経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

惰性で生きている

ここ最近つらい気持ちが特に酷くなり、そんな折にこの場所を見つけたので少し吐き出させてください。
私は幼稚園の頃から小学生の頃(軽いものも含めるのならきっと中高も)までいじめられていました。理由は今でも分かりません。
向かいの家の、登校班が一緒だった同い年の男の子が何の切っ掛けなんだか、本人にとっては弄り程度だったのかもしれませんが虐めを初め、周囲も私個人がどうこうなどではなく「アイツは虐めて良い奴なんだ」といった雰囲気で加担し始め、ずっと虐められていました。〇〇菌が伝染るぞ!だとか、下校時に傘でだ叩かれたりだとか、ひそひそと聞こえるか聞こえないかの小声で悪口を言うだとか。私の学校はクラス替えが無かったものですから、ずっとそんな環境に身を置いていました。
そんな日々を過ごしていたから、自分は周囲にとって要らない人間なんだと幼心に思ったんだと思います。でもそうでないと言って欲しくて、多分小学校2年にあがるかあがらないかの頃だったか、母に「私はいない方が良いの?」と問いかけたことを今でも覚えています。母の反応は「そうだね」でした。今でこそ思うのですが、母は”母親”というものに本当に向いていない人で、甘やかされた子供のまま大人になったような人で、だからこの時もきっと偶々子供に居て欲しくない気持ちでこう答えたのだろうと思います。でも何処にも居場所が無いと縋った当時の私には十分過ぎる程残酷な答えでした。大人になってからきっとあれはこういう意図だったのだろうと納得しようとしても、自分は誰からも必要とされない居ない方が良い人間なんだという意識がずっと消えません。それに、悩みを打ち明けるのも億劫になってしまいました。億劫というか、打ち明けたところでどうしようもないんだな、という諦念かもしれません。
嫌われて、居ない方がいいと思われて、だったら生まれてきたことから無かったことにして消えてしまいたいなぁとずっと思っています。死にたいと言うよりも消えたいのです。でもそんな方法は無いし、死んだらその後の対応やらなんやらで生きていても死んでも迷惑がかかるし、方法がないからぼんやりと生きているような人生です。
そんな中、仕事で上司からとあることが切っ掛けで怒られることがありました。怒られるというか、詰められるというか。自分の対応に悪い所は確かにありました。でも一連の流れがあって、それを説明しようとしても「でも〇〇だよね??」と言葉を遮って何度も何度も言われて。自分の存在をまるっと無視されたような感覚が襲いかかってきて、想像以上に自分は自分を不要とされるのがトラウマなんだとぼんやりと気付いて、涙が止まらなくなりました。家に帰ってからも、止めたくても止められなくて。
病院に行った方がいいと分かっていても、どう行けばいいのかも何を話せばいいのかもお前の悩みなど取るに足らないと言われるのかもという怯えもあって、今日も足を運べずにいます。きっとこの先も、結局何をする勇気も死ぬ勇気も出ないまま、寝て覚めてを一生繰り返すのだと思うと、誰かこの人生を無理矢理にでも終わらせてくれと思います。眠ったらずっと目が覚めなければいいのにと、何度も何度も願っています。どんなに楽しいことがあったとしても、先に待っていたとしても、消えたい”今”を救ってくれるものが何もないのです。生き続けるだけの理由には到底なり得ないのです。
きっと何もしないで生きていけるのだとしても植え付けられた自分は居ない方が良い存在なのだという気持ちはきっと消えることがないんだろうと思います。こんな気持ちを抱えながら生きていくだけでしんどいのに、生きていく為に必要なことは多すぎて、それによるストレスもつらさも多くて 他の人はどうやってこの世界を生きているんだろうなんて考えたりもします。自分が人として出来損ないだからこんなに生きづらいのかな。最近は昔楽しいと思えたことも楽しめなくなって、考える力もどんどん落ちていて、死ぬしかないのかなぁなんて思うくせに死ぬこともできず 惰性で生き続けています。臆病者。

感想1

傷つけられたり、前に受けた傷に塩を塗られたり…そんなふうにじくじくと痛む心を必死に繋ぎ留めながら生きてきたようなイメージが浮かびました。庇いきれない傷も、そこに生じる疑問や不安、悲しみも数えきれないほどあったのだと思うのですが、それを出す術も場もなくて自力で対処するしかなかったのではないでしょうか。そうした反芻と思考の繰り返しによって、今回書いてくれたようなリアルな手触りのある文章が出来上がったのかなと感じながら、今もまた読み返しながら、感想を書いています。

