のおかげで、遅いスタートでありながら関東大会出場を果たしたものの、中学生になると父親の圧迫はさらに激しくなりました。「勉強はしなくていい」と言われ、定期テストの期間であっても練習を減らされることは一度もなく、睡眠不足による授業中の居眠りも重なって学業成績は底辺となりました。 
中学1年生の大会で自分よりランクの低い選手に敗れた際には、他の選手たちが見ている前で強く叩かれ、今も心に残るほどの深い悲しみと辛さを味わいました。一方で、激しい練習の成果により中学1年と2年の時に全国大会へ2回出場することができ、これが卓球をやっていて唯一良かったと思えた瞬間でした。 
しかし中学2年になると、父親によって強豪高校への進学が勝手に決められ、その高校の練習に参加させられるようになりました。その高校は監督やその妻(元プロ)の性格に問題があり、先輩たちも精神的に病んでいて雰囲気が非常に悪く、1年ほど練習を共にする中で父親や監督への恐怖が限界に達しました。精神的な限界を感じた私は、中学3年の夏に「この高校には進学しないし、卓球もやめる」と言いました。 
卓球をやめた後は受験勉強に取り組む必要がありましたが、それまで勉強を一切してこなかったためやり方が分からず、燃え尽き症候群やうつ状態に陥りました。何事にもやる気が起きないまま過ごした結果、公立高校には落ち、私立高校に進学することになりました。 
高校1年生の時に両親が別居し、母と妹とともに祖父母の家で暮らし始めました。新しい高校はクラスメイトや先生も優しく、父親もいない良い環境でしたが、私の精神状態は正常に戻らず、嫌なことがないにもかかわらず涙が溢れ出したり、無気力で不登校気味になったりし、希死念慮にも悩まされました。なんとか単位ギリギリで高校を卒業して専門学校に進学したものの状態は変わらず、現在は不登校状態となっています。 
振り返ると、小学4年生の頃から現在に至るまで精神が正常だった時期はなかったと感じています。当時は卓球があったからこそ保てていたものが、それを辞めたことで一気に悪化してしまいました。また、父親から常に勝利を強制されてきた体験から、高校時代の検定や専門学校での資格取得・国家試験などにおいて、「必ず合格しなければ怒鳴られ、殴られる」という強迫観念に捉われるようになり、この恐怖心は今も治っていません。 
近年、「教育虐待」という言葉は知られるようになってきましたが、親による「スポーツ虐待」はまだあまり世間に広まっていないと感じます。スポーツ指導においては暴言や体罰が必要悪のように見なされることがありますが、必要以上の圧迫は子供の心を深く傷つけます。私と同じように父親から暴力を受け、途中で卓球をやめていった子もいました。一方で、親から過度な干渉を受けずに伸び伸びと練習していた子たちは、有名強豪大学に進学したりプロになったりしています。ストレスなく楽しく打ち込めていたら自分にも違う未来があったのではないかと、嫉妬や虚しさを抱くこともあります。 
虐待を受けて育つと、大人になるにつれてその影響がより酷くなること、そして「スポーツ虐待」という見えづらい問題が存在することを伝えたいと思っています。

感想1

経験談読みました。自分の意思もなかなか出せず、暴力に怯える日々だったのかなと思いました。そんな状況で生き抜いたあなたのことをまずは労わりたい気持ちになりました。また、今は安全な環境にいるとのことで、それについては読んでいて私はほっとしました。
中学3年生のときに「卓球をやめる」と宣言したと経験談に書いてあり、私は驚きました。暴力をふるってくる相手にそう宣言するのは、とても勇気が必要だったんじゃないかなと思いましたし、どうにか状況を打開しようとするあなたの力を感じました。何年もずっと耐えてきて、限界であったが故に出てきたあなたの本当の気持ちだったのかなと思います。

あなたは安全な環境に今はいるけれど、涙が出たり、影響がより酷くなると考えていたりするのかな、と経験談を読んで思いました。
卓球をやっていた頃は生きるのに精一杯で、十分に安心できる時間もなかったため、その当時のあなたはある意味他のことを考えずに済んでいたのかなと思いました。今は安全な環境にいて緊張が多少ほぐれたり、生きることだけを考えずに済んでいたりするから、自分の心や経験に向き合ったり直視したりする時間が増えたのかなと推測していました(ちがったらごめんなさい)。
自分も中学生のとき、絶対に関わりたくない人(トラウマの相手)と同じクラスになっていたときはなんとか学校に行けていたのですが、高校生になって学校が離れてから、そのときの嫌な記憶が思い出され、カウンセリングに通い始めました。
いずれにしても、昔背負った傷が今に影響を及ぼすとなると、「なんで今も苦しまないといけないんだ」という気持ちになりそうだなと思いました。本当は深く傷つき続けてきたのに、当時は傷ついた心を癒すことができなかったんだろうなと思います。そして、同時に、他の人が幸せそうだと、悔しくなったり、悲しくなったり…。いろんな苦しさが今あなたの中に渦巻いている様子が私の心の中に思い浮かびました。

