経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

将来の希望について

私は、20歳の女です。
今回書こうと思っている内容は、将来の希望について。

もともと私はネガティブ思考でそれが影響し、高校受験に失敗しました。
あまり入りたくない高校に入りましたが、続くわけもなく1年足らずでその高校は辞め、別のところへ転入しました。

そこからずっと人生の坂は下っています。

進学も就職もできず、高校生の時から続けていたアルバイトも、職場内の人間関係や日々対応するお客さんがストレスでだんだんと耐えきれず辞めました。

最近は、“お金が欲しい”ただそれだけで就活を始めましたが、そもそも必須条件や最終学歴が対象外の自分ではスタートラインにすら立てなくて絶望しています。
大層な学歴もないし、資格も免許もない、自己PRだって自分を売り込めるようなところはないから、履歴書は何も書けなくて、余白だらけです。
まともに働いたこともないので、自分がしたい仕事、できる事、得意な事がわからないです。なぜその仕事に就きたいのか、志望動機がわからない。
うまくそれっぽいこと書けないし、バカ正直にも書けないです。

周りからは若いからやり直せると言われて頑張ってきたけど、気づいたら21になりそうです。
周りはもう就職先も決まっていたり更なる挑戦をしたり、休みを謳歌して楽しんだり、比べたくなくても比べてしまう現実です。
私も学生の時失敗しなかったらああなっていたのか、たくさん友だちに囲まれて楽しく過ごしてたのかと思います。

私と同じ境遇の方は探してもどこにもいなくて、ただただ日々消えたいと思っています。死にたいではなく、みんなの記憶の中から私という存在を消したい。全てなかったことにしたい。

現在、実家暮らしで親には家のことやその他で何もかもしてもらっているのに、そんな私は親に借金をしています。はやく借金も返したいです。
親が死んだらどうしよう…と考えたとき、私はいろんな意味で一人で生きていけない人間だから死ぬしかないと思いました。
幼い頃から迷惑しかかけてこなかったので当然親不孝者ですし、ここから頑張ってもそれが恩返しではないです。

まともな人生を送って、仕事も趣味も友情も恋愛も楽しみたかった。
いまの私はそれを楽しむ資格はないです。

最後に、私はいま将来の希望がなくお先真っ暗です。人生詰みました。
もし同じような境遇の方がいるのであれば、いまよりひどくならないよういまを頑張りましょう。と伝えたいです。

最後までありがとうございました。

感想1

あなたが何度も自分のことを「何もない人間」のように表現していて、本当にそうだろうかと考えながら読んでいました。学歴もない、資格もない、自己PRも書けない、やりたい仕事も分からない。そう自分を評価する言葉が並んでいましたが、その文章の中には「本当はこう生きたかった」という気持ちもたくさん詰まっているように感じたからです。
履歴書が余白だらけと書かれていましたが、履歴書の項目にずっと疑問を持っている私としては、履歴書が余白だからといってあなたの人生で語ることがないわけではなく、その履歴書という項目には書くことがないだけだと思ってしまいます。就職活動というのは、自分の良いところや頑張ってきたことを言葉にして評価してもらう場面が多いですよね。でも、自分自身のことほどわからないなと私は思っていて。特に初めて社会に出ようとしている時期なら、何が得意で何が向いていて、どんな仕事をしたいのかなんて分からない人の方が多いのではないでしょうか。私自身もたくさんアルバイトをしましたが、その都度面接で「志望動機は?」と聞かれて答えに詰まった経験があります。本音を言えば「家から近いから」「お金が必要だから」という理由が多く、でも社会ではもっと立派な理由や将来像を求められることがあります。だからあなたが感じている苦しさは、自分の能力不足というよりも、まだ見つかっていないものを今すぐ言葉にすることを求められている苦しさでもあるのかなと感じました。
また、周りの同年代と自分を比べてしまう気持ちもとても伝わってきました。就職先が決まっている人、進学した人、友人と楽しそうに過ごしている人。見たくなくても目に入ってしまうし、気づけば、何ができるかではなく、楽しむ資格があるかどうかで自分を裁くようになってしまう。あなたが苦しんでいるのは、働けないことそのものというよりも、本当は当たり前に手に入ると思っていた未来が遠く感じられてしまったということなのかなと思いました。仕事も、趣味も、友情も、恋愛も、誰かと比べるためではなく、自分自身の人生として味わいたかった。その願いが文章のあちこちから伝わってくるようで、高校の時に挫折しなければという言葉が、あなたにとってそれがどれだけ大きく影響しているかが伝わりました。
そして最後に、「人生詰みました」と書きながらも、「今よりひどくならないよう今を頑張りましょう」と結んでいたことに、まだこれから何かが変わる可能性を勝手に感じてしまいました。本当に何もかも諦めてしまった人なら、その言葉は出てこない気がしたからです。あなたは自分のことを何もない人間のように書いていましたが、うまくいかなかった経験を抱えながらも、それでもどうにか前を向こうとしている人のように私は感じました。だからこそ、今のあなたには自分を責めるよりも、ここまで生きてきた自分、小さなことでも挑戦した自分を褒めてあげてほしいなと思ってしまいました。経験談を読ませていただき、ありがとうございました。

