経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
周りから見たら恵まれているように見えても、孤独を感じた経験はあるだろうか。私は人生で何度も体感してきた。中学校では2人1組を3人で組んだ生徒のせいで私が余る結果になったり、保健室の先生に相談してもうまく取り扱ってくれなかったりしたことがある。また私自身の特性上、コミュニケーションが苦手な一面がありそれが様々な場面において更に孤独を助長させているような気がした。
『五つのケーキを五人で分けるとする。誰か一人が欲張って2つケーキを食べてしまった。それにより誰か一人がケーキを一つも食べられなくなってしまった。
欲張って他人の分のケーキも食べた者も悪いと思うが、それを注意しなかった周りも大概だと思う。』
これは私が考えた2人1組の場面で3人になる人がいて、誰かが余るという状況への例えだが、孤独を助長させているのは加害者本人だけではなく、その傍観者も被害者の孤独を助長させているのではないだろうか。
高校では保健室の先生が理解してくださったり、スクールカウンセラーの方がいらっしゃるお陰で中学生の頃よりかは少しは平穏に過ごせただろう。
しかし家では、悩みを話しても気にしなきゃいいなどで済まされるせいでろくに家族に悩みを打ち明けられずに病院の先生やスクールカウンセラー、SNS相談に頼ることになる。それを否定されたかのようなことをいわれたらどう思うだろうか。SNS相談はあくまでも応急処置だとして病院の先生に話す際の練習にすれば良いだろうという解釈が私の中にはあるのだが、私の家族はSNS相談などを快く思っていなかった。親に話さずに病院の先生やスクールカウンセラーに話すことしかしないなどと否定されたような形になり、そうなるとなら家族に悩みを話して、気にしなきゃいいで済まされると今度は
「アドバイスしているのに実践しようともしない。もう学校辞めて家でゲームしてもらうから。」
などと言われて私はさらに孤独へと追い込まれた気がした。
そもそもアドバイスをされたとしても、実行方法が不明であったりそれを聞いている最中は頭が混乱していて聞く余裕も無かった。
また、その話が出た直前に、今の学校がどうしても無理なら県立の定時制などに転校するかどうかの話が出たのにも関わらず、定時制などの話は無視して家にいてもらうということは、矛盾しているのではないだろうか。
それに私はこの出来事の前に「気にしなきゃいいが嫌だった」という趣旨の話をしたはずであるが、それについて了承したかのように思えたため、今話しても大丈夫だろうと思い悩みを話したらまたしても気にしなきゃいいで済まされ、私は孤独に追い込まれたような気がした。
その時話した悩みの内容としては、私が高校一年生の文化祭の時にした失敗を、二年生の新しいクラスにてネタにされるのではないかと心配していたという内容である。そもそもそのような話をされた時点で、まず相手に寄り添うことが大切なのではないだろうか。
私はこのようなことが原因で、特性自体も相まって自傷行為をする自分を思い浮かべてしまうほどに追い込まれていた。
私は一人暮らしをしたいと言い出したことがあるのだが、その時にその話を持ち出されて「嫌なら今出ていったら?」というようなことを言われて辛かった。
正直価値観は人それぞれ違うものなので、それを他人に押し付けたり、価値観が認められないとなったら相手が不安になるような事を言うことは幼稚な行為だと思う。
孤独というものは必ず目に見えるとは限らず、置かれた環境の積み上げによりどこかで壊れ、孤独という感情が生まれるのではないかと思う。それを防ぐためには、親子への不登校などの支援を充実させたり、子育て世帯向けの相談先を整備するなどの対処をしたら良いのではないだろうか。
感想1
悩みを打ち明けたときに「気にしなきゃいい」と言われるのはしんどいですよね。「そうはいっても気になるから悩んでるんだよ!」という気持ちにもなりそうだなと思いました。
私は過去を振り返り、「昔の私はこんなことで悩んでたのか…」と思うことがありますが、それを他者にも向けるのは良くないよなぁと思います。他者にとってはとっても大事な気持ち、考え、悩みなのだろうと思います。それらを尊重することが思いやりと言えそうな気がします。アドバイスを聞いているときとかも、思いやりを持って一緒に伴走してほしいという気持ちになりそうです。少なくとも私だったらそう思うかもしれません。
あなたはあなたなりに親に「気にしなきゃいいが嫌だった」と伝えているのにあまり聞いてもらえないのも、大切にされていると感じにくい振舞いをされているんじゃないかなと思います。
悩みを人に話すことでもたらされるものってたくさんあると思います。寄り添ってもらえた安心感や新たな気づき、人との情緒的な絆など…。そんなあったかい社会であったらいいなと思う今日この頃です。
また、「孤独を助長させているのは加害者本人だけではなく、その傍観者も被害者の孤独を助長させている」という言葉は、まさにその通りなのではないかと私も頷きながら読んでいました。あなたが挙げてくれた授業の例ももちろんのこと、いじめ問題やあらゆる問題はもしかしたら周囲の人たちの当事者意識の欠如によってもたらされているのかもしれません。今の社会にはまだまだ傍観者が多いように私は感じます。そうなる原因もいろいろあるかもしれませんが、みんな生きるのに精一杯で自分のことでてんてこ舞いなのかも、と思うところです。せっかく生きているのなら他者とのあたたかい交流もあっていいのではと思いますし、それができない世の中だとしたらそこには疑問を呈したいです。