「教育虐待」というと、「子どもに無理やり勉強させる」といったイメージが強いかもしれませんが、「勉強させない」といったことも、スポーツ虐待から派生したことかもしれませんが、紛れもない虐待なのではないかと率直に感じました。学校には行っているものの必要な教育を受けられていないという状況は、あなたの権利は守られていないということなんじゃないかなと思います。「権利を守られていない人がここにいるぞ…!どうにかしてくれ…!」と社会に訴えかけたい気持ちになりました。先生や他の大人たちはあなたの力にならなかったのか、あるいは気づかなかったのかな…と歯がゆい気持ちです。家庭内で主にそういったことが起きている状況だと、家庭外からは見えにくいことがたくさんあるだろうな、とも考えさせられました。

また、確かに運動系、文化系問わず、部活やクラブなどの取り組みの際に、親や指導者が厳しく子どもに接することを美徳としたり、権力関係を過度に持ち上げたりする空気感はまだあるかもしれないなと思いました(そこで加害行為に及ぶ人、行為の被害を受ける人たちもまた、心に傷を負っているのかもしれません)。自分も運動部に入っていた友達から、コーチにパワハラと言われるレベルのことをされていると聞いたことがあります。もちろん、そうではない部活もたくさんありますが…。
スポーツは人生を楽しむ一環として存在してほしいなと私は思っているので、社会のみんなでより心身ともに健康にスポーツをするにはどうしたらいいか、考えてみたくなりました。

感想2

卓球を始めた時にはまったく想像もしなかったような父親の「過度に没頭」した状況により、あなたの生活は強く抑圧されてきたことを感じました。また、これは教育虐待などにも共通することかもしれませんが、なぜ親が自分のことではない子どものことに「過度に没頭」してしまうのだろうということが気になりました。元々暴力的な人だったとあったので、コントロールできない要素も多々あったのかなと想像しています。その中で6年くらいでしょうか、あなたは無理な状況の中、暴力でコントロールされながらなんとか生き延びてきたのだろうと思いました。「他の選手たちが見ている前で強く叩かれ」ともあり、その状況がなぜ放置されてしまったのだろうと思わずにはいられませんでした。近年、さまざまなスポーツ分野でも、暴力の問題がすこしずつは可視化されてきたところがあるのかなと思うのですが、まだまだ見て見ぬふりの文化もすくなくないのかなとも思いました。
また一方では、あなたにとっても卓球で結果を残すことの喜びも感じていたのだろうと思うだけに、それをただあなたの生活を充実させるものにさせてくれなかった暴力や抑圧には悔しい気持ちになります。

その中で 「この高校には進学しないし、卓球もやめる」という決断はあなたにとっても大きなものだっただろうと思うし、終わりのない状況から離れられたことには安心する気持ちになりました。また、両親の別居によって父との生活が終わったことにもほっとしました。ただ、これまでの恐怖と消耗の蓄積はすぐに解消されるものでもないのだろうと思っています。
私自身はスポーツで期待されたことはまったくないのですが、抑圧的な親の元で育ち、いまもその影響が続いていると感じることがあります。私たちの身体は危機を感じ続けると、力を発揮しきれないようにできているのだと思います。それが本人のためといった大義名分のもとになされたのであったとしても、暴力として、恐怖として受け取られるものが私たちの心身の健康にはプラスにならないことは明らかだと私は感じています。ただ、それでもまだ支配や抑圧によってコントロールするやり方はさまざまな状況で続いているようにも思います。

あなたの文章を読んでいると、あなたの状況を何度も俯瞰して理解しようと努めてきたのではないかと思いました。あったかもしれない違う未来を夢想することは、ときには現実のままならなさに立ち返る苦しさにつながるように思います。私たちは人生において最善の状態で生きられることは本当にすくないのかもしれないと最近思います。国や地域の社会状況や家族などの人間関係など、さまざまなものに左右されて、選べるものはそう多くない中で私たちは否応なしに生きていることを感じます。ただだから仕方ないというつもりはなくて、どんな状況の中でも暴力や抑圧ではなく、個々人のあり方を当たり前に肯定されて生きる権利はだれにでもあると私は信じています。
今は学校にいくのもしんどいような心身の重たさがあったり、日々気づかないうちに緊張していたりということがあるのかなと思います。すぐにはむずかしいかもしませんが、あなたが楽しめたり、心穏やかに過ごせたりする時間がこの先のあなたの日々にあることを願っています。
あなたの経験とその苦しさや影響について共有してくれてありがとうございました。読んでみて、私自身「スポーツ虐待」という言葉としてはあまり認識したことがなかったように思いました。その実情がないと思っていたわけではまったくないのですが、こうやって言葉として提示され経験として語られることで、より輪郭がくっきりと浮かび上がるような感覚がありました。

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