こうあるべき、というのはわかるけど、それができないからこそのつらさがあるとおもって、自分と向き合うことや、付き合って生きていくことがこわい。
わたしは自分のことが肯定できなくて過去の自分を救いたいのかも、とおもう。
その一方で、自分を大事にできないところもある。
つらくてつらくて泣いてたらこのサイトを見つけて、他の方の経験談をみて、落ち着けたから、自分もなにか、だれかの気休めになれたらと思う。
生い立ちの話と、最近困っていることを書きたい。
小さい頃の私は運動はできないけど活発で、よく喋る子だった。新しい遊びを思いついて、友達といっしょに流行らせたり、絵を描いたり、工作をするのも得意。でも人見知り。
小学校に入って、母が入院し、2年ほどたって亡くなった。まわりに母が家にいないことや、死んでしまったことをいえなかった。ときに、他の子とおなじように母がいるようにふるまった。母が亡くなって、妹と父と、三人の家族になった。他の親戚からは孤立して、家族ぐるみの付き合いとか、そういうものからも離れた。
母が危篤になる少し前、家族で仲良くしていたお友達に、私がそのこをいじめたのだといいふらされた。ほんとは、そのこがいうようなことを私はやってなくて、たぶん他の子がやっていた。でも、先生は気づいてくれなかったし、反論もできなかった。「相手の子のお家にはお母さんがいるから、それがうらやましかったのよね、あなたは大人っぽく振る舞って、我慢するけど、そんなことしなくていいんだよ」と抱き絞められた。涙が出た。本当は違うって言いたかったけど、先生が私のことを思いやる気持ちも偽物ではないとおもった。そのあと、母は死んで、私とその友達は二度と喋らなかった。
母のお葬式で大人が静かに、わからないように、でもたしかに揉めているところをみて、悲しかった。母の死は、母のものだけではなくなってしまったのだと思った。
お葬式では、私も嫌な思いをした。
それでも小学校の時の私は、男の子でも女の子でも、誰とでも仲良くできて、特定のグループには入ってないけど、いつも誰かからたくさん誘われるような、すてきな人だった。誰とでも分け隔てなく接することができることが自慢だった。
中学受験をして、頑張っていい学校に入った。塾で私を虐めてきた人が志望していたから、負けたくなくてそこを目指した。結果その人と私だけが受かった。中学1年生の二学期から、学校にいけなくなった。気持ちが悪くて起きられなかった。そのあと、体調が良くなってからも、学校にいくのがしんどくて、ここは自分の居場所ではないと感じていた。夏ごろになると毎年調子が悪かった。でも、友達や先生たちは優しくて、助けようとしてくれて、だから私も学校に行きたかった。
父は、私を学校に送るために、仕事を辞めて非常勤になった。それでも私は学校へいくのがつらくて、いけなかった。
たくさん怒鳴られたり、とっくみあいにもなったし、こわかった。大切なものをこわされたりして、どうして、とおもったこともあった。夜中、トイレにこもったり、家にいられなくて飛び出したり、でも外で補導されたらと思うと恐ろしかった。マンションの非常階段をのぼりおりして、腰掛けて、簡単なパズルゲームをやって時間をつぶしたこともあった。周りの友達には、何もいえなかった。
中高一貫校だったので、高校へはそのまま進学した。
学校には全然いけなかった。混ざるなら高1が良い機会だったから、はじめは頑張ったけど、また夏頃から無理になった。ずっと保健室にいた。学校の行事を楽しいと思ったことはなくて、ずっと居心地が悪かった。他の人と同じような経験をしてなくて、共有できる思い出もなくて、出席や勉強も頑張ってないのに単位を取って進級していることを後ろめたく感じていた。
このころは、ここにいてはいけないきがしていた。生きていきたいとおもってたけど、どうしたらいいかわからなかった。
実家は、妹もごたついていて、例えばリストカットをしたり行方不明になったり、お金を盗んだなんだってことあるごとに家中大騒ぎをした。私は、妹がこんなふうになったのは私が道を踏み外したからだと言われることもあった。妹は、私を模範に生きてきたのに、それを急に失ったから。そのとおりなのかもしれないと思って、つらかった。私は妹の母親代わりでもあった。
2年生くらいから、高校を卒業したあとは、死んでしまおうと思うようになった。どうせ終わりが近いなら、好きなことをしたり、少し頑張ってみようと思った。
おかげで、いまも中高のときの友達数名や先生とは連絡を取って会える仲だ。
3年生では、受験もした。どこもいくところはないとおもってたけど、受かることもできた。でも、そこではじめて、人よりがんばらなかったこのうしろめたさを、解消できる機会は今しかないんじゃないかと思った。浪人をして、1年間勉強をしてみて、真剣に大学へ行く意味とか、何をしたいか考えて、自分なりにスタートラインに立ちたかった
中高の6年間で塾にも通っていなかったので、その分をまとめて使うのだ、として、1年間予備校と寮の費用を出してもらった。