感想2

私はずっと将来への展望がないまま、激しいネガティブな感情の波に流されて場当たり的に生きてきた人間です。実は今もまさに就活生なのですが、やる気は全くといっていいほどないです。埋められないエントリーシートを放置してはや2か月といったところです。志望動機も自己PRもガクチカも最終的には「で、あなたはうちの会社でどんな部品になれるんですか?」と企業側が判断するための材料でしかないと感じます。企業ウケを良くしようと思うと、自己一致した文章を書くことはできず、かといって誤魔化して上手い文章も書けずで本当に苦労しています。最終学歴を限定するのだって、本当に必要なことなのだろうかと思います。とにかく、就活に納得いかない点が多すぎてやる気が出ません。しかし、周りのみんなはこの苦行をソツなくこなしているように見えてさらに驚きます。やっぱり私って生きるのが下手くそなのかな…と自信を無くしがちな今日この頃です。

「若いからやり直せる」という言葉、相手は励ましているつもりだろうけれど結構心を抉られると感じます。今の状態がすでに失敗していて、そこから人生を改善しなければならない、それを若いうちにやらないと手遅れになる、そういうメッセージが含まれているのではないかと思いました。私も言われたことがありますが、励まされるどころか落ち込むし、変に焦ってしまいます。
そもそも「まともな人生」ってなんだろう、どんな状態になれば「やり直せた」ことになるんだろうと思います。「普通」に就職することでしょうか。それはすなわち1日8時間週5で働き、月給をもらい、それで自活するということを意味しているのでしょうか。色々な事情でそれができない人も、その生活スタイルを選択しない人もたくさんいるけれど、「まともな」状態にならなければ毎日を楽しむ資格がないとすれば、どのくらいの人が無感動な日々を送らねばいけなくなるのだろうと想像してしまいました。

私も、あの時こうしていれば良かったのかな…と考え込んでしまうこともあるけれど、そもそも過去の自分はその時々において精一杯だったのではないかと思い返します。あなたにしても、ネガティブ思考が纏わりついたまま勉強していたとき、行きたくない高校に頑張って通っていたとき、ストレスを感じながらアルバイトしていたとき、きっと感じていた辛さをぎゅっと押し込めながら身体を動かし続けていたのではないかと考えていました。あなたなりに頑張って生きてきたこれまでを失敗だったとは私は思えません。

生活を成り立たせるための稼得手段としての仕事を見つける就活で、心身のバランスを崩しては元も子もないし、そうして手に入れた職が続くかどうかは分かりません。「頑張りなさい」じゃなくて、何事ももう少しゆるりとやれたらいいのになあと思います。人それぞれに向き不向きがあり、求める暮らしも違うのに、ある特定の型でないと許されない雰囲気は何と息苦しいことだろうと感じています。その人自身にとって居心地が良くて、無理することのないライフスタイルを模索することが当たり前になってほしいなと思いました。

一覧へ戻る