経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

やり切れない

約半年程前に送った者です。あの頃から状況は変わり、高校生になりました。家庭内の雰囲気も大分平穏です。しかし、タイトルにもある通り私個人としてはまだやり切れない気持ちがあるので、再びここに書き記す事にしました。
私の家族は3、4年前は大分嫌悪な雰囲気を保っていました。主に父と母が両方に憎悪を向けているような状況です。それが顕著に出たのがコロナ禍の時でした。私が小学四年生だった時です。異例の状況で家族全員が家に居ることで不満が爆発したのであろう両親が大喧嘩をしていました。私はその当時、両親が喧嘩をしていた1階には居らず、2階に居ましたが正直聞くだけでも大分堪えました。それから1、2年ほど、両親はお互いに対する不満を私にぶつけてきました。とは言っても毎日ではなく親の感情次第でころころ変わります。時には八つ当たりもされました。それでもなんとか耐えようと中立を保っていました。わざわざ部屋に来てまで愚痴りに来たり、メールで教訓というなの母の愚痴を長文で投下する父にも、旅行に来てまで愚痴を言う母にも正直飽き飽きとしていました。そんな事を繰り返していたからか、精神は病んでいき軽い鬱と診断されるまでに私は疲弊していました。父母からすればただ自堕落に過ごしていた娘が突然泣き出して、「精神病院に連れて行って」なんて言うものですから気が動転していました。初めて「死にたい」と話した時も私の感情を受け入れるのではなく、ただただ自分達の感情をぶつけられた時にはもう諦めていたのかもしれません。父は母の事をよく「馬鹿」と言いますが、父も父で自分の事を見ていないんじゃないかなと思う時はよくあります。ここで父と同じ言葉を使うのも嫌なので使いませんが。という感じで色々ありましたが、これは全て過去の話です。今は表面上は家庭円満みたいな感じで、父も母も以前よりお互いと話している気がします。それはそれで今までやっていた事が無駄ではなかったのかなと安心する一方、自分は本当にそれで良かったのか。自分だけまだ過去を引きずっているのではないかという感覚もまだ残っています。表面上はですが、仲良く笑ってる家族に対しても私だけはまだ感情が燻ってるようで、気持ち悪いとさえ感じてしまいます。別に父母が和解したという訳では無いですし、根本的な解決は全くしていません。だって父母は話し合っていないのですから。でもこうやってグダグダと引き摺ってる私と比べたら大いに違うでしょう。時々「自分がやった事には意味があったのか」そう問いただしてしまうことがあり、自問自答を繰り返しています。こうやって自分が考えてる事を言語化し、整理しようとはしていますが、あの時に受け取りたかった行動や言葉は何も取り戻せません。残ってるのは寂しさと虚しさ。それだけです。結局私は理解してくれる人が欲しかった訳ではなく、完全に理解はしてくれなくても一緒に居てくれる人が欲しかったのかもしれません。全ての感情を傲慢と決めつければ簡単な話ですが、そうも行きません。やり切れない気持ちでいっぱいです。あの時の対応は多分あの状況では1番合理的で最善策だったのでしょう。最善策だったはずなのに何も残らない。報われてるはずなのに報われない。そういう矛盾ばかりが募って吐き気すら覚えます。暴力を受けた訳でもないのに心には空っぽな私には何が必要だったのでしょうか。

感想1

経験談へ投稿いただき、ありがとうございます。

数年前の出来事とはいえ、あなたの中でご両親の不仲だった時代の出来事は、今でも影響がでてしまうほど、あなたにとってとても負荷が大きかったように思えました。

きっと、当時は家の中は、常に父親さん、母親さんの様子を見て、うまく経ち振るわねば…という気持ちもあったでしょうし、他きょうだいのこともあなたは、被害守ろうとを先頭にたって、父母の発言や行動を受け止めていたのではないかと私自身は感じました。
そして、父親さん、母親さんの吐き出し口はあなただったけど、あなた自身の吐きだせる場もなく、1人で抱えざるを得なかった状況だったのではないかとも私は感じました。
だからこそ、「私は理解してくれる人が欲しかったわけではなく、完全に理解してくれなくても一緒にいてくれる人がほしかった」という言葉がスッと私には入っていく感覚がありました。