私は、夏頃まではがむしゃらに頑張った。とにかくがんばったのに、秋以降思ったよりも成果がでなくてつらくなったこともあった。
共通テストでは、全然失敗してしまった。けど、結果的には良いところに収まれた、と思う。
その間で、私は困っている人の支えになりたい。という思いを強くした。同時に、自分の居心地の悪さ(生きづらさと言えるのかもしれない)の理由を知りたいと考えた。心理学を学ぼう。人を支援できる人を目指そう、とおもった。取りたい資格が見つかったので、その資格を取るために私は大学へ行くのだ。この浪人期間や、費用はそのためにあるのだ。と思うようになった。
大学に入ってからの私は、他の人と遜色ないくらい、普通の大学生だった。教授や友達にも取りたい資格のことを言って、自分のこれまでの人生のことは言わなかった。言わなくても、関係ないくらい普通に、いろんなことを頑張ることができたからだ。わたしはふつうに、しっかりしていて、真面目で、お世話好きで、にこにこしてて、話しやすくて、ときにうっかりしていて、ただのかわいらしい大学生だった。
でも、大学三回生の秋になって、志していた資格取得の道が断たれてしまった。資格をとるために、取らなければならない授業に定員があり、その選考に落ちてしまったからだ。わたしは、定員があることにも、その選考の方法も、何がどのように得点化されてどのように検討されているかが明かされていないことも、それがすべて非公開のうちに行われることも、志望理由を書くことができないことも、何にも納得がいかなかった。教務に話を聞くと、これまでの年では、志望者数が定員を超えることがなかったから、成績が悪い人でもとれていたとのことで、ますますつらく、受け入れられなかった。同時に、少しでも成績を上げるためになぜバイトをもっと減らさなかったんだろうとか、課外活動なんてやったんだろうとか、自分のことも許せなかった。教務から、教授会へ救済措置を検討するよう促してもらえることになった。私なりに頑張って、何名かの教授へ直接お話をしにいったりもした。けど、だめだった。理由は、救済措置を講じては、選考をやった意味がないからということだった。教務の人から口でそう伝えられた。わたしはそのときに、自分の今までの歩みや考えてきたこと、努力に対して「意味がない」と否定されたようなきもちになってしまった。私は、自分のことを肯定できないままの自分で、これから生きていくのかと思うと、途方に暮れるようなきもちになった。
カリキュラムがあるから、と今の大学を選んだのに、将来の選択肢をここで絶たれてしまうことに、絶望した。
それから、ずっとつらくて、ご飯が食べられないとか、寝れないとか集中できないとか、学校の教授のことや、他の知人のことも、どうしてもいやで、しんどかった。死にたい気持ちと死にたくない気持ちの間で葛藤した。
元々、資格のために進学するつもりだったから、ろくに就活をしてない状態で、気持ちもぼろぼろで、秋に放り出された。
心理学や、対人支援に関する進路のことは忘れると決めた。考えると、どうしょうもなくつらくなるからだ。それでもなかなか思うように動けず、なんとかバイトへ行ったり、残りの単位を取りきるために学校へ行ったりすることに必死だった。
いまは、4回生の春だ。就活も解禁されて、就職支援課の予約を取って、通いながらほそぼそと何とかESを提出してみたりしている。
色々な人に話を聞いてみて、問いあわせてみて、やっぱりどうしても、もう受験資格を得ることができないことがわかった。こういうことが、他の大学でも起きていて、諦めきれない人は留年をしていることも分かった。私は、自分の大学だけじゃなくて、もっと大きな構造の問題なんだと思った。
きっといつか、見直されるものだろうけど、そのとき、自分が救われるかは分からないし、もう意欲もないかもしれない。
大学はその他の救済措置や代替案について、「前例がないから」と後ろ向きだ。
今までこの科目に定員を超える応募はなく、選考も行われず、成績が悪い人や単位を落としている人もとっていたから、前例はないのだ。私のときは、運が悪かった。たぶん、10人以上は落選している。
もしここで、私が救われなくても、制度を検討する必要性を教授がわかってくれたら、いつかこうして苦しむ人を、少しでも助けられないだろうか、と思う。
親には、恵まれた環境にいたのに、覚悟が足りなかった。資格にばかり固執して、それをとったあと何をしたいのか、具体的に考えられていなかったことが、命運を分けたのだとか、時間がないのに、だめだとわかったときなぜはやく次の道を具体的に考えて動かなかったのか、とにかく、こうするべきなのに、こうしなきゃいけなかったのに、なぜ、ということをたくさん言われた。数年後どうありたいか、考えて決めるべきだ、ただなんとなく何でもいいから企業に就職したとして、その先は?と。
わたしはほんとうに何もやりたくなくて、自分の将来とか、やりたいこととか、自分ができること、やってきたことについて考えるのが辛くて、苦しい。
