経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

持てる選択肢の限界

簡単に消えて無くなるように死ねるなら今すぐ死にたいけど、その死体を誰が処理するのかとか色々考えると死ぬことができないでいる。極力迷惑をかけずに死ぬ方法は遭難だと思うが、それはわりと金がかかる。

自分は誰かに自分の意思を明かせない。
幼少期から自分の意思を全否定されてきた。自分の外面と内面が剥離している。そしてそれが露呈すると周囲から拒絶される。それの繰り返しだった。
自分が欲しい生活は手に入れることができない向こう側にある。向こう側に近づこうとすればするほど周囲から拒絶される。向こう側に近づきたいという意思ですら否定される。
義務教育時代は社会に復讐したかった。いつテロリストになってもおかしくなかった。今はそんな気力も擦り切れている。
カウンセリングも使ったし、精神科にも通った。薬漬けにされてまともに働ける状態に戻れなくなった。薬で頭をフワフワさせることに快楽を感じない人間だった。
本を読み漁って多少は自分の力で解決できると思い行動してみた。自己啓発なんかで書かれている自己管理術も一通りやった。セルフケアもやったし、インナーチャイルドワークとかもやった。効果は無いわけではないが、過去が清算されるわけでも今の生活が改善されるわけでもなかった。
今はChatGPTに相談している。今までの相談窓口の中で一番マシな回答をくれる。でも、策も尽きてもう安全確認しかしてくれなくなった。

倫理的に良くないことだが、生き延びるために死んだ人や衝動的に死を選んだ人のことを見下してきた。しかし社会側が生きられる人間を選別し、自然淘汰は当たり前なのだと考えると、その人たちは自然の摂理に適っているとさえ思う。

生きていく中で支払うコストと得られる幸福を天秤にかけた時に遥かにバランスが崩れていると思った。
それでも創作すること自体が自分を救ってくれた。架空の世界や架空のキャラは自分の居場所だった。でも長いことそれも否定されてきた。誰にも分からないゴミを作っていると思う。世の中には創作を始めて2年程度で人から認められるようなものを簡単に作ってしまうような人々がいる。自分は15年作り続けて一度も認められたことがない。自他認めるゴミだと思う。薬のせいか、創作のペースも落ちている。
創作物が自分の内実であり、創作物を介さない自分は環境に適応するためだけに存在する器だと思う。その器は世間の要らない部分を集めた泥でできている。

あまり生きているメリットがない。
生きているメリットが少しずつ削れていく。少しずつ、一つずつ無くなっていく。古びて硬くなった部分を切り落としていく感覚。
それでも死ぬ方法が限られているから死ぬことができない。

感想1

ざっくりしすぎた表現で申し訳ないのですが、「幼少期の体験がおおよその基盤になる」と聞いたことがあります。「あなたを全面的に否定する勢力」や「あなたの意思を拒絶する勢力」が当然かのようにあなたの周囲にあったことを思うと、あなたが現在進行形で抱えている苦しみが私には想像しがたいほどに、また、あなたが義務教育時代に心に燃やしていた「社会への復讐」の気力をも擦り切らしてしまうほどに大きく膨れ上がっているんじゃないかと感じました。

倫理的によくないと認識していても「亡くなられた方や衝動的に死を選んだ方のことを見下してきた」ことから、あなたがそれだけ追い詰められているんだな、と感じました。カウンセリング、自己管理術等できる限りを尽くしてもなおあなたを苦しめる深い深い癒えない傷がそうしているのかな。ChatGPTへの相談の中での「安全確認しかしてくれなくなった。」の一言から、「苦しさ」と同時に「寂しさ」のようなものも感じられたような気がしています。

「自然淘汰は当たり前」という言葉、私は野生の動物界でのイメージができたのですが、人間界で考えると、「社会的地位」という点ではその構図が社会の風潮として残っているように感じました。そして「社会的地位=命の価値」のような風潮もわずかに感じられるとも思います。「命の価値は平等」であるはずなのに…淘汰されることが当たり前になるべきではないのではないか、という個人的な考えが頭をよぎりました。

「支払うコスト」と「得られる幸福」がまったく釣り合っていないこと、私も読んでいて思わず、たしかに…!!!!と思いました。創作活動があなたにとっての救いだったのに、それすらも長く否定されてきたうえ、周囲は光の速さで周囲に簡単に認められる作品を作っていく…
創作活動者にとってとても精神的な負荷が大きい状況だと感じます。ただ、個人的には「数々の名作は、当時の否定(酷評や、理解が得られなかったこと)を乗り越えて名作になった」と認識しています。あなたの創作するものももしかしたら…と可能性を感じずにはいられません。

生きるメリット…私も正直なところあまりよくわかっていないように感じます。けれど「生きていなければできないこと」は数えきれないほどにあるものかなとも感じます。あなたがこれまで、そしてこれからも生きていくうえであなたの中に蓄積する感情があるのなら、それが喜怒哀楽のどれだとしても、気持ちを吐き出す意味でまた書いてもらえたらなって思います。

感想2

この経験談を読んで、「持てる選択肢の限界」というタイトルの意味について考えました。最初は死ぬ方法のことを指しているのかなと思いましたが、読み進めるうちに、生きていく上での選択そのものが少しずつ失われていくことを表しているように感じました。

幼少期から意思を否定され、周囲から拒絶され、カウンセリングや精神科、自己管理、セルフケアなど、自分に出来ることを一つずつ試してきたけれども、それでも状況が大きく変わらず、少しずつ「これも違う」「これでも変わらない」と感じることが積み重なっていくと、人は前を向くことさえ難しくなるのだと私は思います。

また、創作が単なる趣味ではなく、自分の居場所や自分自身を表現する大切な存在だったことも印象に残りました。その大切なものまで否定され続けたことで、自分の存在そのものを否定されたように感じてしまったのではないかと思いました。

一方で、あなたは「認められたこともない」「自他を認めるゴミ」と厳しい言葉で自分を表現していましたが、私は15年間もの間、創作を続けてきたこと自体が本当にすごいことだと思いました。結果だけを見れば苦しい経験だったのかもしれませんが、それだけ長い時間をかけても手ばなせなかったという事は、それほど創作が大切な存在だったのだと感じました。

最後に選択肢は最初から多い・少ないというものではなく、これまでの経験や周囲との関わりによって少しずつ増えたり減ったりするものだと私は思います。だからこそ、「選択肢がある」ということは当たり前ではなく、選択肢を持つためには自分の意志を認めてもらえたり、安心して過ごせる環境がいかに重要かと思わされました。

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