経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

子どもの頃から考えていたこと

物心がつくよりも前から、私は死というものに強く惹かれていた。
 はっきりとした理由はなかった。ただ、心のどこかに「死にたい」という言葉にならない影が、最初から居座っていたのだと思う。その影
は、普段は息を潜めているくせに、ふとした瞬間に当たり前のように顔を出した。その影が、はっきりと形になった日のことを覚えている。
 その日は珍しくよく晴れて、リビングの窓からは眩しいほどに明るい日差しが差し込んでいた。網戸を抜けてくる風がやわらかく頬を撫で、穏やかな時間が流れていた。
 母は畳んだばかりの洗濯物を手に、ふと窓の外へ視線を向けた。
その横顔を、私はすぐそばで見ていた。母は泣いてはいなかった。ただ、遠くの景色に焦点を合わせるようにして、ぽつりと呟いた。
「一緒に死のうか」
 声は、ひどく落ち着いていた。まるで「おやつを食べようか」とでも言うような、穏やかな響きだった。その言葉を聞いた瞬間、私は胸の奥がふわりと浮かぶような、不思議な嬉しさに包まれた。大好きな母と一緒に死ねる。それ以上の幸せがあるだろうか、と本気で思ったのだ。
 けれど、その直後だった。幼い私の中で警報が鳴る。「止めなければいけない。止めなければ、“いい子”ではない」。嬉しい、という本能のすぐ隣で、必死に理性がしがみついてきた。私はかすかに首を横に振り、こう答えた。
「いやだよ」
 私の返事を聞いた母は、少しだけ間を置いてから、「そっか、嫌だよね」とだけ言った。その声に怒気はなく、ただ静かな諦めが滲んでいた。部屋の空気は何も変わらない。窓からの光も、風の穏やかさもそのままだ。けれど、母と私の間には、言葉にならない約束のようなものが、静かに横たわっている気がした。
 母は本当は、止めてほしかったのだと思う。だからこそ、私は今も生きている。
 小学一年生のときのことだ。
 私は、毎日のように母から叱られていた。何をしたのか、今となって
はほとんど覚えていない。ただ、叱責が最高潮に達すると、母は決まってこう言った。
「出ていけ!」その日も、母の言葉はいつもと同じだった。声の調子も、険しい表情も、何も変わらない日常の風景。だが、私の心の中では何かが違った。ぷつり、と糸が切れる音がした。もう、うんざりだった。
 私は泣かなかった。静かに、固い決意を秘めて玄関のドアを開けた。そうすれば、すべてが終わって楽になれる。今度こそ、本当に死に場所を探しに行こう、と。
 外はよく晴れていた。具体的なあてはなかったが、足は自然と見慣れた道へと向かった。小学校へ続く通学路、いつも遊んでいたお寺、秘密基地にしたかった廃墟。けれど、どこもかしこもただ寒々しく、静かに消えるための道具や方法など見つかりはしなかった。
 金柑の季節だった。家のそう遠くない場所に、家主から「食べていいよ」と許しをもらっている木がある。私は空腹をしのぐため、黄色く熟した実をもぎって口に放り込んだ。甘酸っぱさの中に、ほんの少し皮の苦みが混じっている。その味だけが、現実との唯一の繋がりだった。
 すぐそばには海が広がっていたが、溺れるのは苦しそうで嫌だった。廃墟で暖を取ろうと焚き火を試みたが、火はあっという間にそばにあった発泡スチロールに燃え移った。子どもの目には、燃え盛る炎はとても恐ろしかった。黒い煙が上がり、鼻をつく嫌な匂いが立ち込める。「バレたら怒られる」ー死ぬことへの恐怖より、その一心で、近くに打ち捨てられていた重い布団を必死に引きずって火に被せた。煙が収まった時、心を満たしたのは「死ねなかった」という失望ではなく、「危なかった」という安堵感だった。
 日が傾き、寒さが骨身に沁みてきた。もう無理だ、と思った。けれど、それは完全な諦めではなかった。諦めたくなかった。一旦、家に帰って作戦を練り直そう。そう自分に言い聞かせたが、本当はただ、暖かい布団が恋しくなっていただけなのかもしれない。本能的に、足は自宅のマンションへと向かっていた。
 マンションの前に着いたのは、日が落ちて辺りが薄暗くなった頃だった。
 だが、そこはいつもの帰り道とは全く違う光景が広がっていた。サイレンの音が耳をつんざき、パトカーや救急車の赤色灯が、落ち着きなく地面を照らしている。大人たちが何やら騒がしく行き交っていた。物陰に隠れて息を殺していると、焦ったような大人の声が聞こえた。
「警察犬はまだか」
 その言葉が耳に入った瞬間、背筋が凍った。警察犬は、必ず私を見つけてしまう。そうなれば、母に、父に、叱られる。大変なことをしてしまった。その恐怖は、死ぬことへの恐怖よりもずっと現実的で、私の心を締め付けた。
 どうしよう、と途方に暮れていた、その時だった。玄関のドアのすぐ横にある、子ども部屋の窓に人影が見えた。心配して私を探してくれていた兄弟の一人だった。いじめられる時もあれば、こうして優しくしてくれる時もある。それが、私の知っている兄弟という存在だった。私は窓に駆け寄り、必死にガラスをノックした。
 中にいた兄弟は驚いた顔をしたが、すぐに事情を察してくれた。声は出さず、こっそりと私を家の中へ招き入れてくれたのだ。
 冷え切った体で布団に潜り込むと、体の芯からじんわりと温まっていく感覚がした。外の喧騒が嘘のように遠ざかっていく。私は心の底からホッとしていた。母も、本気で「出ていけ」と言ったわけではなかったのかもしれない。そんな淡い期待が胸に生まれた。
 あとから両親に見つかってたっぷり叱られ、その日の夕飯を抜きにされたのは言うまでもない。そして母は、その後も何かあるたびに、やはり私に「出ていけ!」と言い放ったのだけれど。
 学校での時間は、表向きは「可もなく不可もなく」と言えたかもしれない。けれど実際には、そこには多種多様ないじめが存在した。
 休み時間、同じクラスの男の子が、私を指差して笑いながら叫んだ。
「あいつが触ったものはばい菌だらけだ!」
 周りの子たちは、誰も助けてはくれなかった。それどころか、私が使った机や椅子を、汚いものでも見るかのように避けることさえした。体育の時間にボールは回ってこない。グループ分けでは必ず一人になる。筆箱を隠され、給食の配膳では私の分だけが意図的に少なくされる。先生は気づけば注意してくれたが、それが深刻な問題だと捉えている様子はなかった。命に関わるような酷い仕打ちではなかったかもしれない。だが、無数の小さな刺し傷が、私の心を絶えず覆っていた。
 そんな日々の中での唯一の逃げ場、それが図書室だった。
 教室の倍はあろうかという広い空間には、古い紙の匂いが満ちていた。ドアを開けた瞬間、教室の騒がしさが嘘のように遠のき、静寂が私を包み込む。私はいつも適当な席に腰を下ろすと、背を丸めて本の世界に没頭した。そうしていると、周りの音が何も聞こえなくなる。世界に、私と物語だけが存在する時間。
 私は本当に本が好きだった。下校中に歩きながら読むのは当たり前で、市の図書館やコミュニティーセンターの図書室を梯子して回り、年間で一万冊近くの本を読んでいたと思う。それはもう「趣味」という言葉では収まらない、生きるための行為そのものだった。
 心を惹かれたのは、理不尽な世界で懸命に生きた女性たちの物語だった。
 男社会で女王となり太平の世を築いたという、神秘的な『卑弥呼』。
 豪奢で不自由な暮らしの中で孤独を抱え、最後は処刑されながらも、懸命に生きようとした『マリー・アントワネット』。
 夫に顧みられないという境遇にありながら、前を向き大衆の手本であろうとした『ダイアナ妃』。
 彼女たちの人生に、私は自分の孤独や理不尽を重ね、その強さに勇気をもらっていた。
 そして、何よりも特別な友人ができた。『アリス・イン・ワンダーランド』のアリスだ。
 私にとって、現実の世界は理解できないことばかりだった。それはまさに、奇妙で理不尽な不思議の国そのもの。そんな世界を、アリスはどんな奇妙なことも当たり前のように受け入れ、時に空想を膨らませながら進んでいく。彼女の姿は、私自身の姿のようでもあった。私も、このワンダーランドを彼女のように楽しめたらな、と願った。アリスは、理不尽な現実の楽しみ方を教えてくれる、たった一人の友人だった。
 読書は、死に興味を持っていた私を、現実へとつなぎとめる錨だった。「死ぬ」よりも先に「知りたい」ことがある。ページをめくるたびに、そう感じることができた。
 私の心は、希死念慮という冷たいコンクリートの地面の上にあった。
 その上に、楽しいこと、美味しい食事、友達との笑い、本との出会いが、木の葉のように積もっていく。けれど、強い風が吹けば、葉っぱはたちまち吹き飛ばされてしまう。そしてまた、硬く冷たいコンクリートが顔を出す。
 生きていることは、常にその繰り返しだった。
 けれど、そのコンクリートの上に、ほんの一枚でも美しい葉っぱが乗っている限り、私はどうにか生き延びることができたのだ。

