経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他人と比べられる社会なんて大嫌い

ふと思い出した嫌な記憶…
学校の体力テストで、「遅いからやり直し」と言われ、やり直しさせられたことがある。
それぞれのペースがあるのに、納得できなかった。
運動が苦手な私に、運動部の人のペースについていけと言っているようなもの…無理に決まってる。

社会に出る前から他人と比べられ、嫌な思いばかりしている。
誰ひとりとして同じ人間はいないのに、なぜみんな一緒じゃないといけないのか…意味がわからない。
価値観も、考え方も、得意なことも、苦手なことも違う。それなのに、なぜみんな一緒じゃないといけないのか…。

自分ができるからといって、私もできると思わないでほしい。
「私」と「あなた」は違う人間。
一緒にしないでほしい。

いつになったら、他人と比べられない社会になるんだろう?
他人と比べられる社会なんか、大嫌い。

感想1

投稿ありがとうございます。
私も人と比べられることが苦手だし、苦手だからこそ自分自身も他人を比べないよう意識しているつもりですが、あたりを見渡せば比較ばかり…正直どこを向いても気疲れしてしまいますよね。

学校の意義、気になり調べてみたところ、「集団生活を通じた社会性や多様性の育成」といった言葉が目にうつりました。言わんとすることはふんわりとわかるかな、と感じました。ただ、集団生活の中で「規律を重んじる」ことが優先されるあまり「多様性」が軽視されているように私は感じてしまいます。教え導く側、統率する側としては「思考や行動、性質や個性といったものに一つとして同じものがない」というのはたしかに頭を抱えるかも…と思いますが、凸凹でも、穴が開いていたとしても、それぞれを尊重しつつうまいことやる方法ってなにかあるんじゃないかって思います(はっきりしていなくて申し訳ないです…)。

「~さんができるんだからあなたもできるでしょ」ではなく「苦手な部分はできる人に頼ってそれぞれ得意なところを活かそう」私の理想はこんな感じかもしれないなって思いました。あなたのいうとおり「私」と「あなた(私以外)」は違う人間。性質も何もかも違うからこそ、それぞれの持ち味が輝ける環境が常であってほしいと心から思います。

感想2

私も他人と比較されることが大嫌いで、学校でたくさん嫌な思いをしてきた人間なので、激しく共感しながら読んでいました。
体力テストって、今の自分の運動能力がどれくらいのものなのかを自分が知るためのものだと思っていたので、計測に不備があったりしないかぎりはやり直しも何もないだろ…と驚愕しました。その他にも、学校という場はつくづくそういうシーンがあるなと思います。勉強も運動も、それぞれ得手不得手や興味関心が異なるのに、みんな同じカリキュラムを一律に行うことが求められるのは、本当に窮屈だったと学生時代を振り返って思いました。

「周りと同じ」を求められると、基準に届かない部分は無理やりにでも引き延ばすよう要求される気がするし、逆に秀でる部分は打ち消されてしまうような気がします。戦後より、すべての人に平等な教育を提供しようとマス教育が進められてきましたが、それは個人に無理を強いて紋切型の人間を量産することに繋がってしまい、その矛盾は子供たちの精神的不調や不登校といったかたちで現れているのだと思います。

自分と他人を比較することには何の意味も無いし、元々ある人々の多様性を「普通」に矯正するのではなく、そのまま生かす方向に社会が変化すればいいのにと私はいつも思っています。強かに比較や矯正を続けて多くの人間に生きづらさを与えるよりも、足りない部分を補い合ったり、色々な人がいることを知って、社会全体で困難にしなやかに対処出来たらいいなと思いました。このことについてはまた、あなたや他の人と語り合いたいです。気持ちを聞かせてくれてありがとうございました。

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