私は、特別な存在であると思って生きて来ました。
20代後半で精神的な病気を発症するまで、うっすらと根拠のない自信があったように思います。
2人姉妹の次女であり、姉とは少し年齢が離れていました。
お互いに一人っ子みたいに、かといって姉妹ではあるという感じで育てて貰ったと思います。
各自部屋があって、父は自営業、母は専業主婦でした。
つまり、姉はともかく、私は甘やかされて育ちました。
生意気で、わがままな内弁慶だったと思います。
私は体格が大柄で、女性としての発育が早かったです。
小学生2年生には、もう女性体型でした。
子供は無垢ですね。
違いには敏感で、言葉はストレートです。
いまは、大人の発達障害だと言われています。
私は身体的にも、性格的にも、周りから浮いていたのかなと思います。
不登校になりました。
先生が友達(そうだったのかな?笑)と、私の部屋まで学校においでと来た事がありました。
何故か感情も無く、涙が流れた覚えがあります。
楽しかったこともあるはずだけど、記憶がないです。
小学校、中学校は不登校でした。
中学校はスクールカウンセラーの方がいました。
家庭教師も居ました。
高校は、なんとか私立を受験して行きました。
でも、中学2年生くらいの時、父親の仕事が上手くいかなくなりました。
気づいていました。分かりますよね。そうゆうことは子供ながらに。
私は、高校は行かずに働きたいと母親に言いました。
でも高校も、私が自分で決めて来た自己推薦の短大も、出して頂きました。
欲張りですね。
短大を卒業した後、地元の専門学校に母親に出して貰ったお金で入りました。
足しになればとアルバイトもしました。なんとかしたかったけれど、ドロップアウトしました。
つまり、母親のお金や、父親の苦労をドブに捨てたんですね。
当時は自覚がありませんでしたが、姉からそう言われたのを覚えています。
でもね。父親や母親は私を特別に扱いました。
出来ない子ほど、可愛いみたいです。
悲しいけれど、社会は特別には扱いませんね。
根拠のない自信はあるけれど、実力や社会での立ち居振る舞いの出来ない私は、はじかれました。どこに行っても続かない。
親のコネで入社した会社は、3度の部署移動の後、退職勧奨を受けました。
退職勧奨中に、精神疾患の診断を受けました。
傷病手当を受けて、1年間休職中に入院して、解雇になる前の3か月間で退院し、復職しました。
その後、3年間フルタイムでしたが、上司と折り合いが悪く、会社と対立して、短時間労働正社員になりました。
なんなんでしょうね。甘えるなと思います。
甘えるなと、他人から遠回しに言われたり、表情で察したりしました。
私もそう思います。
でも、病気になったあの瞬間からの地獄みたいな時間は、私だけではなくて、家族や目に見えない大切な物を多く犠牲にしました。
どうしようも無いことが、瞬間があります。
理解されないことや、理不尽、苦しみや怒り、憎しみがあります。
どんなにそれまで、恵まれていた、嫌な人間であったとしても。
生きていたくない、死を願った時、私は拒食を耐えられずに、一口食べました。
あの時死んでいたら、こんなに生きるのが苦しくなかったのかなと。
怒りや憎しみに耐えて、その醜い自分を見なくてすんだのかなと思います。
何故、私は生きてしまったのか分かりません。
自分が情けなくて、悲しいです。
周りが生きて欲しいという言葉が、苦しんで生きろに聞こえます。
今日1日を乗り越えることが、毎日の宿題です。
経験談になるか分かりませんが、読んで頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
何故、自分は生きてしまったのか
感想2
淡々と言葉が重ねられている感じがして、感情の中で苦しんでいる部分と、それをちょっと遠くから見ているような部分とがあったりするのだろうかと想像しました。
興味深く感じたのは「特別」ということについて、繰り返し出てくるけれど、それがどういうことなのかあまりつかめず、読みながら考えていました。極端に言えば、人と人の関係性は一つ一つ個別に違っていて、その意味で特別ということはありそうです。
ぱっと思いついた「特別」扱いは二方向あって、一つは「この人を気にかけよう」「この人に自分のリソースを割こう」とった関心や心が向かうこと自体に「特別」という言い方がされることがあるように思います。それは友達とか家族、そういう明確な言葉がなくても、近しいだれかなどの「特別」なのかなと思います。もう一つは、無理なく過ごせるための調整のようなイメージです。たとえば、私はとても疲れやすいので誰かと出かけるときは頻繁に休む必要があったり、言われたことを忘れがちなのでテキストにして送ってもらったりという私向けのカスタマイズをしてもらうことがあります。聴覚過敏がある人と出かけるときは、なるべくうるさくない道を選ぶこともあります。そういうそれぞれの無理を減らすようなやり取りは、お互いのできることの範囲で調整されるもののように思います。
あなたが書いていた「特別」とはずれるかもですが、別に「特別」と「普通」という二種類があるわけじゃないかもと思い、身近な例を書いてみました。むしろいまの世の中は「普通」をすごく窮屈な箱にしている気もしています。私も発達障害の診断をされているのですが、そういう人たちだけではなく、世の中の多くの人が「普通このくらいできて当たり前」という無理難題に押し込められて余裕をなくしているようにも見えて、どうしたらいいんだろうとやるせない気持ちになります。
