経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

先に光が見えない

今まで、優等生だった。

中学の時から成績トップ。学年中の人が私は頭がいい人だと思っていたし、テストで上位なことは当たり前だった。

でも、正直勉強そのものはそこまで好きじゃなかった。
ほかの人に負けないため、自分の評価を下げないためというのが勉強を頑張る理由だった。

そのまま県トップの高校に入学。
入学式では生徒代表に選ばれたし、入学後もクラスでは1番の成績だった。すごくうれしかった。
でも同時に、「この状態をキープしなきゃいけない」という焦りもあった。

中学に比べて高校は、県一番の進学校ということもあって、勉強は本当に大変になった。宿題と小テストに追われ、テストへの不安で寝れない夜も多かった。
周りのレベルが高くなった環境で成績トップを保つプレッシャーもあった。

学年で上位にいても、受験のためには勉強量を増やさなきゃいけないと常々思っていた。しかし、10時間勉強をしようとがんばっても、一日5時間するだけで私は疲れ切ってしまう。

もっと、もっと勉強しなければ。そう思っていた。

そのころから勉強をするのがおっくうになった。
今でも大変な日々の勉強が、受験期になってもっとキツくなって、高校を卒業しても、大学を卒業しても、ずっと続くのだと思うと、なぜここまで大変な思いをして大変なところに行くのだろう、と考えずにはいられなかった。

望まない目的のためにやりたくないことをするというのは精神的負担が大きい。それでも、自分で希望して入った学校にいるから勉強はしなきゃいけない。
そのことが私を追い詰めた。

前から落ち込むことはよくあった。でもだんだんそれがひどくなっていって、自傷行為をするようになった。それは心のよりどころでもあったし、自分を闇に引き込むものでもあったのかもしれない。

ある日、私は死のうと思った。
理由は今でもよくわからない。それがあまりにも突然だったから、とにかくその日に死にたかったけど、死ぬ理由も方法もわからなかった。一日中死ななきゃ、どうにかして死ななきゃ、と思い続けていたが、結局死ぬことはできずにその日は終わってしまった。

その日から私の精神世界には死がつきまとっている。
死ぬ方法を考え続けている。

どうせ死ぬから、未来が見えない。いや、生き続けたとしても、やりたくないことをやり続けなくちゃいけないし、将来に希望が見えない。

今日も死ねなかった朝を迎えた。苦しさに溺れているような感覚。誰かに助け出してほしい。でもだんだんなんで自分が苦しんでるのかも分からなくなってくるから、助けを求めようがない。

そして、自分が苦しんでいる状況すらいやになることもある。
もし他の人が私と同じ境遇にいたらこんなに苦しんでいないから。だって、私は家庭環境もいいし、ある程度仲のいい友達がいるし、相談しようと思えば頼れる大人もいる。こんなに恵まれているのに、なぜ私は苦しんでいるんだろう。

毎日葛藤する日々。勉強をするかしないか、志望校をさげるかどうか、死ぬか生きるか。

精神科で薬をもらったり、課題提出を止めてもらったり、自傷行為をしたりして生き続けている。自分の負けず嫌い、完璧主義、自信のなさなどの性格から苦しんでいるから、苦しみから抜け出せない。

もう私は生きているだけで苦しいのかもしれない。時間に追われ、他人と自分を比べ、自分に自分でプレッシャーを与えて、勝手に絶望する。
どんな道に進んだとしても避けられない。

死にたくなくなったとしても、将来が不安。希望が見えない。

先に光が見えないまま、明日も生きていかなくちゃいけない。

感想1

経験談の投稿、ありがとうございます。
まずは今日まで、ご自身の限界を感じながらも、ずっと勉強を続けてこられたこと、その日々を心から労いたい気持ちになっています。

中学の頃から成績トップで、県で一番の進学校に入学し、生徒代表にも選ばれたこと…。そうやって結果を出し続ける中で、あなたの中には「ずっとこの状態をキープしなきゃいけない」という、しんどさが生まれていったのですね。
キープしなきゃいけないと思い続けることは、いつ崩れるかわからない重圧に耐え続けるようなもので、とても苦しいことだと私は思います。
生徒代表に選ばれた時も、嬉しかった反面、それ以上に「これからも頑張り続けなきゃいけない」という終わりのないプレッシャーの方が重くのしかかって、喜ぶ気持ちよりも、しんどい気持ちの方が大きかったのではないかと想像していました。