感想1

出来事が丁寧に回想され編み直され、一つ一つくっきりと情景が浮かび上がるようでした。それはあなた自身の表現の力でもあると思いますが、それだけくっきりと記憶に残ってきたということとも言えるのかなと思いました。またその時点では今のようには言葉になっていなかったこともあるのかなと思うと、あなたが過去から現在までを見つめ理解したいという思いの中で言葉になっていった部分もあるのかなと想像しています。私はとても記憶力が悪くて、小さいの頃のことを思い出すことがあまりできなくて困ることもあるのですが、あなたの場合にはくっきりと覚えているからこその苦しさもあるではないかと思いました。(もちろん、それが当たり前として生きてきたら、それを取り立てて考えるものでもないのかもですが……。)
ごく幼いころから現在まで、死と、生活の中のさまざまな恐れが身近にある中であなたは生きてきたことを感じました。子どもが出て行かされるとしたら、それ自体がかなり物理的な困難や死につながるものです。だから「出ていけ!」という言葉は、本音がどのようなものであれ、あなたの生死を握る脅しの言葉として機能してきたのではないかと感じました。想像でしかないですが、母親さんもまた傷つき生死をさまようような心持ちの中で生きてきていたのでしょうか。だからといって子どもにあたる権利はまったくないと思いますが、家族のそれぞれがそれぞれにあった支えを欠いているような状況があったのだとしたら、サポートする他者の力でもうすこし苦しみは減ったのではないかと、過去にさかのぼれないことはわかりつつも考えてしまいます。

