経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

息を殺して60年

私は子供の頃から、自分の本音や願望を家族を含めた他者に言うことが出来ず、60才を過ぎた。
やりたいことを殆ど自分で内に押さえ込んでやれずに過ごした60年。定年退職して自由でしょと言われても、何かをする意思が出てこないのである。日々思うのは早く楽にしてくださいと願うこと。
人生の半ばで鬱病を患ってからは、毎日大量の抗うつ薬などを服用し、会社も休職し入院もし、家族や同僚の前で醜態をさらして生きてきた。そう毎日、誰か楽にしてくれと願いながら。
自死を選択しなかったのは、家族に迷惑をかけるから。それだけは自分の意思を通してきた。
自分のやりたい事をやって、さらにそれをSNSで発信している人をみると、無性に腹立たしく感じる。歌にあるが、人の不幸を祈るようにだけはなりたくない、のだが今の私は祈っている。
なぜ私は自分の意思を出せないのか。先日通ってる精神科の検査で発達障害(自閉スペクトラム症)と診断された。なるほど、と思ったが、それで何かが変わるわけでもない。
平凡な生活を送れることの幸せを感じなさいと世間はいう。私の生活は周りから見れば平凡だが幸せな人生だろう。
でも私の中では自分を押し殺して、息を潜めて、早く楽になりたいと内心願い続けながら毎日を送っているのである。
本当に死を迎えるまでずっとずっとずっと。

感想1

これまで60年間、虐げられたり軽んじられたり意にそぐわない様々な場面に投じられ、気が付けば傷だらけになっていたあなたを想像しました。意見や提案を求められることがあるけれども、発信が無いから何も感じていないわけではない。言葉や態度で自分自身を勝手に判断されてしまう、誰かと自分が通じ合う瞬間は少なく、息を殺してきたのはあなたの蘇生術だったのかもしれない。

家族に迷惑をかけたくないと通してきた意思がある一方、出せない意思に戸惑ってきたあなたがいます。ちまたにはやってみた動画が溢れ、人と人とのやり取りは瞬発的で思いや意思が凝縮され、ショートで爆発的に表現されている。あなたにとって息をひそめて生きるとは辛さを象徴する生き方なのかもしれませんが、こんなに短期集中的で情報過多な時間にさらされ続ける世の中では、息をひそめる方法を知らないとたくさんの人が壊れてしまうのではと心配になる自分がいます。ハーモニカが鳴り響く『ロード』が無性に聞きたくなったのは自分だけでしょうか。投稿いただき、ありがとうございました。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
自分らしさを抑圧し、心の声を殺して生きることは、あなたなりの生存戦略でありながらも、静かに力を奪われる経験であったことを感じました。
自分の本音や願望というものは、安全な関係性の中で誰かに受け止めてもらう経験を通してはじめて、「出してもいいんだ」と感じられるように私は思います。あなたにとって、自分の思いを他者に伝えることは、安心よりも危険を伴うことの方が多かったのでしょうか。否定されたり、役割を背負わなければならなかったり、あるいは自分の声よりも優先される何かがあったり・・。一方的な想像ばかり書いてしまいましたが、「意思が出せない」ことは、置かれてきた環境によって身に付けざるを得なかったことのように感じています。

うつ病を抱えながらの日々にも、たくさんの苦労があったことを感じています。
「家族や同僚の前で醜態をさらして生きてきた」と書かれていましたが、当時の時代背景など考えると、今よりもさらに、精神的な病に対する理解やサポート体制は不十分だったのではないかと想像しています。
迫り来る希死念慮と、家族に迷惑をかけてはいけないという思いの間で、常に揺らぎ続けていることを感じました。

社会の中では、「やりたいこと見つけて実現する」という価値観が豊かであると美化されがちですが、それらはどこか「しなければならない」という圧力や押し付けのようにも感じられる私がいます。
あなたの文章は、深い孤独の中にいながらも、自分の人生がここにあるということを知らせてくれたような、そんな感覚を抱きました。またよかったら、声を届けてほしいなと思っています。

一覧へ戻る