人と上手くやっていくことが出来ない。だから支援員さんから「もう1人の方が…」と言われて今の会社に入った。四年目の今でも、出来ない自分に腹が立って仕方ない。元々、不登校児で引きこもり。前の会社では「外に出さないから💢」と親まで否定された。現在、障害者雇用でちゃんと仕事が出来てはいるけど、1人の現場。つまらないし大変だし周りと比べてしまう瞬間もある。自分は自分なんだけど。今の会社はみんな自分に気を使ってくれる。それはそれでいいことだけど悲しくも惨めさも出てくる。40歳を過ぎて子供じみてるとは思うけど、自分より半分しか生きてない人たちから気を使われる毎日。そんな現状にイライラもしてしまう。ちゃんと仕事が出来て、1人で生活もしているけど、自然と泣けてしまうんだ。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
1人
感想2
苦しさや悲しさ、憤りなどの感情は、願いと実状のギャップの中に生まれやすいように思います。願いも本当に人それぞれで、たとえば一人でいるのがよくて人と関わりたい気持ちがない人であれば、あなたのいるような状況にいても気にならなかったかもしれない。そう考えると、あなたはきっと、苦手意識を感じながらも人ともっと関わりたいという願いを抱いて生きてきた人なのだろうなと思いました。
人と関わると言っても、かなりさまざまなレベルや質や形がある気がします。私はリモートワークが多いのでだれともリアルに会うことなく一日を終えることもあり、コンビニで会計のときに言葉を交わすことが貴重と感じる日もありますし、SNSでだれかにリプライをするでもないけど他者の存在を感じて安心することもあります。一方では毎日同じ職場にいても挨拶だけとか、人間関係での疲弊とか、いろいろあるなと思います。あなたにとっての関わりたい気持ちは、どんなイメージのものなのかなと思いました。ちなみに私は寂しさを感じて動物を飼いたいと思ったり、世話をする自信がないからペットロボットを検索したりすることがあります。(でも高いので諦めます……。)私自身も100%満足はなかなかむずかしいかもですが、他者とどう関われるか、諦めつつも模索中なので、あなたの感じていることをもうすこし聞いてみたい気持ちになりました。
感想1
気遣いと距離感について考えながら読みました。自分から人に関わる時、人が自分に関わってくる時、相手を傷つけたり不快にさせたりしないようにと考えることは「配慮」や「気遣い」とよばれるものかもしれません。一方で仕事上の関係など、相手とよく知り合う機会もないままのそれらは「遠慮」となり、そのまま距離の遠さや孤独感に繋がっていくのかなと想像しました。
個人的に、自分がむやみに傷ついたり消耗したりしないための生き方をすることは、翻って必要以上の余白や虚しさを連れてくることがあるなあと感じています。ただできれば、日々の暮らしを成り立たせる難しさを引き受けていることを、まずは自分に認めたいとも思っています。