経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

とにかくもう頑張りたくなく、1ミリもイヤなんです。

30代女性です。20代前半の頃、仕事がきっかけでうつを患い、その後双極性障害と診断されました。
20代の間は双極性障害を克服して会社員としてまた働けるようになるために日々頑張っていました。

情けないことに、ほとんどが失敗と痛みとうつ状態の毎日でしたが…。進んだと思っては崩れ、進んでないのに崩れ、寝込んでいるだけのときもありましたし、決して何かを積めているという状態ではなかったですね。

でも、当時は自分にも改善点があると思って、頑張ればいつか周りの友人たちのように会社員になれるし、コツコツ働き続ければちょっとずつでもキャリアを積めるし、あわよくば結婚だってできるかもしれない、念願の子供も持てるかもしれないと思っていました。

病気について勉強もしたし、治療も取り組んだし、認知の改善にも向き合いました。少しずつ仕事に取り組めるようになってからは、周りの健康な人達をよく見てどんな考え方や息抜きの仕方や働き方をしているのかなと学んで真似ていました。

そして…そして最近、自分はこれ以上頑張ったって仕方ないということに気づきました。

頑張り尽くして、できることをやり尽くして、自分の限界が見えた時、私にはそういう人生は歩めないと気づいたんです。

フルタイムの会社員を続けるために何が必要か、何が継続できる人であれば結婚できるか、子供を持ったことでどんな変化が起こりうるか、冷静に考えひとつひとつ理解を組み立てていった後に、自分にはそれらに対応できるエネルギーもリソースもないと実感しました。ひとつ叶えるのも到底無理だと思いました。

最初は「病気のせいだからなのかな」とも思い、不運を憎み悲しくなった瞬間もありましたが…。

よく考えたら、わたしは元々情緒不安定だしちゃらんぽらんだったなって気づいたんです。

病気になる前から、自分は働くことが好きじゃないし合わないし到底継続できないと感じていました。1日8時間も働いていると、何をどうやっても本当に苦しくなるんです。

でも世間のみんなが「仕事は大変だ」と言うし、きっとみんなわたしと同じ状態から頑張って社会人をやってるんだ、みんな同じなんだと思っていました。

今思えば、大学生の頃からアルバイトが本当に苦手で、何をやっても辛くて、極力働かないために毎食冷凍うどん生活をしていたわたしが、その食事に何の苦も感じず楽しく暮らしていたわたしが、一定の年齢になり学校を卒業したからといって社会人としてフルタイムで働けるようになるわけがないんですよね。

本当は、ずっと前からそんなことできないし無理と分かっていたんです。

でも、頑張ればいつかできるようになると思っていたんです…。

確かにみんな頑張っているのは事実ですが…、よく考えたら、スタート地点は人それぞれ、適性も人それぞれなんですよね…。当たり前のことなんて本当は何一つとしてないんですよね。

わたしにとって双極性障害そのものは病気だと思います。でももともと自分にはそういう素質というか、性質もあるように思います。今より発症前の10代の頃の方がPMSで情緒不安定でしたし、いつも繊細で不安定なんです。

これまではずっと、病気は自分の外側にあるもので、いつか取り外せて、取り外したあとにはみんなと同じ本体が残るはずだと思っていました。

でも今は、双極性障害は自分が心身ともに健康に生きられない状態になったときに強まるエラー反応で、生まれ持った本体に融合しているものなんじゃないかと感じています。
(医学的に正式な解釈ではないので、あくまでわたしが自分の病気に対してのみそう捉えているだけです)

それに、自分にとって幸せは何かを得ることではなく、余白を持つことなんだとも学びました。
生活がしんどければ、どんな贅沢をしても、何を得たとしても苦しいです。でも余白があれば、たまたま目に入ったものやご縁があったものを味わう余裕を持つことができます。

20代の間、欲しいものを得るためにひたむきに頑張ったことは自分にとってよかったと思います。いい経験でした。

おかげで気持ちも成仏してしまったというか…。
なんかもう、がんばれないです。
今の生活を成立させるために踏ん張る力がないです。

もう本当に、さっさと地元に帰ってしれっと実家に住み着いて、親に何を言われようと周りにどう思われようと、働いてるんだか働いてないんだか分からないようなゆるい働き方の生活を貫き過ごしたいです。

