経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

質問になってしまうのですが

 初めて体験談投稿させていただきます。

 私が「死にたい」と思い続けている理由は、「何故か自分のことが嫌い」だからです。
 この「何故か」がとても厄介で、考えてもきっかけが見当たらず、結局いつも解決法なんてなく、日々ゆっくりと不幸に向かっていくのだという結論に辿り着いて、全てが嫌になってしまいます。区切りをつけてしまおうと試みましたが、二度も失敗してしまい、なんとも途方にくれています。

 昆虫が嫌いな人が遠くの方に飛んでいる虫を警戒するように、少しでも生活の中で焦点が自分に合っていくことに心臓がバクバク鳴って、不快で、息が苦しくなります。所謂「生理的嫌悪」なのかもしれません。自分の顔を見るのも、意見を考えるのも胃が痛くなります。自分で考えた事は気持ちが悪くて、作ったものや、やった仕事ですらとにかく否定して、ゴミカスを産んだと思っておかないと居心地が悪くて仕方がありません。

 そして何より、どうしてこうなってしまったのか、思い返しても全く原因が見当たらない事に一番、絶望感を感じます。
 裕福とは言えないけれど、親族も友人にも恵まれていたと思います。大きないじめを受けたわけでもなく、限りなく劣ってはいますが、運のいいことに人格や容姿を強烈に否定された思い出もありません。大学に進んで、就職して、転職はしたものの、今も普通に働いています。
 しかし何故か中学校に上がった頃くらいから、自分のしたことを否定しないと気が済まなくなりました。「さっき、なんでこんな行動ができたんだろう」「この発言は気持ちが悪かった」「絵が下手なのに絵を描くのはおかしい」「こんな絵は人を不快にさせるだけだ」「自分の顔は気持ち悪いと思って生きなければいけない」と、一人になるたび急に過去や自分を殴りつけるような考えや言葉が湧いて出てしまいます。それも基準は反省ではなく、とにかく過去に罵詈雑言を浴びせることのような気がしています。頭に浮かんでくる言葉が止められず、今は睡眠薬で寝ていますが、月に何度か言葉が消えずに心臓がうるさく、徹夜明けで仕事をすることもしばしばあります。キツいです。

 他人と比べられることが多かったとか、誰かに大きく否定されて自身を全て失ってしまった、とかであれば、もしかしたら原因やトラウマに対してのアプローチができるかもしれないと思いましたが、そうでもなく、大きなきっかけが見当たらず悩んでいます。こんな意味の分からないことで延々と絶望し続けている自分にも、理解できず嫌悪感が募るばかりです。薄らと、どうしようもない、と思っておりますが、このトンチキな自己認識に関して何か意見をいただけたら幸いです。
 長々と失礼いたしました。
 

