経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

壊れている基準

私は注意欠陥症を抱えて生まれて、言ってしまえば人間のなり損ないでした。
小学低学年の頃は、まだ何も知らなかった時で、外で遊ぶのが大好きで少し変な正義感があるような子供でした。いじめを放っては置けず、相手が男でも女でも集団でも、手を引いて連れ出して逃していました。まぁ当然そんな奴他の子からしたらヒーロー気取りの偽善者で気持ち悪いし、よく思われなかったのでしょう。私は忘れ物が多い事も相まって、私がいじめの標的になりました。根拠もない噂、陰湿な陰口、特に出席番号が隣の男の子とは反りが合わなくて、席が近くなったときは授業中永遠としねとかきもいとか意味の分からない悪口を永遠と言われていましたし、席が遠くても、配られた物は私のものだけ欠損があったりもしました。そいつは何故かムードメーカーでもあったのでクラスの殆どは私を遠巻きにしていたし、嘲笑っていたし助けた子も巻き込まれたくないのか私に近づかなくなりました。挙げ句の果てにはタチの悪いいじめることが好きな上級生にも話を回されていて、帰り道に上級生男二人に追いかけ回されたり、階段から落とされそうになったこともありました。そんな理不尽に当然私は泣いていたし、母にも相談しました。でもその頃の母は他のことで手一杯で、毎日悲しい事があったと話してくる私にうんざりだったのか、「あんたにも悪いところがあるんじゃない?」とか、「もっと大変な子はいる。」、「学校行きたくないとか言ったら捨てるから」など、悲しい事を言われました。…母は普段色々やってくれて優しいですが、沢山の事をやり過ぎる癖もあるので、そのストレスが溜まると無意識に長女である私に吐き捨てるような事を言うこともありました。後々なると、母はそう言ったことを忘れてしまいます。本人も自覚があるのか、「いつの間にか貴方達を傷つけてると思う。」と謝っていました。母は…悪い人ではないんです。父はわがままな人で、私や弟がお腹に出来たときも身重の母をささえる事なんてなかったくせに、一人は寂しいからと母に甘えてばかり。そんな環境も相まって母は1型の糖尿病を患っている中で、注意欠陥症の長女と、ADHDで軽いアスペルガー持ちの弟を育てながら仕事をしていれば、ストレスが溜まらない方がおかしい状況。だから私は、「学校とは子供にとって大切な学び舎というのは結局綺麗事で、その実身の程知らずに現実を突き付けるための場所なんだ」と諦めて、それから母の前ではいじめの話はしなくなりました。(父が借金作ったりすぐ仕事やめるような環境で子供作んなよとは思わなくもないですが)
私は、母にも同級生にも信頼していた先生にも言われた「貴方のせいだ」は呪いになりました。小学中学年で注意欠陥症だと診断されたことで、他人だけでなく自分も何もかもが信じられなくなり、せめて迷惑をかけたくなくて必死に機嫌を伺うようになりました。毎日笑顔で、大丈夫は口癖。繕った笑顔を崩す恐れのある暗い感情は、外に出ないよう心の中で物理的に殺すイメージを思い浮かべながら徹底的に殺していきました。こうしないと学校に通える気がしなかったし、別に中学年一年生の時から将来なんて自分の墓代や葬儀代くらいは稼ごうくらいしか考える余裕がなかったし、「生きたい」という人達の気持ちは理解出来なかったので、自分がどうなろうと構いませんでした。空っぽの学生生活のお陰で、大人なって就職する頃には、仕事場では人の機嫌が良く読める「仕事ができる人」という外面が出来ていました。自分のケアのしかたなんて分からないので私生活はボロボロでしたが、私的には死ぬための墓代のために働いていただけなので、私としては十分な環境でした。でも、ボロボロになる過程で出来た私の中のいる、私の変わりに私を気づかい、私を愛する為の人格の「S」はそうではありませんでした。理不尽ばかりの職場で本格的に壊れ始めた私をどうにかしようと、Sは母に電話で私のふりをしながら状況を伝え、正しさを重んじる母により、仕事を辞め実家に戻ることになりました。でもそれだけ。今のうちに将来のために自動車免許を取りなさい。社会復興しやすいためにバイトをしなさい。少し休める時間が増えたとはいえ、ボロボロのままの私がそれをこなす為に睡眠を昼でも取るようになれば、少しは気分転換に行って健康的な生活をしろ。頭の中がぐちゃぐちゃになり、リスカの変わりに髪の毛を切れば、脅されてる気分になるから。貴方がいることで疲れる。甘えるな。など、少し暗いことをすれば真面目な気持ちで呆れられ、果てにはいつか余所の引きこもりのように私が暴力を振るうんじゃないかと疑われるようにもなりました。迷惑をかけているのは分かりますが、母が自分の判断で連れ帰ったのに、そう言われるのは絶望以外の何物でもありませんでした。結局今でも死ぬために毎日機嫌を損ねないようおどけて、笑っています。一度自殺失敗して、結局帰った時も、もう癖なのか簡単に誤魔化せてしまいました。
壊れた基準ってなんなんでしょう。心の中では、今まで私が殺した私の血で海になっています。一人になれば、ちょっとした異食をすることもあります。確かに苦しいことがあった気がするのに、その内容を思い出せないことも増えました。でも、人前では笑えています。世間一般では笑うことすら出来なくなった人を壊れたと言ってますよね。でも、今の私は、本当に壊れてないんでしょうか。

