経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうしてこんな人生なのか

私は幼い頃の記憶が曖昧で思い出せる部分だけを思い出すといつも両親がケンカをしているか、私が傷つけられているかのどちらかです。父はいわゆる酒乱で、母は典型的なギャンブル依存でした。酒に酔った父は玄関のガラスを破壊したり、壁を殴ったりしたので記憶に残る住んでた家は必ずどこかしらが父によって破壊されていました。母も母でケンカになればすぐに包丁を出すので、朝起きたら壁に包丁が刺さっていたり、お風呂に入っていた父を刺し殺そうと包丁を持ち出した事も何十回もあります。

私自身が傷つけられた経験の中で1番記憶に残っているのは、何をやっても、どんなに私が頑張ろうが必ず最終的に酔った父に言われる一言は「役に立たない」でしたし、少しでも父の意に沿わない対応をすれば殴られ、蹴られました。母は酔った父と会話をしたくないのか、いつもパチンコ店に行っていたので守ってもらったことなどありません。加えて私は一時期いじめを受けていました。クラスメイトには「汚い。触らないで。○○菌がうつる」等々言われていじめられました。ここまで書きましたが自分の何が悪くてこんな人生を歩んでいるのか、私の性格が悪いのか、ただ運が壊滅的に無いのか等色々考えましたが答えは出ません。

結果的に私はそのような環境に身を置き、成人し、精神疾患になり障害年金を貰い生活しております。精神疾患と診断される以前から心は常に不健康だったのでそうなるのも必然的だなと思います。毎日朝が来る度嫌な気持ちになり、死について考え、1日が憂鬱なまま始まり、憂鬱なまま終わる日々を送っています。
きっと死ぬまでこの生活を続けるのだと思います。
来世ではこんな悲しい人生を送りたくないです。

感想1

経験談を読ませていただきました。

私は、まるで戦場のような家庭だと思いました。守ってくれる人がおらず家でも学校でもいつ攻撃されるかずっと緊張状態だったのではないかと想像し、その環境で投稿者さんがどうやって生きのびてこれたのだろうと疑問が湧くくらい、人間(特に子ども)が生きやすくなるために重要な「安全と安心」がなかったことが伝わってきました。
その環境に身を置かなければならなかったことを想像し、もしもその状況をキャッチしてくれる大人がいたらとか、合法的な(公的に認められた)家出場所があったら違っていたのではないかなど考えてしまいました。

私は、子どもに安全と安心を提供するのは大人の責任と考えています。しかし大人も様々な問題を抱えていたりして家庭内の大人が安全と安心を提供できない(逆に子どもを危険にさらす)場合もあります。その場合、家庭以外の大人が子どもが安全に暮らし安心を得られるように動く必要があるのだと思いますが、そうなっていないことも多いのが現実なのだと思いました。

その現実はどうやって変わっていくことができるのか、その現実の中で耐えている人や耐えてきた人がどうしたら少しでも生きやすいと感じられるようになるのかは、社会全体で考える問題だと私は思います。今回投稿者さんが経験談を寄せてくれたことで私には現実を考える機会となりました。経験談の投稿ありがとうございます。

感想2

幼い頃から暴力を間近に感じる経験をたくさんしてきたのだと思いました。本当であれば庇護する立場にある養育者が暴力を振るうこと、そしてその暴力から守られないことは、投稿者さんを安全から遠ざけることだっただろうと思います。

「役に立たない」という言葉は、「役に立つべき」という価値観が強く出ている言葉だと思います。役に立つとは何をもっていうのか?と疑問に思ってしまいました。もしかすると投稿者さんの父親さんも「役に立たなければいけない」という価値観をかつて(あるいはその当時も)押し付けられてきた人なのかなとも想像しました。

また、いじめもあったということで、家庭と学校という大きな二つの居場所が安全のない場所になってしまっていたのだろうと思いました。投稿者さんは今は家族から離れて身の安全の確保できる場所にいるのだろうか?と気になりました。

また、身の安全が確保されたからといって、安心して過ごせるわけではないということは私自身も強く感じるところです。投稿者さんにとってなにか安らげるもの(映画や音楽でも、好きなイラストをみることでも、やわらかい毛布でも、お茶でも)はあるだろうかと思いました。

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