キャリアも家庭も持てないと分かると、気持ちが自由になりました。

できないものはできないんだから、もう将来性を考えて仕事を選ばなくていいし、人に選んでもらえるような立派な人間でいなくてもいいし、子供を支えるためのエネルギーもお金も作り出さなくていいんですよね。本当に気が楽になってしまったんです。

仮に将来それでにっちもさっちもいかなくなってしまったとしても、自分の人生もともとにっちもさっちもいってないんだから変わらないと気づきました。

今日この日が日々てんやわんやのグダグダなのに、将来の安心を作れる余力なんてないし、よくよく考えれば自分はもともとそういう人間だと思ったんです。

自分のことを高く見積もりすぎていたのかもしれません。もともとできないことに対して、できるはずだって期待しすぎていたのかもしれないです。

いつもほとんど詰みかけの状況を、なんとなく運でなんとかなっているので、今後もきっとずっとそれが続くだけ、そしてタイミングが来たら死が訪れるだけなんじゃないかと…。

どうせ自分には今日この日を生き残るエネルギーしかないんだから、それだけ持っていればいい生き方をしたいし、もう安定や安心やその他色々何かを得るために頑張りたくないと思いました…。

感想1

あなたが周囲の「当たり前」に囲まれながら、それに合わせるために無理を続けながら生きてきて、その中で自分自身のあり方を探してきた過程がていねいに書かれていて、とても納得する気持ちで読ませてもらいました。嫌になるのも当然だし、1ミリも頑張らなくていいよ!と、つい言いたい気持ちになっています。
読みながら「わかる」となる部分がたくさんあってびっくりしています。私も働くことは好きじゃないし、自分のペースで生きるのにそこそこ満足しているのに、卒業=社会人=フルタイムで働く生活というようなイメージに無理して合わせて、20代で双極性障害と診断される状態になりました。不調の解決のために勉強したり、工夫したりして頑張るけれど、どうしても気づけば動けなくなる、メンタルが終わってしまうことを繰り返す中で、この生活自体が自分にとっては当たり前でもなんでもないことを少しずつ受け入れてきました。毎日同じ場所に通って8時間働くのも無理だし、そもそも出勤がだいぶ負荷だし、総合的に考えてフルタイム就労というのはやめておくべき生活スタイルなのだと、失敗を重ねて体をボロボロにしてやっと気付いて、いまがあります。
もちろん、一緒くたにしたいわけではないのですが、なんだか勝手に、同志というか仲間を見つけたような気持ちになり、他人事とは思えなかったのでした。そんなわけで自分語りが多くなってしまい、すみません。せっかくなので事例として出してみたいと感じて、思いついたことを書いてみたいと思います。

考えてみれば、世の中の当たり前に「らくらく乗れる」人が何割で、「なんとか乗れる」人が何割で、「無理をしている」がどれくらいなのでしょうか。私の見てきた限り、もちろん私よりもうつ状態になったりせずに週40時間以上働いている人はすくなからずいるのですが、私以外にも休職や精神疾患で辞める人も少なからず見てきたし、世の中の「働く」から弾かれてしまう状況の人もすくなくなく、ゆとりがたりない世の中なのは事実のようにも感じます。それは不況などの要因もあるし、社会規範の影響もあるのかなと思っています。本来なら、個人が努力して合わせるのではなく、この状況自体が、社会のあり方が変わるべきなのだと私は感じています。

「双極性障害は自分が心身ともに健康に生きられない状態になったときに強まるエラー反応で、生まれ持った本体に融合しているもの」という解釈は、病名というよりは気質や自律神経や、心身のあり方という意味では、すごくわかるし自分もこれに近い納得をして生きているなぁと思いました。
私の場合はまったく働けなくなった時期を経て、0ベースで週数時間の、自分にとって負担の少ないリモートワークの仕事をしてみたり、気晴らしになることを模索したり、ピラティスや散歩などしてみたり、体調や睡眠を観察したりしながら、少しずつ「このレベルならむしろいい刺激として受け取りながら働ける」「これだとしんどい」という量や質や取り組み方を、この5年くらい実験し続けている感じです。「働いてるんだか働いてないんだか分からないようなゆるい働き方」というのも、多分最近の私の状況を周りから見たときの感じにとても近いと思います。
ちなみに、私の周りにも、似たようなタイプの人はちらほらいて、いろいろな仕事を単発でやるようになったら、時間数的には働ける時にはすごく働けるという人もいたり、人と関わる短時間の仕事は疲れるけど楽しくできると発見した人がいたり、それぞれにさまざまな得意不得意があり、気質や体調などに合う働き方があることを感じています。