感想1

こんにちは。私もADHDの診断があり、どうにもうまく生きられない中で、人間になりたいけどなれない怪物だという感覚がずっとあります。また私の親もちょっと独特なところがあり、いろいろとトラブルを抱えていたため、私は家でも学校でもしんどさを感じてきたなぁと思っています。そんなこともあり、なんだか他人事ではない気持ちになりながらあなたの投稿を読みました。
一見問題ないように見せる術を、あなたの持てる力をかき集めて磨いて、それでなんとか学校と家での状況を生き延びてきたのだと思います。それは努力に努力を、我慢に我慢を重ねるようなことだっただろうと思います。また、おそらくそれはいわゆる「過剰適応」の状態なのだと思うのですが、そうは言ってもそれをしないことにはどうにもならない状況に置かれてしまうことはあると、自分の体験からも思います。私も希死念慮でいっぱいでも、とまる足を無理に動かして仕事に行き、人前に出たら笑える、だから大丈夫って自分を洗脳していた時期が私にはあるため、笑えるから大丈夫ってわけないよ!めちゃくちゃしんどい状況だと思って間違ってないよ……!とかつての自分と、あなたに言いたい気持ちになりました。心と体はつながっていて、壊れたり、治ったりを繰り返している感じがします。それはもう永久に壊れているということではないけれど、苦しくて壊れてしまったという感覚を無かったことにしなくてもいいと私は思いました。

発達障害、神経発達症というような言い方で呼ばれる性質は、要するにマイノリティだということだと私は思っています。私は大人になってから、むしろ定型発達と呼ばれる人たちの特性ってどんなものなのだろうと観察しているのですが、それはどちらがいい悪いとかではなく、単に習性や認知のあり方が違うということだと私は結論づけています。(二ューロダイバーシティという言葉も最近よく耳にするようになりました)私自身ADHDだけでなく、生きてきた中でのトラウマによるしんどさも積み重なって今があるので、脳の性質の話だけにさくっと整理できるものでないことは感じるのですが……。すくなくとも、あなたが悪いとかあなたが間違ってるわけではないと私は強く言いたいです。

あなたも、別人格のSさんも、たいへんなサバイバルをしてきたと感じます。母親さんも「正しさを重んじる」とあり、個別具体的なあなた自身の状況に理解を寄せてくれるわけではないのかな……と思うと、助けを求めても苦しみが募ることもありそうです。リスカも髪を切るのも時には必要なことで、親や周りを気にする必要はないと個人的には思います。あなたのあなたなりの生存戦略を否定されてしまっているようで、母親さんとのやりとりを見て、やりきれない気持ちでいます。いまも同じところに住んでいるのでしょうか。病院や医師などもなかなか信頼できるわけではない場合もあるかもしれませんが、どこかあなたが脅かされずに過ごせる場所はないのだろうか……とぐるぐると考えていました。