生きている中で様々な人が抱えているモヤモヤのうち、拾いきれているものはまだほんの少しかもしれません。せめて傍観者の人も味方になってほしいなと私は感じました。3つのケーキを残りの4人で分け合えば、幸せな気持ちになる人がまた1人、この世の中に増えるように思います。そのためには自分がまずは当事者意識を持ち、傍観者にならないようにすることが大切なのだろうと感じました。
感想2
私自身も学校の人たちと上手くいかなかったり、そのことを大人に相談しても納得のいかない結果に終わったことが何度もあったので、それを思い出していました。特に二人一組などグループ決めの問題、これは大変困りものでした。どうしてあんなに時間がかかってしまうのか、挙句の果てには勝手にルールを改変してくる人も出る始末。私などは先生にぱぱっと決めてほしかったのですが、勝手に決められると不満な人々もいるものですよね。たかがグループ決め、されどグループ決めで、かなり残酷な一面があったなと振り返っています。
「孤独というものは必ず目に見えるとは限らず」というのにとても共感を覚えました。人が「孤独だ」と言うとき、それに伴っているのは「人が周りにいない」という状態ではなく、「人と心からつながれている実感が湧かず、寂しい」という感情を抱えている状態なのではないかと私は考えています。たとえば、あまり他人と交流しない人が必ず寂しさを抱えているかと言うと、そうではないはずです。逆に、人の集団の中にいたり、盛んに交流しているように見える人が、心の奥底で「寂しい」と思っているというケースも当然あるでしょう。そんなとき、「周りに人がいる」という客観的な状況を認識しているからこそ、本人ですら「私の周りには人がいるから、寂しさを覚えるのはおかしい」と困惑してしまうかもしれません。
なので、傍観者が孤独を助長させるというあなたの考えにも大いに納得です。何か辛いことが身に降りかかったとしても、周囲の人の寄り添いがあったのなら、当人の気持ちは大分違うのではないかと思います。反対に、それを見ぬ振りされたり、やっとのことで打ち明けただろう相談を否定されたり、上からアドバイスで押し付けるようなことをされてしまうと、安心感が得られず、寂しい気持ちになってしまうのは自然なことだと思いました。
孤独は人の心を蝕むものだと感じています。一人ぼっちになって、どんどん助けを求めることができなくなるという負のループに陥ってしまった実体験もあるので尚のことそう思います。あなたの言う通り、人を孤立させない制度を充実させること、このサイトのように、人同士がつながれる場所を増やすことは非常に重要だと思いました。現在のことについては書かれていませんでしたが、今のあなたはどんな気持ちでいるのかなと思っています。また思うことがあれば、ぜひお話を聞いてみたいなという気持ちでいます。
感想1
悩みを打ち明けたときに「気にしなきゃいい」と言われるのはしんどいですよね。「そうはいっても気になるから悩んでるんだよ!」という気持ちにもなりそうだなと思いました。
私は過去を振り返り、「昔の私はこんなことで悩んでたのか…」と思うことがありますが、それを他者にも向けるのは良くないよなぁと思います。他者にとってはとっても大事な気持ち、考え、悩みなのだろうと思います。それらを尊重することが思いやりと言えそうな気がします。アドバイスを聞いているときとかも、思いやりを持って一緒に伴走してほしいという気持ちになりそうです。少なくとも私だったらそう思うかもしれません。
あなたはあなたなりに親に「気にしなきゃいいが嫌だった」と伝えているのにあまり聞いてもらえないのも、大切にされていると感じにくい振舞いをされているんじゃないかなと思います。
悩みを人に話すことでもたらされるものってたくさんあると思います。寄り添ってもらえた安心感や新たな気づき、人との情緒的な絆など…。そんなあったかい社会であったらいいなと思う今日この頃です。
また、「孤独を助長させているのは加害者本人だけではなく、その傍観者も被害者の孤独を助長させている」という言葉は、まさにその通りなのではないかと私も頷きながら読んでいました。あなたが挙げてくれた授業の例ももちろんのこと、いじめ問題やあらゆる問題はもしかしたら周囲の人たちの当事者意識の欠如によってもたらされているのかもしれません。今の社会にはまだまだ傍観者が多いように私は感じます。そうなる原因もいろいろあるかもしれませんが、みんな生きるのに精一杯で自分のことでてんてこ舞いなのかも、と思うところです。せっかく生きているのなら他者とのあたたかい交流もあっていいのではと思いますし、それができない世の中だとしたらそこには疑問を呈したいです。
生きている中で様々な人が抱えているモヤモヤのうち、拾いきれているものはまだほんの少しかもしれません。せめて傍観者の人も味方になってほしいなと私は感じました。3つのケーキを残りの4人で分け合えば、幸せな気持ちになる人がまた1人、この世の中に増えるように思います。そのためには自分がまずは当事者意識を持ち、傍観者にならないようにすることが大切なのだろうと感じました。