家も学校も、あなたに見えない傷を増やす危険な場所で、それでも子どものあなたは多くの時間そこにとどまらなければいけなかったのだろうと思いました。その中であなたが読書を「生きるための行為そのもの」と表現していたのを読み、とても共感しました。私も読書によって、たくさんの物語をひたすら読むことで生き延びてきた感覚があります。アリスもとても好きで、日本語訳をそれぞれ読み比べたりしながら、言葉のリズムや描写の豊かさにひかれ、別世界に迷い込んでいました。この世の中には、とくに子どもにとって、あるいは相対的に弱い立場に置かれる人たちにとって、あまりにも理不尽が多すぎると思います。その中で不思議の国をアリスが冒険するようにこの現実を捉えなおすことは、既存の枠組みの中での静かな抵抗でもあるように感じました。ショーニン・マグワイアの『不思議の国の少女たち』のシリーズは、かつてそれぞれの「不思議の国」を生きてきた子どもたちを主役に据えた作品ですが、大人になってから読み、自分に物語の別の世界が必要だったことをひしひしと感じました。
都会ではあまりない気がするのですが、地方の都市を歩いているとコンクリートが経年でひび割れ、めくれて、そこから青々とした雑草が生えているのを目にすることがあります。希死念慮ははがすことのできない硬くて揺るぎないものに見えても、その隙間からもさまざまな、別のなにかが芽吹くのかもしれないと思いました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読みながら、死にたいという感覚が、ある日突然生まれたものではなく、ずっと幼いころから生活の底に沈んでいたものだったことが伝わってきました。はっきりした出来事だけではなく、光の入り方や風のやわらかさ、金柑の味、図書室の匂いのような細部と一緒に書かれていることで、苦しさがただの抽象的な気分というわけではなく、その時々の現実に深く結びついていたのだろうなと想像していました。
特に、お母さんが幼いあなたにかけた言葉は、大好きな相手と一緒にいられることへの希求と、「いい子」でいなければならない感覚が、ほとんど同時に存在しているように感じ、そのねじれはとても苦しいものだっただろうと思いますし、その後の生き方にも長く影響を及ぼしているのかもしれないなと思います。子どもは大人の言葉を、冗談や一時の感情として受け流せるとは限らないので、そうした言葉が心の深いところに残り続けてしまうことは、決して大げさではないように私は思います。
また、小学一年生のときに家を出て、死に場所を探そうとしたことも、死にたかったというより、生きることがしんどすぎて、ほかの逃げ道を持てなかった、ということにも近いのかもしれないなと感じました。でもその一方で、体はちゃんと危険を避けようとしていて、寒さや空腹や恐ろしさに反応していたことを考えると、人の中には死にたい気持ちだけでは割り切れない、生きようとする感覚も同時にあるのだろうということを改めて思わされました。
学校でのいじめも、「命に関わるような酷い仕打ちではなかったかもしれない」と控えめに書かれていましたが、むしろその言い方に、日々の小さな傷が軽く扱われやすいことの痛みが滲んでいるように私は感じています。露骨な暴力だけが人を追い詰めるわけではなく、誰も助けないこと、少しずつ居場所を削られていくこと、先生の反応が深刻さに届かないこともまた、人を静かに傷つけていくのだと痛感させられているところです。その中で、図書室や本が慰めではなく、生き延びるために機能していたことが印象的でした。理不尽な世界を生きた女性たちや、奇妙な世界を進んでいくアリスに、自分の孤独を重ねていたこと、現実から完全に離れるのではなく、物語を通して現実に戻るための通路を作っていたように私は捉えました。読書が「逃避」でもあったし、「錨」でもあって、その両方であったからこそ、あなたをつなぎとめる力を持てたのだろうとも私は思います。
家庭の中で受け取った言葉、学校での孤立、本の世界に見出した避難所が、ばらばらではなくひと続きのものとしてあなたの中に存在しているようで、そしてそれは個人の性格や弱さだけでは説明できない、この社会が抱える、子どもが置かれる関係や環境の問題とも深くつながっているように感じました。死に惹かれる気持ちがなくなることだけが回復ではなくて、その上に何が積もれば今日を越えられるかを見つけていくこともまた、一つの生き方なのかもしれないな…と、そんなことを考えていました。また必要に感じられた時は、いつでもここを訪れてほしいです。

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