自分の過去を、肯定できないまま生きていくことが途方もなくて、つらいきもちになる。
どうにもならないことは忘れて、やりたいことを明確にして、それにいちばん合う道を考える必要があるのはわかっている。
資格を取れないかもしれないリスクのことだって、別にわかっていた。わかってたから、就活につかえるような、いろいろなバイトや課外活動、研修を経験したりして、自分ができることを考えてきたはずなのに。きり替えて、次にいきたいのはわたしがいちばんなのに。
感想1
投稿を読みました。人生の中でさまざまな大変さや苦しさを感じ、ある種の正攻法ではうまくいかない状態も何度もあったのだろうと思いました。お母さんを亡くした経験の中でも、あなたは早くから個別の体験としてだけでなく、社会構造の中に違和感をもってきたのかなと思いました。(もちろん、後から思い返してそのように整理されたという部分もあると思いますが。)それはあなたの置かれた環境と、あなた自身の感受性や思考力などが組み合わされてのことのように思いました。
その中で、心理学を学ぼうと決めたことや、資格取得が思わぬ要因で阻まれてしまったときの行動などを読み、この言葉が適切かはわからないのですが、問題に対処し立ち向かうスタイルの行動ができる人なのだとも感じました。もちろんなにか優劣を決めたいわけではないのですが、私はわりと諦めが早く対処=逃げるになりやすいタイプなのもあり、ハッとするような気持ちになったのでした。また、実際そういうふうに行動を過去に起こしてきた人たちによって、私たちの権利や保障はすこしずつ確保されてきた歴史があると思います。ただ、頑張っても手応えのない、どうにもならない中では苦しくなるのも無理はないと思います。
すこしずれた話かもしれませんが、最近、私の友人が障害年金の申請をしようとしているそうで、話を聞いているとそれがとてもむずかしいものだと改めて感じ、「なにかを証明する」ということが、勝手な基準で決められて線引きされることの暴力を感じていたところでした。
たとえばその申請要件のむずかしさや不平等さ(対象になる病気とならない病気があり、それが生活の困難さを考えると不均衡なこと)、診断書を得るために過去の病院に何度も電話をしなければいけなかったり、古いカルテから情報を正しく書いてもらうのがむずかしかったり、過去の病状を思い出して書くことの大変さがあったり……さまざまレベルでの困難があるようです。年金機構の障害年金についての不正のニュースもあり、社会保障のはずなのになぜこんなにも不平等なのだろうとくやしい気持ちになります。ほかにも、日本の医学部入試の女性差別の問題は2018年にはじめて報道されましたが、まだ遠い過去ではありません。
もちろん、証明すべてを不要とは思いませんし、運用には労力がかかるのだから、すべて個別に対応仕切れないのも事実なのかなと想像します。ただ、それが公平さよりも運用コストや運用側の都合に偏りすぎていることも少なくないように思います。そういう構造に目を向けながら声を上げることはとても大切だと私は思います。
ただそういうマクロな視点と別に、あなた自身の生活や今後、就活などのプレッシャーの中で、あなた自身の苦しさや無力感がふくらんでしまう状況があるのかなと思います。私自身は中学も高校も大学も不登校ぎみで、新卒就活もせずにアルバイト先にそのまま就職したのですが、ずっと病んでいたし、進路とか就職とか考えるとさらに追いつめられるので、極力目を背けてきた気がします。その後もたくさん転職をしているのですが、いまはNPOで働いているけれど、最初は全然違う業界で一貫性も全然ありません。そういう人からみると、就活で求められる「やりたいこと」ってそんなに必要なの?とも思います。また知人の中でも一度大学を辞めて他の大学に行きなおした人とか、いろんな人がいて、資格も絶対に閉ざされたわけではないのかなとも思ったりもします。なんならいっそ一度休んで全然別のことをしてもいいのかもしれないし。なんて、さまざまな制約もあるだろうと思いつつ、勝手なことを言っているだけですが……。不登校時のことや、就職についてのあなたの親の言葉を読むと、あなたの親はあなたのことを思っているとしても、あなたの動き方や考え方に合うアドバイスができるというわけでもないのかなと思いました。親子でもそういうミスマッチは少なくないように思います。
あなたにとってなにが正解か、なにをすべきかは私にもわからないし、案外死ぬまでだれにもわからないかもしれませんが、なにが不正解ということもないのかなと思ったりします。あなたのつらさや悔しさをケアするような時間も、きっと必要なのかなと思ったりします。
この投稿も、あなたの感じてきたことを整理するように書かれたのかなと想像していました。死にトリに経験談を送ってくれてありがとうございます。それから数週間、いまあなたはどんなふうに感じているのかなと気になっています。できたら、私はまたあなたと言葉を交わしたいです。気が向いたときにでもアクセスしてください。