感想1

初投稿、ありがとうございます。

死にたいという気持ちは明確にあり、また理由もわかっているけれど、「何故か」の部分に日々苦しめられている様子を想像しました。
“解決法”という言葉が書かれていたところから、なんとか…どうにかこの希死念慮と、自分が嫌いなことから解放されたいという気待ちを抱いていることも感じました。
昆虫の例えがありましたが、私自身、虫がとても苦手な人間だというのもあり、わかりやすく脳内に入ってきた感覚がありました。
また、文章を読みながら感じたのは、あなたが自身の心情をよく観察し、自己理解を深めているようにも思いました。しかしながら、「自分が嫌い」と強く感じている分、そこに至るまでの過程でもとても苦労があったことを想像しますし、”そうせざるをえないような状況だったから仕方なく・苦しみながらもこうなってきた”というような背景もあるのではないだろうか…と思いました。
自分のこともそうですが、自分がやったこと・作り出したものに対する生理的嫌悪も強くあることが伝わりました。日常生活の中でそういったこと(作りだしたり、自分の脳内で勝手に考えが浮かんだり)は私たちの身近にあると思います。ですので、あなたの嫌悪もまた日常的に頻繁に起こりうるもので、尚更逃げ場がなく、どうしたものかと、原因がわからないことも含め、絶望に打ちひしがれてしまうのが当たり前の状況であることを考え、かなりストレスがかかる毎日だと思いました…。
過去のお話も書いてくれていましたね。読んだ時になんとなく…あくまで私の感覚ではあるのですが、「何故か中学に上がった頃くらいから」というのと、「一人になるたび急に過去や自分を〜」という部分に、なにか大きなヒントが隠れているようにも思った私がいます。私も自己否定が強く、考えが巡っては自分に対して「キーッ!」となり、髪の毛を引っ張ってしまうようなことが多いので、頭に浮かんでくる言葉が止まらない嫌な状況に共感しています…。
睡眠薬で寝ていると書いてありましたが、既にどこかのクリニックにかかっているのでしょうか。トラウマに対するアプローチに関するお話なども出ていたので、もしかしたらかかっているのだろうか…とは思いつつも、私から何か言える事はないかと考えたのは、専門医に相談してみることや、自分の現状を他者に話す、外に出すのはどうだろうかというのが私の意見です。メンタル関係の専門医に話す際は、書いてくれたこの経験談をメモのように持参して行き、「色々聞いてほしいことがあるのでメモをしてきた。」というのも良いのではと思ったのと、(このメモ方法と言葉は私の経験談でもあります)
こういった場に書き出してみる事も一つの「話す」に該当すると私は思うので、書けそうな時にまたこうやって書き出してみるのもいいんじゃないだろうかと考えました。
「トンチキな自己認識」などではなく、どうにか理解を深めよう、どうにか変えたいという気持ちからくる、これまでのあなたの自分への向き合いを感じました。あなたの毎日が少しでも過ごしやすい日々になったらいいな…と、勝手にですがそう思いながら、感想を書かせてもらいました。

感想2

これまであなたは反省と後悔を日常的にしてきた、というか、しないといけないような感覚の中で生きてきたのかなと思いました。深い自己嫌悪のきっかけや理由がわからないことは、わからないこと自体のしんどさがあるように感じます。
ただ、私はこの世の中では、直接的ではなくても比較や優劣を押しつけてくるような状況がとても多いように感じています。自分に対してではなくても、さまざまな勝手な決めつけや批判、罵倒雑言はテレビにもインターネットにもリアルな社会にもまだまだ多くて、その中で、真面目であればあるほど、自分を検証し批判し続けずにはいられなくなったり、自責を深めてしまったりすることはあるように思いました。(文章を読んでいて、あなたはとても真面目でひたむきな人なんだろうな、と思っていました。)

私は20代半ばまでとにかく「一人反省会」をずっとしていました。自分が間違っていたり、失敗していたりすることにとても敏感で、自分は世界一ダメで悪い、くらいに思っていました。さらに自分という存在は、私にとってどうやっても世界の中心だから、逃れるのがとても難しく、自意識を止めることも難しい気がします。

自分のことを好きになる必要もないけれど、虫を嫌うように嫌いなのは、とても疲れてしまいますよね。その中でだれかに聞いてみたいという気持ちはとても真っ当な感覚だなぁと思いました。残念ながら、私は質問に答えられるほどの知見があるわけではないのですが、大きくてわかりやすいきっかけはなくても、世の中の空気感にさらされている中で、頭の中の批判の声が大きくなってしまうことは大いにあるのではないかと思いました。
本当は私たちの社会の空気が健康的で人に優しいものに変わっていくことが必要だと私は思います。だけど、実際には今この瞬間の空気もあまり優しくないもので、それでもそこにしかいられない中で、自分を責めることは、どうにかその空気に合わせて自分を順応させようとすることでもあったのかなと想像していました。それは息を止め続けられない中で呼吸し続けるための、あなたのサバイバルスキルの側面もあったのかなと思ったのでした。
的外れなことを言っていたら、すみません。いつも批判の言葉が頭の中で動いていたら、脳の活動としても、それだけでとても疲れると思います。あなたの心身が休まる瞬間はどうしたら見つかるのかな……。ひとときでも、あなたが力を抜いて過ごせる時間があるといいなと思っています。

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