少し私自身の話になってしまいますが、私も「完璧主義だな」と思って生きてきた部分があり、「学年上位でいなきゃ」「失敗しないようにしなきゃ」と気を張って過ごしてきた過去があるので、あなたのしんどさは、なんだか身に覚えのある苦しさのように感じていました。
完璧主義って、いつの間にか自分の中に出来上がっていたり、これまで積み上げてきた自分を否定したくない、周りをがっかりさせたくないという思いから、苦しくてもなかなか手放せないものでもあるよなぁと私は感じています(勝手な私の気持ちですし、あなたと全く同じとはいえないかもしれないんですけどね)。
でも最近になって、その「完璧主義」や「負けず嫌い」というのは、もともとの性格というよりも、常にテストの点数や成績で評価され、順位をつけられる学校という環境や、「良い成績をとって期待に応えなきゃ」と感じる家庭の中で、自分の価値や居場所を守るために身につけざるを得なかった「鎧」のようなものだったのではないかと思うようになりました。
なりたくてなったというより、そうならざるを得ない環境がそこにあったのではないか…?と。
そう考えると、常に競争と評価を強いて、できない自分を許せなくさせてしまうような学校や社会の構造そのものに、私はなんだかとても理不尽さを感じてしまいます。
長くなりましたが、今のあなたの苦しみは、決してあなたの性格のせいだけではなく、そうした環境や社会のあり方が大きく影響しているのかもな…と、勝手ながらお伝えしたい気持ちになっていました。

あなたの生活の中で、「完璧主義のあなた」でいなくていい、ほっと息をつける瞬間はあったりするのかな…、この文章を書いてくれた時は、ありのままのあなたで書けたのだろうか…?と、ちょっとだけお聞きしたくなっています。
ここが、ほんの少しでもしんどさを吐き出せる場所になったらなと思います。言葉にならない思いでも、どんな形でも構いませんので、また気が向いた時に、いつでもあなたの気持ちを書き置きに来てくださいね。お待ちしています。

感想2

県内トップの進学校で生徒代表に選ばれたとなれば、その嬉しさはひと塩であるとともに、同時に「トップでいなければいけない」という気持ちや、先生、親、友人、関わりのある人全てから期待されているような気持ちから常に焦りを感じていただろうなと、想像するだけでも足がすくむような気持ちになりました。

最初は“頑張りたい“という純粋な気持ちであっても、いつからか”頑張らなきゃいけない“に変わってきたのかなと思いました。トップでいたいなという願いから、トップでいなければいけないという想いに変わった瞬間には、きっと想像もできないプレッシャーや不安、恐怖を感じていたのだと想像します。
勉強がそこまで好きではなかったとのことでしたが、勉強ができる自分こそが、自分という人間を作る一部みたいな感覚だったのかなと私は勝手に考えていました。そう思うと、それをやめても良いんだよと言われても、簡単には手放せない感覚もあったり、それを手放せばこれからどうなるのか、という先の見えない恐怖や不安なんかも同時に抱えているのではないかなと思いました。
あなたの苦しみはあなた自身のもので、恵まれている環境にいたとしても、それがあなたの苦しみをなくしたりするものではないかなと私は思っています。負けず嫌いや完璧主義、自信のなさ、あなたが自分を形成している性格として挙げているもの、それがあったから今日まで乗り越えたこともたくさんあったと思います。それを無くしたり、緩めたりすることって簡単ではないけれど、少しずつ今のあなたが望む生活に合わせて調整できたら良いなという気持ちになりました。
志望校とか、勉強を抜きにしたとしたら、あなたは今何をしたくて、何が好きなんだろう?と聞いてみたくなりました。勉強するかしないか、志望校を下げるかどうかも、少し先の未来でこんなふうに生活していきたいというものに、何が必要そうなのか周りを見渡してみても良いのかなと思いました。
心も体も限界を感じているあなたの苦しさを感じて、今は勉強ができるとかできないとかそんなこと何も知らない人との関係がもしかしたらあなたにとって必要なのかなとも最後に感じてきました。そのレッテルのようなものがない状態で話せる環境や場所もあったら良いなと個人的に思いました。

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