幼少期両親が離婚し母方の祖父の家へ住む事に。厳格な祖父でいつも顔色を伺う日々。門限を少しでも過ぎれば家に入れてもらえず、物置に閉じ込められたり殴られたり酷い時は蹴られたりもした。テレビも自由に見せてもらえず、ゲームも一日1時間。そんな環境で当然同級生との交流も少なく、中学生くらいから話題に完全についていけなくなった。インターネットもない、携帯もない、外にも自由に出れない。
お小遣いなんか当然ない。
その家からは出ることになるのですが、おそらく心の傷は癒えること無く学校にも行かなくなり完全な不登校に。
学校に行けば何も知らない事を馬鹿にされ、嫌な思いをしてまで行きたくない気持ちで日々を過ごしました。
高校に上がって働くようになってからは自分の選択肢というものが増え学ぶ事が多く新鮮な気持ちになり頑張れるくらいには回復しましたが時すでに遅く、意欲や興味というものを失ったように思います。
貧乏すぎて学生ながら働かざるを得なかったのが最大の要因でもあり辛い現実でした。
私には兄弟も親戚もいません。
育て方を間違えたと言われた事もあります。女性と出会っても怖がられ距離を置かれました。どんなに頑張ろうが努力しようが周りの価値観が背景や時代、育てられた環境によって変わってしまうという真実を知りショックを受け自暴自棄の日々を送っています。
何故産まれてきたのかわからなくなりました。堕胎してくれていた方がどんなにマシだったか。
幸せになるために産まれてきたというのはよく目にする言葉ですが、それは自分には当てはまらない。死ぬためだけに産まれてきたようなものです。
家庭崩壊、不登校、貧困に子供が甘ったれるな戦え立ち向かえと言われて正しい行動ができるでしょうか?
親元から完全に引き離され政府が提供する施設にでも預けてもらった方がどれだけ良かったか。
でもこれだけは知ってください。
子供に選択権はありません。
人権なんかありません。
大人になって初めて気づいて絶望するんです。調べても支援なんか何もありません。
証拠や根拠がないですから。
精々生活保護や精神科受診くらいでしょうか。ふざけるなと。
異常者扱いにはもう疲れました。
次に産まれるなら裕福な愛情のある幸せな家庭に産まれたかった。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
大人になって気づく事もある
感想2
「大人になって気づく事もある」、その言葉に頷きます。私も大人(どこからが大人なんだろうとか思うこともあります)…成長してから気づいたことばかりでした。
この社会において、子どもは本当に不自由を強いられる存在だと感じます。家と学校のほかにはどこにも行きようがない子どもたちが多く、もし家・学校が安全でない状況であっても逃げようがない現状があると思います。インターネットが普及してから情報を入手するハードルが格段に下がりましたが、環境によってはだいぶ大きくなるまでネットにアクセスする手段を持たない・使えない状況に置かれている子たちもいるだろうことは想像に難くありません。
居場所も、情報も、逃げる手段も抵抗する手段も持たない、助けてくれる人もいない、制度がない。ただ与えられた環境を耐え凌ぐしかない子どもたちの数は途方もないのでしょう。個人的な経験を振り返っても、不登校になって自分の部屋に引き籠ったのは、そうするしか自分を守るための手段がなかったからにほかならないと感じます。あなたの言う通り、安全でない理不尽な環境に対して子どもたち本人が立ち向かうことは到底無理なことだと思います。そして、大人になってからそれを知ったとき、私もとてもやるせなかったです。今もどこかそんな気持ちです。
「人権なんかない」は悲しくも、とっても悔しくも、現状を表す言葉だと感じました。ところで、子どもにも人権があるのだと子どもの権利条約が定められたのは1989年、日本が条約に批准したのは制定から5年後、この条約の精神を反映させたこども基本法が制定されたのは2022年のことです。さすがに遅すぎる、と私は感じます。この国がいかに子どもの権利を軽んじているかを示しているように思えました。
せめて今の子どもたちが、次の世代の子どもたちが苦しい思いをしないように。子どもがしんどい環境からすぐ逃げ出せるように、子どもをしんどい環境からすぐ助け出せるような社会になれば、生まれの環境がすべてを決定づける「親ガチャ」なんて考えもいらなくなると思いました。こんな法律が制定・施行されても、辛い子ども時代を過ごした人はいなくならないし、社会はすぐには変わりません。それでも、これ以上そんな子どもたちを増やさないように、少しずつでも変化させていくことが大切で、それが現実に可能なことだと私は信じていたい気持ちでいます。
感想1
子どもに選択権がない…残酷ですが、そういう状況にある子どもは多いのだと思います。私は子どもの支援に関わっているのですが、厳しい環境に居る子どもは、情報を得ることにまずハードルがあるように思います。選択権どころか選択肢があるかどうかもわからない子が多いです。支援に繋がれたのは、助けを求める方法にたどり着けた子と、周りに気づいてもらえた子だけで、これは氷山の一角なのだと思うと、本当にもどかしい気持ちになります。
あなたの幼少期は、両親の離婚、そして居住環境の変化があり…これだけでも相当な負担だったのではないと思います。子どもにかかった負担がケアされてほしいところですが、さらに祖父さんの顔色をうかがわないと生きていけないとなると、本当に息の詰まる日々だったと思いました。躾の内容は時代の流れを反映しているとも思いつつ、時代で片付けられない傷を残していると感じます。
そしてその娯楽も自由もない環境が、様々なところに支障をきたしたというのも、辛いと思いました。主な交流の場は学校に限られていたのではと思いますが、そこで交流するための「昨晩のテレビ番組」や「流行のゲームの話」など、共通の話題という手札さえ持つことを許されなければ、自然と孤立を感じやすくなってしまうと思いました。知る機会や経験する機会を奪われ、そのせいで得られなかった、さらなる知る機会や経験があるのかと思うと、厳しい躾によって得られる(と考えられていた)ものは果たして何だったのだろうか…と考えてしまいます。
このメジャーな考えかはわからないのですが、育てられた環境によって変わってしまう部分はどうしても多いと感じざるを得ないです。本人の頑張りや周りの支えによって変えられる部分もあると私は考えているのですが、簡単なこととは言えないとも思っています。修復するために”今”を費やさなければならないと感じたからです。失われたものを取り返すため、持たずにいたものを手に入れるために、お金や時間、労力を費やしている間に、その必要がない同年代はとっくに次のライフステージに進んでいる…私的にはそこが直視したくない一番の現実です。
「幸せになるために生まれてきた」というのはプレッシャーを感じるので、「みんなただ死ぬために生まれてきたけれど、死ぬまでに時間があるから暇つぶししている」程度であってほしいと思いました。私もそれくらいなら人生の否定感がマシになりそうな気がしたので…。