経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

実母からの虐待と心無い言葉

物心ついた時から常に理由もなく殴られて育ちました。近所の人や警察が止めに入っても「いいのよ、手で叩くと痛いから」と布団叩きや掃除機、箒、ハイヒール…手で叩かれたことはありません。

幼稚園くらいの時に一人で留守番をしていたら近所の若い奥さん(子供はいなかった)が見かねて家に招いてくれ、お菓子やジュースをご馳走になりました。帰宅すると酷く殴られ、外の木に縄でくくりつけられました。動けないまま、小学生が下校していくのを見ていました。

その後、若い奥さんに「私が何かするとあなたがもっと酷い目に遭うからもう助けられない。ごめんね。」と言われ、誰かが助けてくれるかもなんて思っていなかったけれど、とても悲しい気持ちになりました。

暴力は中学に入るまで続きました。私が実母より背が高くなった頃ようやく収まりました。代わりに言葉の暴力が始まりました。テストでいい順位をとると「調子に乗るな」、順位が下がると「ああ良かった!」、生理の時は鼻をひくひくさせ「生臭い」と言われました。部活をしたいと言っても「お前になんか出来るわけない」「誰がお金出すの」とやりたいことは何一つできませんでした。

実姉からの性的虐待もありました。まだ小学校低学年の時です。胸を揉まされ舐めさせられ「下手くそ」と罵られました。こうするんだよと私の胸を舐め「胸がないからつまらない」と言われました。

中学高校はひっそり過ごし、大学に入った時に家を出ました。卒業してしばらくは家に戻りましたが、精神的におかしくなり家を出ました。

私は虐待の連鎖が怖くて結婚願望はありませんでした。子を持つことが怖かった。

子供が産めない年齢になってから結婚しましたが、結婚5年目に夫は急死しました。

火葬を待つ間、実母に背を向けて必死に夫の会社の人と話していましたが、実母は私の服を強く引っ張り振り向かせ「ずっと冷やしてたから縮んでたよね?」と言いました。

(その数年前、実父が亡くなった時も同じことを言いました)

否定され続けて、私の自己肯定感はまるでありません。成功体験があっても、少しの失敗で「やっぱり私には無理だった」と思ってしまいます。

感想1

身体的な暴力と言葉の暴力があり、また姉からの性的虐待もあったということで、投稿者さんの生活のなかに安全が得られない状況がかなり多かったのだろうと思いました。さまざまな方法で投稿者さんの人格、権利や投稿者さん自身であることが否定されてきた状況だったのだろうと想像しました。

文章の中にはあまりご自身の気持ちに関する描写がなく、比較的淡々と、自分の身に起きたこと、母や姉から受けたことが書かれている印象がありました。もしかすると、ある程度生々しさを取り払った距離感で思い出すのでないと苦しい、ということもあるのかなと想像していました。

当時、あるいは現在にどんなもの(たとえば人や機関、場所や制度など…)がればすこし違う状況になっただろうか、と思います。投稿者さんにとってなにか思いつくものがあれば、教えてほしいです。

感想2

経験談を送ってくださり、ありがとうございます。

物心ついた時からのあなたの経験を読ませてもらい、自己肯定感を持てる場面よりも、自己否定感に繋がる経験ばかりがあなたのまわりにはあったのだろうと想像しました。

経験談の中で気持ちがあまり書かれていないことが気になりました。それは、実母さんや実姉さんが、あまりあなたがどう感じるのか等を考えずに関わられたことであなたが自分の気持ちを大事にしたり、適切に捉えられることが少なかったことが原因なのかなっと私は感じています。もし、今も実母さんとの関りがあったりすることで、自分の気持ちを優先することが出来なかったりするのであれば、死にトリのような場所や匿名の相談できる場所などで、少しづつでも自分の気持ちを話してもらえたらと思いました。

お返事1

感想をありがとうございます。

ふたつの感想にあった通り、私は自分の感情を見ない癖がついています。怒るべきところで悲しくなり、悲しくなるべきところで自分が情けなく取るに足らない存在だと感じます。これは友人に「〇〇〇、怒っていいんだよ?なぜ怒らないの?」と度々言われ、30代を過ぎてから気付いたことです。

楽しくてはしゃいだり、良い成績が取れて嬉しい気持ちの時には「調子に乗るな」と言われ、殴られてトイレに逃げ込んでは「泣けば済むと思いやがって」と言われました。私にとって笑うことはその場の空気を乱さないためで、泣くことはありもしない非を認めることでした。潤滑油のために常に笑みを絶やさず、人前で泣くことは今でもありません。

それが私にとっての「家庭」だったので家庭を持つことになんの希望もありませんでした。縁あって似たような境遇の夫に出会いましたが、結婚4年で亡くなりました。その時にまた実母実姉の理解しがたい言動があり、没後5年になりますがふたりとは縁を切ると伝えて会っていません。

心を乱されることはなくなりましたが孤独しかありません。

昔と違って児童虐待が表沙汰になることが増えたとは思いますが、氷山の一角だろうと思います。第三者が介入すると虐待は増幅します。これは私が身を持って実感していることです。私に出来たのは虐待の連鎖を止めるために子を持たない選択をしたことだけです。

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