それぐらいにはあなた自身はどこか孤独だっただろうし、強くいなければという想いもあっただろうし、あなたが部屋で休んでいても、旅行中でも、あなたの都合を無視してただ愚痴を吐き出されていたことを考えると、あなた自身が削られていく、疲労するのは悔しながらも自然なような気がしました。
そして、私としては、本当はあなた自身も子どもとして、無邪気に普段あることをお話ししたり、話をきいてもらったり、ケアをされたりと子どもとしての時間を過ごしたかった部分はあるのではないかと思いました。

そうやって、あなた自身が自身のケアをされることなく、必要だからといって愚痴をきかされ続けたとしたら、そりゃ、「心がやられちゃうよ~…」と思いましたし、今どんなに見てくれが家族円満だとしても、どこか嘘っぽく感じてしまう、信じられない部分や、人の怖さを感じてしまうこともあるのではないかと思いました。

だから私自身は、あなた自身がおかしいとかそういうことではなく、むしろ、それぐらいあなたも無理したのだろうし、今やっと少し気が抜けて?、ずっと気づかないようにしていたものがそこにあるものとして、感じられるようになったのかもしれないと思いました。

正直、なぜあなた自身がこんな想いをせねばならんのだ…という感覚ですが、だからこそなのか、あなたの気持ちのまま、受け取りたい気持ちになりました。

またよければ、ここに書きにきてみてください。

改めて、経験談へ再度投稿してみてくださり、ありがとうございました。

感想2

読んでいてあなたが両親の心のクッションの役割を担わされてしまってきたことを感じています。本当は、負の感情を人一人に背負わせるものではないし、とくに子どもには背負わせてはいけないものだと思います。だけどあなたは小中学生という子どもの時代に、愚痴を聞かされたり八つ当たりされたりしながらも「中立を保つ」ということで、理性的な立場で家族の関係調整をしてきたのかなと想像しています。本来なら親は子どもをケアする役割を担う存在ですが、あなたの環境では親子が逆転してしまっていて、あなたの方が親のケアをしなければいけなかったということだと感じました。

もしかして、あなたの両親はあなたにケアをされていたことにもあまり自覚がなかったのかな、だから「突然泣き出した」みたいな感覚だったのかな……と考えて、なんだかちょっと、すごく悔しい気持ちです。ケアされた両親の方は、あなたがたくさん愚痴を聞いたおかげで、うまいこと立ち直った部分もあるのかもしれません。でもあなたはその愚痴をたくさん吸収して苦しい状態のままなのかなぁと思うと、それは理不尽すぎると言いたい気持ちになってしまったのでした。感情のケアって得てしてなかったことにされがちだけど、実はめちゃくちゃ負担の大きいものだと思います。そういう状況をも含めての「引きずっている」「感情が燻ってる 」「やり切れない」でもあるのだろうかと考えています。あなたにはあなたの心をケアされる権利があるのはずです。それなのに家族に対応して、我慢して、死にたくなっても受け取ってもらえないのって理不尽すぎると思います。

親といえど自分ではない他者なので、残念ながら分かり合えないことや期待しても返ってこないことは多々あると自分自身の経験からも思っています。(もちろん、子どもには親に分かってほしいと願う権利はあり、苦しさや感じてきたことを伝えてもいいとは思うのですが。)
でもあなたには、家族ではないとしても、どこかにあなたの苦しさを吐き出せる場所、気を使わなくても過ごせるような空間や時間、他の人のことを優先しないでも貴方自身が楽しんだりくつろいだりできるような環境がたくさん必要だと私は思います。それはだれにでも必要だけど、あなたは苦労してきた分だけもっとそういう時間をたくさん過ごしていいはずです。あなたは相手を気遣う力や理性的に考える力がある人だと思うので、その分、その力を使わなくても過ごせるような相手や環境がたくさんないと、なんだかフェアじゃなくなってしまうような気がします。学校や病院など、家以外の場所で、こういう話をできる相手はいるのでしょうか。あなたが報われてほしいと切に願うばかりです。その方法がたくさん見つかっていくまで(見つかってからでも)、いつでも死にトリに書き込みにきてください。

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