病気になってからの地獄にどんなことがあったのか、想像しきれていない部分も多いと思うのですが、精神疾患に至るまでにも、あなたの中に見えない疲労や苦しさが積み上がっていたのではないかと想像しています。私はいわゆるフルタイム労働(これがフルだってだれが決めたんでしょうね)は無理すぎて、休職退職をくりかえし、今はリモート中心でちょこちょこ仕事したり休んだりして生きているのですが、そういう者としてあなたに直接あるいは態度で「甘えるな」と示した人たちみんなに、「なんでそれを甘えだと思うの?」「甘えだと言うなら、あなたはどうして甘えてはいけないと信じているの?」と言い返したい気持ちになりました。
というか考えてみたら、「うっすらと根拠のない自信」って本当はすごく大切なもののような気がします。「できるはず」「なんとかなる」という楽観は、もちろんギャップがあればリスクにはなるかもしれなくても、それでも生きていくベースの力になる気がするからです。個人的には、だれでもたくさん甘えて、自分の力を過信して、その中で経験を積み上げられるような世の中がいいなと思っています。ナンバーワンみたいな特別じゃなくても、自分の特別な部分を大事にして生きていられる世の中がいいです。
でも、実際には不況も長く世の中に余力がない中で窮屈と排除の連鎖が起きていると思うし、自分自身について考えても、希死念慮を含め感情はコントロールがむずかしくて絶望することも多いです。あなたの「理解されないことや、理不尽、苦しみや怒り、憎しみ」それから悲しさは、自分の中に渦巻くだけでとても疲れるもののように思います。私は死ぬことがだめとは思わないのですが(自分自身希死念慮と長い付き合いだし)、でもあなたが苦しくなくいられる時間が少しでも、生きている間にあってほしいと願うというか、祈るというか、そんな気持ちになりました。
感想1
家族の中のあなたの居場所と、社会における居場所のなさが対極的に書かれていたように感じました。「根拠のない自信」という言葉が私はとても好きだなあと思ったのですが、社会の窮屈さが増すばかりに、せっかくそこにあった尊厳とも呼べる自信さえ奪われてしまったのだろうかと愕然とするような思いでした。
こうして文章にしてあなたの人生を振り返る中で、当時は自覚のなかったことを今言葉にされているような印象も受けています。姉から言われた言葉や事実の中であなたが捉えた解釈などが前半は溢れ、感じたことやあなたが感じた感情が文中にあまり出てこないのが特徴的だなと思ったのですが、いっぱいいっぱいの中で記憶が薄れていたり、或いはそもそも自分の感情というものを言葉にして伝えるのが難しいという側面があったりするのかなと想像しています。
一番最後に溢れ出すように「理不尽、苦しみや怒り、憎しみ」などの感情を書いてくださったことなどを思うと、例えば日常や会社の中で自分の思いをうまく伝えられなかったりする場面もこれまでたくさん経験されてきたのではないかなと思いました。伝えたとしても伝わりきらなかったり、その結果悔しさや理不尽を抱えてることもあるかもしれません。徐々に溜まってゆくものが爆発するようなそんな瞬間があるようにも感じます。もう少し言葉にしてみると、あなたの限界(休職や入院、精神疾患などに至る)まで頑張ったり我慢をしたりしてしまうこともあったりするのかもしれないなとも想像しました(違っていたらすみません)。
家族のために高校へ行かず働きたいと申し出たことや、専門学校のドロップアウトが両親のお金や苦労をドブに捨てたというような感覚になること、自分に対して甘えるなと厳しさを持っておられること・・、極端で白黒はっきりしている思考や行動をとる部分も持ち合わせているようにも感じました。拒食もその一つであったかもしれません。
どこかあなたが持ち合わせているアンバランスさを感じつつ、苦手なことと得意なことがあるのだろうともイメージしています。会社が求める形でなく、あなたの形で、あなたの得意なことを活かせる方法を模索してみたいなあという気持ちになりました。
病気になってからの時間の詳しいことは今回は書かれておられなかったのですが、とてつもなく真っ黒な印象で、ブラックホールのような時間と感情だったのかなと思います。まだまだそのことを整理しきれていない、その渦中ということもあるのかなと感じながら、死にたいほど苦しい気持ちが続いている様子を受け取っています。感じている怒りや憎しみ、病気になってからの時間・・、それがいかなるものだったのか言葉になりそうになった時には是非また書き込みに来てほしいと思いました。
根拠がなくても「自信」さえあれば、きっと人間なんでもできるんではないかなと思うことがあります。それが色々な要因で奪われてしまいやすい現代、本当に生きづらい世の中なんだと思います。あなたが「根拠のない自信」を20代まで持っていたこと、またそれを奪われたのにはどんな要因があったのか、聞いてみたい思いになりました。もしも自信を持ち続けることができていたら、どんな風だったろう、そんなことも話してみたい気持ちです。