そういえば、さっき心が壊れるような感覚について書いていましたが、それは「人として」壊れたみたいなことでもないと私は思っています。世間は勝手なことを言って、勝手に決めつけてくることがあるから、「壊れた人」みたいに言うことがあるのかもしれないけれど、そして私も「人間になれない」って感覚をいまも持っている部分があるけれど、どんなふうであっても人間だとも、私は一方で思っています。『人間の条件(そんなものない)』という本があり、私はその本がとても好きなのですが、このカッコ部分も含めたタイトルどおり、人間の条件なんてものはないと思います。無理に合わせて笑うときも、死にたくても、こうやってオンラインで言葉を交わしているときも、どのときも、人間のなり損ないなんてことはないのだと思いました。そんなのも言葉遊びのようであり、綺麗事かもしれませんが、私はあわい仲間意識のようなものを感じて、押し付けがましいばかりかもしれませんが、あなたにそのことを伝えたくなったのでした。あなたの言葉を届けてくれてありがとうございます。あなたの感性や正義や心のありよう、あなたのあり方がひとつも否定されない空間が現実世界にあってほしいし、なんなら今苦しんでいるだれにとっても、そんな空間を巨大に生成したいと妄想しながら、その力はないなりに、できることを考えたいと思っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。あなたの文章を読みながら、“壊れているかどうか”という問いそのものが、どこか外から与えられた基準に縛られているようにも私は感じました。笑えているかどうか、人前で普通に振る舞えているかどうか、それを軸に「大丈夫かどうか」を測ろうとする視線が、ずっと周囲にも自分の中にもあったのではないかなと想像しています。
人前で笑えること、周囲の機嫌を読めること、家でおどけて見せられること…それらは一見すると“まだ大丈夫”と見えるかもしれませんが、自分の中で何かが壊れていく感覚はありながらも生き延びるために身につけた術のように私には映りました。
小さい頃の正義感や、いじめられている子を助けようとしたことは、本来なら責められるようなものではなかったはずだと私は思います。でも、その行動が周囲から浮く理由になり、忘れ物の多さや発達特性も重なって、標的にされてしまった…そのときに受けた「あなたにも悪いところがある」という言葉は、ただ放たれた一言ではなく、世界の見え方を変えてしまう呪いにもなったように私は感じました。助けてほしかった場面で、自分のせいにされる経験が重なると、人は他人だけでなく、自分の感覚さえ信じられなくなっていくことを、私自身も経験して思うことです。その時に生まれた「自分のせいだ」という感覚が、そのままずっと今もあなたの中に深く影を落としているようにも思えました。そこから、あなたが周りに迷惑をかけないようにと身に着けてきた術は気遣いというより、「そうしないと居場所がなくなる」という前提の中で身についたもののように感じます。感情を内側で殺すイメージも、かなり切実な対処の仕方だったのだと私は思いますし、自分の中に生まれた別の存在についても印象的でした。自分を気遣い、自分を守ろうとするもう一つの視点が生まれたことは、これまで取り巻いてきた環境を考えると自然なことのようにも私は思えます。それだけ追い詰められていたからこそ、外側ではなく内側に支えを作るしかなかったのかもしれません。ただ、それが必要になる状況自体が、かなり厳しいものだったということをその時身近であなたのSOSに気づいてくれたり、気持ちを受け止めてくれる人がいてくれたらもう少し違ったかもしれないな…なんて今私がそう思ってもどうしようもないことかもしれませんがどうしても思ってしまうのでした。
お母さんとの関係も、一言で説明できるものではないように感じました。お母さんにも背景や事情があって、一方で余裕がなくなったときに出てしまう言葉や態度もあって、その両方を同時に受け取らなければならなかったのではないでしょうか。「悪い人ではない」という理解と、「それでも傷つく」という感覚がうまく整理しきれないまま残っているようにも感じます。ただ、“理解をする”ことと“自分の傷つきを許容する”ことは別物であること、どんな理由や事情であれ、あなたがその時心に受けたダメージは確かで、それはあなたが悪いわけではないと私は思うということをお伝えしたいです。
世間で言われる「壊れる」は、外から見て分かりやすい状態を指すことが多いですが、内面で起きていることはもっと曖昧で、人によって全く違う形をしているのだと私は思います、笑えていることと、苦しくないことが一致するわけでもないですし、むしろ両立してしまうこともあるのだと思います。あなたの中にある「苦しかったはずなのに思い出せない」という感覚や、「自分を殺してきた」という表現からは、かなり長い間、無理を重ねてきた様子が伝わってきました。「壊れていないから大丈夫」と簡単に言えるものでも、「完全に壊れている」と決めつけられるものでもないなと私は思います。ただ、こうして経験談を送ってくれたことは今の自分の状態をどうにか捉えようとしている証のようにも私は勝手ながらではあるのですがそう受け取っていて、最後に書かれていた問いはすぐ答えが出るものでもないとは思いますが、「壊れているかどうか」だけで切り分けず、少なくとも、これまでの経験の中でそうなっていった経緯は、きちんと理由のあるものですし、こうやって言葉を交わしていく中で少しずつ見えてくるものもあるのかなと感じました。また必要に感じた時は、いつでもあなたの感じているままの声を死にトリに届けてもらえたらなと思っています。

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