一番目に留まったのは、「自分の存在をまるっと無視されたような感覚」という言葉でした。自分にとって唯一の存在である「自分」が、身近な(自分に手の届く、親しみのある)他者から見た「誰か」でしかないような感覚は、「自分」という存在の確かさを失わせ、他者との関係に身を置く行為を恐ろしくさせるものだと思います。
「自分は必要ないんだ」という感覚が放つ呪いのような息苦しさは、ふとしたきっかけですぐに顔を出し、長く長く自分に居座るようなものだと思います。私自身も親との関係性のなかでそうした自覚を抱き、大人になって和解のような状態を経てもなお、その感覚に一瞬で引き戻されます。考えてみれば、今も仕事の選び方、対人関係における信頼の作り方、自分に関するさまざまな判断に対して「自分の価値」という基準が大きな比重を占めているような気もしています。そのくらい、どんな状況や理屈を並べても抗えないのが「否定」の感覚だと感じています。一緒に生きていくのはあまりにもしんどいですが、「なくす」以外の対処法って何かないのだろうか…少しずつでも和らげることができるものなんだろうか…と考える人生です。

投稿者さんはご自身の感覚や人生を「惰性」だと表現していました。「惰性」とは「意識的な決定をせず、これまでの習慣や癖に流され続けてしまう」というような意味らしいのですが、私からすれば投稿者さんは本来抱えなくて良いはずの習慣や思考の癖、感覚をたくさん背負わされていて、望んでいないのにそれがデフォルトにさせられているような印象を受けました。逃れる方法やエネルギーも見つからない中で苦しみ続けていたら、消えたい、という気持ちを抱くことは無理もないことだとも思います。だからこそ、消えたいという思いは「死ぬか生きるか」という勇気の話ではきっとないはずなのに、それをあなたに迫るような社会に対して、とても悔しい気持ちになりました。

細やかで丁寧な表現で心の動きや暮らしの感覚を伝えてもらい、ありがとうございました。勝手ながら他人事と思えない部分が多く…うまく感想を書ききれずにすみません。よければまたお待ちしています。

感想2

自分の言い分を聞いてもらえないまま、怒られ詰め寄られるのはパワハラに近い理不尽さを兼ね備えているとわたしは思います。その状況は誰でもストレスの負荷が大きいシチュエーションだと思うのですが、あなたにとって自分の過去の経験や感情を引き出されることでもあったとすると、精神的な負荷が人一倍大きいことでもあったろうなと感じます。

一方で、涙が止まらないほどにあなたが「自分を不要とされるのがトラウマなんだとぼんやりと気付いた」ことはとても大切な気づきでもあるんではないかなと思いました。これまで、不要に思われないように周囲に気を遣い、一生懸命何事もこなされてきたのではないかなとも想像します。

あなたの中で不要という言葉に対して敏感になる気持ちが育ったきっかけは、幼少期のいじめや、母親さんを含む家庭環境にあることも「ぼんやり気づいた」の中に含まれているように感じています。「母は甘やかされた子供のまま大人になったような人と、今でこそそう思える」に至るまでも、本当に様々な苦労や複雑な思いを抱えてこられただろうとも思います。とりわけ母親さんに対しては必要と思われたいと母親さんの喜ぶことを無意識に探し、「いい子でいること」などを自然と身につけたりもしたのではないかなと想像しました。もしかしたら、あなたが自分はいない方がいいのかどうか親御さんに問いかける前から「必要とされていない」と感じるような態度を幼なながら受け取っていたこともあったかもしれません。

親御さんの残酷な答えを思っても、いじめのことを相談できる関係があなたと親御さんの間にあっただろうかと考えると、なかなかできなかったり、できても真剣に取り合え使ってもらえなかったり、返って傷ついてしまう、そんな経験をしてたのかもしれません。そうした中で、悩みを相談するということのハードルがあなたの中で高くなり誰にも心を開けないまま、ずっと一人で悩みを抱え、消えたい気持ちを抱えながら自分をふるい立たせてきたりもしたのではないかなとも思いました。

もしもここまで何の支援や専門的な窓口につながらずに、ご自分でここまでやってこられたのだとしたら、あなたの気づく力や実行力、言語化する力はとても高いのではないかなと感じています。一方で力があるからこそ、ここまで一人で抱えてこれてしまったのかなあとも。

楽しいと思えない、考える力もどんどん落ちているその様子から、鬱っぽくもなっているかもしれませんね。食事や睡眠は十分取れているだろうかともそんなことの心配もしています。相談できそうな先で話すことが難しければ、このままの文章を見せてもいいように思いましたが、あなたとしてはどうでしょうかね。書き出してくださった文章を、あなたの経験と本音が整理されているものとしてお守りのようにしていてほしいと思います。

必要とされない場所で過ごしたり働いたりすることは誰でも難しく、力を奪われて当然のことだと思います。トラウマをトラウマで終わらせず、人に話したという経験と力に変えながら、あなたがあなたを必要とできる人生を取り戻せないだろうか。そのために一緒に考えたいという気持ちでいます。

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