「自分のことを高く見積もりすぎていたのかも」と書いてありましたが、私はそうは思わなくて、ただ世の中のイメージする人間像が狭すぎるだけなのかなと感じています。みんなと同じように働くべきという価値観はものすごく強くて、私の中にもまだ内面化された部分はある気がするのですが、でも、人間が社会に合わせるのっておかしくないですか?と言いたくなります。社会は人間のためのコミュニティなのだから、社会が、ひとりひとりの人間に合わせていくべきなのに、それがまだまだ未熟だというだけのことのように思うのです。優劣の価値観も、本当は100億通りあっていいはずなのに、世の中の価値観は固定的なものがとても多いと思います。そういうものから逃れたくて、そういうものを崩してしまいたくて、世の中から役に立たないと言われるようなことしかしたくない!という気分にすらなります。……自分語りというか、自分の考えをぺらぺらと書いてしまいすみません。

文章から、あなたがあなたの心身やあり方を守ろうとしている意思を感じました。それはむずかしいけれど大事で、世の中にとっても必要なことだと私は思います。世の中に生活のサンプルが少なすぎるので、あなたが自己一致していられる生活を探る道はちょっとしたけもの道なのかも、と思います。私もいまもその日暮らしに毛が生えたくらいの中で模索中だし、模索すること力もなくただ寝込んでいる時も多いです。
地元に帰るのも実家で過ごすのもとてもいいと思うし、あなたにとって楽をできる道は全部使っていい気がします。必要に応じて福祉制度の利用も気軽に試していいと思います。その中で、あなたがなにかゆとりを感じながらいられるといいなと願っています。

感想2

あなたの経験談はここ10年程の試行錯誤して進んできた道のりが丁寧に描かれ、私には、とにかく、とにかく、あなたが自分自身ととても向き合ってきたことが伝わってきました。そして、詳細に書かれた内容から、その作業がどれだけ時間と労力がかかるもので、どれだけあなたを追いやることがあっただろうかと感じました。

本当にあなた自身も自分を信じて突き進んできたのではないでしょうか…。しかしながら、頑張って頑張って頑張り続けてきたのち、自分の限界が見えてしまった…。どう頑張っても自分だけ頑張るのでは仕方がないということに気づいてしまった…。その時の衝撃と悲しみは私にも計り知れないほどのものだったように思えました。そして、そんな自分を受け入れる、飲み込むことはどれだけ、苦しい作業だっただろうかと想像しましたし、飲み込んでもなお、どこかスッキリできない感覚もあるのではないかと私自身は感じました。

そのように私自身はあなたのこれまでの気持ちを想像してみましたが、それと同時に社会に対してイヤな気持ちになる自分もいました。というのも、本当は、誰もが好きなように生きていける世の中(社会)であってほしいのに、あなたの経験談を読んで、まだまだそんな世の中(社会)ではないと実感したからでした。

あなたがいうように「よく考えたらスタート地点は人それぞれ、適性も人それぞれ…。当たり前のことなんて本当は何一つとしてない」と私自身も感じています。だからこそ、それぞれが違うことを前提として、利用できる制度や施設、人材、サービスが整っていなければならないのではないかと考えますが、それが不十分だからこそ、こうやって人それぞれにしわ寄せがきてしまっているような気がしました。

本当はあなた自身も願うならば、ちょっとずつキャリアを積みたかった、結婚して、子供を持ちたかったかもしれません…。そして、その願いを叶えるためにあなたは自分ができる範囲の中で自分の特性を踏まえつつ、立ち向かってきたのだろうと思いました。でも、それで無理であるならば、もう社会の問題としか私には思えなかったのでした。

しかしながら、こうやって、今そう嘆いてもすぐすぐ環境が変わるわけでもないからこそもやもやしてしまうのですが、今回あなたがここに声を届けてくれたように、社会に訴え続けなければ、社会は変わっていかないのかもしれない、こうやって声をあげていくことが、社会を変えるための一歩なのかもしれないと思ったところでした。

また、よければ、あなたの声を届けにきていただけたらと思うばかりです。
あとは今はあなた自身が相当すり減っているようにも思えたので、頑張りたくないと話すあなたに勝手ながら、ひとまず、自分を優先して過ごしてほしいと感じずにはいられませんでした。改めて経験談へ投稿してくださり、ありがとうございました。

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