経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたいと思いながら幸せに生きたい願望
自分を好きになれず、
定期的に頭に浮かぶ「死にたい…消えたい…」が消えません。
なのに、幸せになりたいと願ってる。
朝は絶望感から始まる。
月曜日はもっと最悪。
目が覚めたら不安が襲ってくる。
周囲の良い人に恵まれているけれど、生きづらさや孤独感が拭えない。
母親からの愛情不足がいつまでも付きまとう。
ネグレクトで、ギャンブル、借金、不倫、自殺未遂、ヒステリック。
散々振り回された幼少期。
「育てられないなら産まなければいいのに」
そう思ってきました。
親戚もそんなことを言うので、自分には価値がないと答え合わせをしてしまいました。
摂食障害、うつも経験しました。
病院をいくつまわっても誰にも理解されない感覚。
やっと打ち明けた恋人には、気持ち悪いと言われ、選ぶ相手を間違えたと今では思いますが、当時は命綱を切られた気分でした。
夫と出会い安定して、子供も授かり幸せなはずなのに、求めていたものを手に入れたはずなのに、それでも尚、心が曇って死にたいと思ってしまいます。
人生を早送りして、死ぬ間際に行きたいとおかしなことまで思います。
仕事は順風満帆とは言えませんが、成長したいやりがいを求めたい、何者かになりたいと意欲が出る時と逆に全て投げ出したくなる時の波があり、やる気を出した時に決めた自分を恨めしく思うこともあります。
本当は何もしたくない。
でも、生産性がないと価値のない自分をさらに悲観してしまう。
自分の居場所がないと深い暗闇に落ちてしまいそう。
この心のままでは、どこにいっても何をしても自分の願う幸せには到達できないんじゃないかと思います。
不安定な自分とどう生きていったらいいのか。
いつまで続くのか…苦しいです。
感想2
二律背反の苦しみは数あれど、「死にたい」や「生きたい」のように、その状態が大きいものであればあるほど、自分の中に起こる揺れや苦しさも比例して大きくなるなぁと私自身も考えながら読んでいました。
幼少期に(唯一とは言いませんが)限りなくそれに近く、且つ最も近い「親」という存在から本来当たり前に受けられるはずの愛情を、真っ当に、健全に受けられなかったことはあなたの中の核となる部分にスッポリ何かが足りてなくなるような状態をもたらしたのだろうなと想像しています。私自身は両親の不和からくる歪な愛情(と呼んでいいのかどうかすらわからないもの)を受けてきたので、主体性が持てなかったり、未だに「何物にもなれない自分」のような感覚が常にあるので、あなたの影響とは違う形のものを抱えて生きています。
それほどに親から与えられるもの、あるいは与えられないものというのは、受け手である子どもにとっては、自身やもっと言うとその人生にまで翳を落とすことになるほど大きい影響があると思えますし、代替の効かない存在を追って、当時の苦しさはもちろん、状況が変化してもある種の渇望してしまう感覚のようなものをあなたに植え付けるものだったのかなという気がしました。
摂食障害やうつの経験、理解されない人との営みの中で、初めて打ち明けた恋人から心無い言葉が返ってきたことには、ただでさえ苦しみ続けていた胸中がある中でさらなる傷をあなたに与えたのでしょうし、どこまでいっても人そのものを信じきれない、もしかしたらそんな感情があなたの中に湧く出来事でもあったのかなと感じました。
ただ、苦しさを一人で抱えて生きてきた(そうするしかなかったの方が近いでしょうか)中で、今のパートナーさんとの出会いやそれによっての安定があったことには少なからずホッとしている私がいます。きっとそこに至るまでには、(向き合うことはとても苦痛を強いるものだと思いますが)自分の苦しさや辛さを蔑ろにせずに向き合い続けたあなたがいたのでしょうし、一朝一夕ではどうにもならないことを常に何とかしようと模索してきたあなたの「芯」のようなものを勝手ながらに感じていました。
お子さんを授かり、親となったことで生じた迷いもあるのかなと思いながら、仕事そのものの維持や変化を考えることも重なっていることはとても気苦労も多いように思っています。それは、簡単には成立させられなかった今と言える気もしますし、だからこそともいうべきか、波がある自分や価値を求めてしまう自分もより強く、色濃く出てしまうことに繋がっているのかなとも感じました。ですが、常に一定ではなく変化するのが人間だと思いますし、「本当はなにもしたくない」という気持ちは、傷つきながらも今を形作ったあなたの素直な本音だと感じた私がいます。過去や現在、そして未来を考えるとどうしても「揺れ」は起こるものなのかもしれませんが、今に至る道を必死に切り拓いてきたあなたが少しでもそれを感じなくて済んだり、そう感じる自分をちょこっと肯定できる、そんなこれからであってほしいなと勝手ながらに思いました。
感想1
「死にたい」と「幸せになりたい」は共存するよなぁと自分自身に引きつけながら読みました。周囲の人に恵まれているけれど、生きづらさや孤独感が消えない、という部分も強く共感します。
求めているものが手に入った現在があっても、幼少期の投稿者さんが死にたいと思う、幸せになりたいと願うのだろうかと想像しました。
自分ではどうすることもできない母子関係が後々まで大きな影響を与えるというのは、私自身心から納得できるものではありませんが、自分の経験や心理学系の本を読むと事実なのだろうなと感じます。ネグレクトという環境や母親の不安定さの影響を受けて成長された投稿者さんが、大人になってもその影響下からなかなか抜けられないのは、無理のないことかと思う反面、その影響下で懸命に生きてこられただろう投稿者さんの姿を想像すると、個人的には悔しいような気持ちになります。ただ一人、母親という存在との関係性だけで生き方が決まってしまうような印象を受けるからです。
私も親から条件付きの肯定しかしてもらったことがないので、投稿者さんが書かれている生産性がないと価値のない自分を悲観してしまうという部分は自分と似たような気持ちなのかなと感じました。私も何かをしていないと自分には価値がない、居場所がないとよく思ってしまいます。「本当は何もしたくない」と思っていていいし、本当に何もしなくても居場所はあるし、あなたには価値があるよと誰かに(叶うならば母親に)受け止めてもらえたらどれだけ救われるだろうかと思うけれど、それがなかなか叶わないからこそ苦しいのかと私は考えています。
一方で希望はあって、例え幼少期に母親との良好な関係性を気づけず生きづらさを抱えることになっても、大人になってから回復することはできると心理学系の本に書かれていることです。私は、「母親からの愛情不足がいつまでも付きまとう」と投稿者さんが書かれていることに生き苦しさを軽減する糸口があるように思いました。幼少期の愛情不足が根本にあるけれど、ここまで生き抜いてこられた現在の投稿者さんの頑張りは確かに積み重なっていて、投稿者さんの力になっていると思います。心理カウンセリングやセラピーを受けられたら、幼少期の投稿者さんの回復の一助になるのかな、なんてことも思いました(すでに受けられていたらただのお節介ですね・・・)。
「何にもしたくない」という思いも投稿者さんの大切な気持ちだと思います。経験談や、ぷらっとチャットで時にはそんな気持ちを表に出すことも大事なことだと思うので、よければまた利用してみてください。
経験談の投稿、ありがとうございました。